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松山城
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松山諏訪神社に、岐阜県指定天然記念物の大クスがある
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神社奥の山が城址と思われるが、ネットに山はフェンスで囲まれていて入れない、とあるので神社の参拝のみする
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樹齢1000年とある見事な大クス
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養老山脈の高い山の手前の山が松山城址
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長久保城
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誓賢寺の境内が城跡
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当時の石垣ではないが、誓賢寺の境内はちょっと高くなっていて、石垣で囲まれている
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今日の巡る城址は揖斐川沿いにあり、揖斐川と写真撮る
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臥龍山城
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臥龍山?の山頂にある行基寺が城跡で、山頂まで車で上がれる
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狼煙台の石碑案内あるが、狼煙台の感じはせずに、どお見ても常夜灯である
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行基寺の石垣は凄い とても寺の石垣とは思えない
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文政3年(1820)に建立された山門も凄い
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行基寺の本堂は天保3年(1832)再建 臥龍山城は、高須藩主松平義行が名目上は行基寺として築いた有事の際の城とのこと
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刻紋石 蜂須賀小六の子(家政)が名古屋城築城用に切出した石だが、輸送中に落とし放置された、とあるのが面白い
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石には3つの輪が刻まれているが、蜂須賀家の家紋?
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行基寺の境内も凄い石垣 やっぱり普通の寺とは違う
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立派な石垣の台座 何かの櫓があったのではと思う
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狼煙台の所から、素晴らしい眺望が望める 写真には写らなかったが、揖斐川の奥に雪に覆われた山が見えた
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こちらは名古屋方面の景色 名古屋の高層ビル群が浮かんで見える
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高須城
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高須城主は高木盛兼 関ヶ原合戦は西軍で、福島正則に属した松ノ木城主徳永寿昌、今尾城主市橋長勝の攻撃を受け落城
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小さな児童公園が城址公園 遺構は何も無さそう
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高須小学校前に主水橋の案内ある
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高須城は堀を三重に構えていたと案内あり、この水路も何重目かの堀だったのでしょう
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高須城から1.5km程離れた所にある海津歴史民族資料館 城みたいな建屋で中々立派だが、入館は有料でパス
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資料館の横を流れる大江川に、大名船着場が復元されている
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駒野城 駒野館
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城山小学校構内に、説明看板や主郭跡があるようだが、今日は休校で門は閉ざされていて入れず 職員に連絡すれば入れるようだが、今日は誰もいない
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校庭の外を回ると、校舎の奥に森があり、あれが主郭跡と思われる
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野口館が近くにある筈で、古い石垣が残っており、この辺りに駒野城主の館があったのでは?
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津屋城
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本慶寺の境内が城跡 寺の入口に、城址碑と説明看板がある
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山門となっている長屋門は、津屋城の城門を転用したもの
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津屋城は、高須城高木氏の一族の高木八郎左衛門正家の居城であったが、関ヶ原合戦で西軍に属して敗れ廃城となる
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土塁や堀が残っているとネットにあり、本慶寺奥の藪を覗いてみるが、よく分からず
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よく見ると本慶寺境内の端は、しっかり土塁が残っていた
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境内の外に回ると、空堀も確認出来た
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境内も石垣で囲まれている
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根古地城
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天照寺の境内が根古地城跡 遺構は何も残っていないようだ
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どうもこの辺りを、鹿児島の薩摩藩が治水事業をしたようで、薩摩藩の人の墓がある
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今尾城
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豊臣秀吉の家臣の市橋長勝が、1587年1万3千石を与えられ今尾城を居城 1619年尾張藩付家老の竹腰正信が、美濃国内に1万石を加増され今尾城を居城
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今尾小学校の校門入った所に、案内看板があり土塁も残っている
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西願寺に今尾城の城門が移築されている
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西願寺の本堂
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西島城
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民家の横の藪が西島城跡と思われる 藪の中を覗くと、空堀らしき物が見えるが、ハッキリしない
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松の木城
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松の木城はネットに一切情報が無い ナビがこの工場の所を案内
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八神城
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城主が毛利氏と言うことだが、中国地方の毛利氏とは、何か関係あるんだろうか?
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民家の庭のような所に標柱と看板がある 県指定史跡なのに何とも酷い有様に愕然
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金宝寺に、毛利氏の歴代墓所があるので立寄る
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金宝寺入口に、八神毛利氏の歴代墓所の案内ある
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墓所には看板無いが、これが八神毛利氏の歴代墓所と思われる
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墓に刻まれた名前は読めないが、年代が文政9年となっている
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金宝寺の本堂
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加賀野井城
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天正年間(1573年〜1591年)頃に、加賀野井秀望が織田信雄に仕えて415貫文を領していた 小牧長久手の合戦では豊臣秀吉によって攻撃され落城
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田畑の中にポツンと石碑と案内看板があるのみ これも県指定史跡だが、史跡の登録基準はどうなってるんだろう?
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石河邸
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伝法寺の入口に、石河邸跡の標柱があるのみ これでも羽島市指定史跡である
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今日は、市や県指定史跡もあり少しは期待していたが、城郭や遺構では全く物足りなかった 救いは、広い濃尾平野を快適にドライブ出来たことか
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