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岩津城
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城址周りの住宅地を歩いていると、案内看板を見つける
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登城口に城址の案内あり
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早朝からちょっとキツイ山登り
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登城道の行き当りは道なき森の中で、主郭を見つけれず
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ちょっと戻ると、脇へ入る道があり主郭へ出る
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主郭周りの土塁と空堀
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主郭へ伸びる土橋
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信光明寺に立寄る
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信光明寺本堂
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信光明寺に松平三代の墓所がある
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松平三代 初代親氏・二代泰親・三代信光
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民家の直ぐ上が城址だが、私有地で立入禁止の看板あり
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岩津天神を参拝するつもりだったが、山城歩きで疲れてパス
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山中城
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イノシシ除けのフェンスから入り、登城遊歩道が出来ている
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かなりキツイ上りが続きヘトヘトに
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曲輪とは、物見と攻められた時の防衛拠点と知る
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山中城址の石碑
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入口から主郭までは約20分
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中々堅固な城山だったと思われる
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しかし西郷信貞が守るこの城は、松平清康の奇襲で一夜で落城した、と案内に書いてあった
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冨士浅間大神
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主郭から見晴らしが良い
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馬出し曲輪
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姫ヶ城
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胎蔵寺の横に登城入口の案内あるが、この道じゃない 直ぐ行き止まりとなる
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胎蔵寺の墓地から登城の遊歩道がのびている
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またキツイ山道を登る
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姫ヶ城址の看板
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最高部に姫ヶ城阯の石碑
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頂上からの眺めが素晴らしい
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城阯の石碑はちょっと貧弱
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胎蔵寺の裏山が城址
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岡城
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住宅地の奥の竹藪が城址だが、住宅地から入る道が分かりずらく、迷いながらたどり着く
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中々見事な土塁が残っている
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生田城
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訳の分からない内容が書かれている
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広い田畑の中にポツリと城址がある
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西大平陣屋
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立派な西大平陣屋門
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あの有名な大岡越前守忠相が岡崎出身とは知らなんだ
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こういう門を冠木門(かぶきもん)と言うそうだ
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さすが大岡越前守、立派な門構えです
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大岡稲荷神社
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岡崎城
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100名城の岡崎城は、今まで巡った城と格が違う
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城への物資の運搬は乙川を使ったようだ
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龍城堀
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見応えある天守
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龍城神社
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東照公遺訓碑 有名な”人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし”と書いてあったかどうか?
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岡崎城は龍にまつわるのが多いようだ
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高い石垣と深い堀
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長篠の戦いで有名な鳥居 強右衛門の墓がある
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一緒に写真を撮ったら出世出来るかも
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徳川家康公銅像
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天下人らしい顔している
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本多平八郎忠勝公銅像
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丁度時計が回り出し、しばし見つめる
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家康館入ろうと思ったが、撮影禁止となっているので止めた
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ちょっとチンケナ武将隊
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こんなに浅くて、昔は水湧いていたのでしょうか?
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二の丸大手門
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何で彼女の手形があるんでしょう?
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松平宗家の菩提寺・大樹寺
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昔本堂に入ったことあるが、徳川将軍の等身大の位牌があった
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これだけ字が多いと読む気しない
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三代家光が夢に現れた家康の姿を描いた
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松平宗家8代の墓
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初代親氏 松平郷で松平宗家を起こした
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三代信光 松平から岩津へ進出した
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七代清康 岩津から安城へその後岡崎へと進出
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今までの城巡りで、信光と清康の名に多く触れ、宗家の中でも偉人だったと思う
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国の重要文化財の多宝塔
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今日の城巡りは、山城歩きで結構キツかったが、城巡りを実感でき楽しかった
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