19.11.4 磐田、袋井




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本城山砦


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春日神社の右手の山が本城山砦 神社右手に山へ入る道がある


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縄張図に山に入る手前に、大きな堀と土塁が載っていたので覗いてみる 確信は無いが、これは大きな堀切跡なんだろう


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落着いた感じの春日神社の本殿


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神社右手の道を上がると直ぐに行き止まり よく見ると人が通った形跡の道があり、思い切って入ってみる


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結構深くて大きな堀切が確認できる


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直ぐに削平地に出る 案内が無いがここを本丸跡とする 本丸は草むらで入る気にならず


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竹藪の中は深い谷だが、これも堀切跡と思える


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土塁の下は帯状に連なる曲輪? あまり遺構は期待しなかったが、しっかり残っている 竹藪で整備されていないのが残念だ


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掛塚陣屋


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道沿いに看板があるとネットにあるが見つけれず また陣屋門が民家に移築されているとあるが、何処にあるか分からず


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陣屋跡に建つ住宅の裏山に土塁らしきものが見えた


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また山の中には堀切跡のようなものも見えるが、勝手に遺構にしてはイケないと反省


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向笠城


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新豊院の両側の山が向笠城跡


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新豊院の本堂 そんなに大きくないが中々感じ良い


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右手の山は、国指定史跡の新豊院山古墳群がある


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左が主郭がある山 山へ入る道があり行ってみる


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直ぐ道は無くなりその先は藪で、ここを入る勇気はなし


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見付端城


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大見寺付近一帯が見付端城跡 室町初期に駿府の今川氏が築城し、遠江守護の拠点にした


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大見寺の本堂は大きくて立派


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大見寺境内の墓地の方へ廻ると、しっかりとした土塁を確認できる


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大見寺の対面にある見付交流センターに、小さな見付端城跡の石碑がある


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城之崎城


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磐田城山球場グラウンドが城之崎城跡 球場では高校生の新人戦が行われていて、中々良いプレイをしていた


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外野スタンド辺りに土塁が残っている


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愛産大三河vs磐田南の試合中で、愛産大三河が大きくリードしている


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堀越城


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海蔵寺から須賀神社辺り一帯が堀越城跡 先に行った見付端城と堀越城が、遠江今川氏の居城になっている


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遺構は残っていないとあるが、海蔵寺の境内に土塁らしきものが


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堀越藤左ヱ門の墓とあるが、彼は堀越城主なんだろうか?


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久野城


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1500頃今川氏に属する久野宗隆が築城 孫の宗能は徳川家康に属し、掛川城、高天神城攻め、小牧長久手の戦いで戦功を立てている


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久野城址公園として整備されており、城郭や遺構がハッキリしているようだ


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駐車場の隣りの小山を上ると北の丸


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一寸した広さがある北の丸 案内看板があるので良く分かる


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北の丸から二の丸・本丸の眺め 景色も中々良い


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北の丸と二の丸の間の土塁 この先は東の丸へ繋がる


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東の丸へ入る手前の切通し


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ここは東の丸 二の丸・本丸をぐるっと囲むように曲輪が出来ている


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東の丸の先は大手で大手門がここにあった 大きな久野城址の看板が目立つ


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ここが久野城大手で、本来はここから登城すべきなのかも


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大手門の左手に隅櫓跡があるが、櫓台があまりにも小さい このスペースではそんなに高い櫓は組めないだろう


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更に回り込んで行くと南の丸に出る


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南の丸の端は堀切跡か?


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縄張図に周りが水堀で囲まれていたのを思い出す 草むらだが大きな湿原が周りを取り巻いており、これが大きな水堀跡と気づく


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南の丸から高見・本丸へ入る 本丸にも大きな久野城址の看板が見える


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南の丸から上の二の丸を見ると、断崖絶壁 ここから敵に攻められることはないだろう


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高見は広い削平地 大きな物見櫓があったのを想像する


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物見から二の丸へ入る 二の丸の端は高くはないが土塁が残る


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二の丸から本丸へ上がる虎口の所に井戸がある 井戸には水が溜まっている


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二の丸の下に三の丸が見える


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最初に気づかなかったが、北の丸と二の丸の間はとても深い堀切がある


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二の丸から本丸へ上がる虎口


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本丸は広い平地 草が刈られて歩き易いのが良い


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本丸跡には看板があるのみ こんなに立派な城跡なので、大きな石の城址碑を建てて欲しいと思う


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貫名氏館


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妙日寺が貫名氏館跡 貫名氏は凄い、あの日蓮の父が貫名重忠とある


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時代劇で、日蓮が鎌倉幕府から迫害されている場面があったが、父の貫名重忠が平家に味方したからと知る


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妙日寺にある妙蓮尊儀供養塔


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妙蓮尊儀供養塔が貫名氏の墓とは分かるが、何で江戸幕府の重臣の柳生但馬守が寄進したのか良く分からない


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原川城


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ナビは住宅地の中を案内する 民家の塀に説明看板があるとネットにあり探すが見つけれず 宇佐八幡宮がありちょっと参拝


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原川城から丸尾氏館へ移動中、東海道の松並木がある


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掛川宿と袋井宿の間にある松並木 知立の松並木よりよっぽどか立派だ


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丸尾氏館


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丸尾氏館はネットに情報は全く無し ナビは袋井市民温水プール近くの住宅地を案内する


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加賀爪氏館


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馬伏塚城


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1574年高天神城が武田勝頼によって攻略されると、家康は馬伏塚城を高天神城奪還の拠点とし、1581年に高天神城を攻略する


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山が切り裂かれて道があるが、これが当時の物かどうかは分からない


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神社の入口に馬伏塚城址の石碑がある


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縄張図には寺とあったが、あるのは神社だが、神社の名前が何処にも無い


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神社境内の下に堀切が確認できる


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馬伏塚城跡の森を裏から見る


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岡崎城


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北八雲神社の山道に土塁が残っている


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岡崎城も先に見た馬伏塚城と同様、高天神城奪還の拠点となった城


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北八雲神社と森の間に深い堀切がある


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神社から本曲輪へ入る道は草むらの中だが、思い切って入る


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城郭は荒れた竹藪だが、土塁や堀切を確認できる


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遺構は残っていそうだが、竹藪の中を歩き回る気になれず、ちょっと見て終わりにする