21.5.3 土岐、瑞浪、多治見




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細野城(再訪)


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鶴岡山登山道が登城道で、正福寺にも登山口があるが、B鶴岡山登山の看板が立つここ(正福寺北東500m辺り)が、城址へ一番近いと思われる


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入口に細野城址0.4kmの標識がある 因みに正福寺からだと1.8km


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登城道は整備されて歩き易いが結構キツイ 0.4kmとあるが、絶対もっと長い


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尾根道の大手道 標識がしっかりあるので助かる


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大手曲輪の下を通ると、@曲輪へ上がるA虎口 ここまで25分かかる


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虎口を上がると@曲輪の標識がある主郭


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主郭の北西側、大手曲輪との間にあるB堀切


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B堀切は深くなくて、直ぐ降りれる


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B堀切の先は大手曲輪 ここにのぼり旗が立ち、下からも見えるとネットにあったが、旗は破れて絡まっていて、下からは望めなかった


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大手曲輪の更に奥に、堀切らしきものが見えるがハッキリしない


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大手曲輪からの眺望はとても良い 写真の中央左に正福寺が見える


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@曲輪の中央に大きな土塁があり、主郭を2つに分断している


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主郭の南側に、幾つもの看板が立っている


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この縄張図は分かり易くてとても良い


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細野城は、1584年の小牧長久手の戦いの際か、1600年の関ケ原の戦いの際に築かれた、と書かれている


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主郭の南東側にあるD喰違虎口 喰違の意味が良く分からないが、登城して来た北西側が大手虎口で、この南東側は搦手虎口と思われる


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D喰違虎口へ入る手前のA土橋 両側に深い竪堀が谷へ落ちている


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北東側へ落ちる竪堀


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北東へ落ちる竪堀の上に、台所跡の標識があるが、先ほどの縄張図には載っていない


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A土橋とB搦手曲輪の間のE堀切


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B搦手曲輪


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B搦手曲輪の東にあるF堀切 縄張図と合わせた標識があり、悩まずに遺構を確認出来る


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B搦手曲輪から@曲輪の方向を見る 曲輪と堀切が交互に連なっているのが良く分かる


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かなりキツイ登城道だったが、城郭や堀切の遺構が良く分かり、楽しい細野城址巡りとなった


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下城後、正福寺に立寄る


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正福寺の裏にある鶴岡山登山口 細野城址まで1.8kmの標識があり、こちらからの登城は更に大変と思われる


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鶴ヶ城(再訪)


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登城口は、中央高速沿いの農道にあるが、県指定史跡なのに駐車場は無い


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登城口にある鶴ヶ城縄張図 入口の所にP5台可とあるが、駐車場は見当たらなかった


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登城口から直ぐに急階段が続く 登城時間20分と案内あり


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大きくて立派な城址碑 美濃源氏土岐氏古城と刻まれている


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急階段が続き結構キツイが、城址までの距離は短い


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5分程で城址の入口の2ノ木戸跡に着く 登城道の2番目の木製の門があったようだが、その面影は全然ない


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西出丸下の腰曲輪


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西出丸跡 眺望抜群と案内ある


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西の出丸だが、南に張り出した尾根の先端にある


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中々素晴らしい眺望 東側の高い山は恵那山と思う


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西出丸の土塁


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御殿場跡 本曲輪の南下にあり、往時は城主の立派な御殿が建っていた、と思われる


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遺構が点在していて、忙しい散策となる 謎の穴石と案内あるが、丸くくり抜かれている穴は、何なんでしょう?


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鶴ヶ城の見所の一つは、高い切岸 東出丸の壁も高くて急な切岸


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葵の井戸 落城の折に葵姫が身を投げたとあるが、誰との戦いだったのか説明が無い


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葵の井戸の上の切岸は一段と高い 上は本曲輪になる


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本丸輪に上がる手前に東出丸があり、ここも眺望抜群と案内ある


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東出丸からの眺望は西出丸からと全く同じ


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本曲輪へ上がる虎口 縄張図には枡形虎口と書かれている


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広い本曲輪で、本丸跡の標柱や城址案内や、神社も2つある


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鶴ヶ城は、鎌倉時代に美濃国守護となった、土岐光衡(みつひら)による築城 ここは神箆(こうの)という地で、神箆城、土岐城とも呼ばれている


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県指定史跡で、城郭や遺構がしっかり残り、案内もあるので、楽しい城巡りとなる


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本曲輪の北側の斜面も切岸の案内ある ほぼ垂直に落ちる壁で、人が削った斜面とは、とても思えない


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城豊神社と表札ある


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土岐神社 南北朝時代に活躍し、足利幕府を支えた土岐氏を祀っている神社、と案内あり


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土岐神社の裏に、大堀切があるが、ここからは降りれない


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本曲輪からの眺望 のぼり旗に、土岐源氏・土岐一族発祥の地、とあるのは良いが、素性が定かでない明智光秀が、一緒に書かれているのはちょっと違和感あり


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土岐神社下にある大堀切は、西出丸から降りるこの道で行ける


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一応丸太階段になっているが、かなり朽ちていて危険


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何とか大堀切の下にたどり着く


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土岐神社下の切岸 圧巻の高さが何とも凄い


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大堀切を奥から見ると、高くてキレイなV字をしていて、見栄えがとても良い


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一日市場館(再訪)


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八幡神社が館跡 一日市場館は、鶴ヶ城を築いた土岐光衡の居館


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明智光秀が、土岐氏始祖・光衡の直系の様になっているのが、気に入らない 近くに土岐頼貞の墓があるようで、後で立寄ろうとしたが、何処にあるか見つけれなかった


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明智光秀ゆかりの地の立派な石碑に、土岐光衡と明智光秀の像が並んである


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鎌倉幕府御家人・源土岐三郎光衡公の像 源頼朝が富士裾野へ夏狩に出掛けた際、随行した土岐三郎は光衡と推測されるとあるが、三郎光衡と書かれているで、確かなんだろう


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穏やかな顔の明智光秀の像


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美濃源氏土岐氏は聖和天皇から出ている 光秀の名前も一番左下にある


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この説明看板は文字が多過ぎて、読む気にならない


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八幡神社境内の裏に低い土塁あるが、往時の土塁なんでしょうか?


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高山城(再訪)


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最初は穴弘法と言うところの駐車場へ行くが、山の上の城址にも駐車場があるので、車で山へ上がる


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三の曲輪跡が駐車場になっている 慈徳院を目指して行くと、城址への標識が各所にあり、迷わず着けた


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穴弘法から登って来ると、冠木門があるここに出る


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高山城は、承久の乱(1221)の頃に土岐氏一族の高山伊賀守秀頼が築城 単純な曲輪跡があるのみで、遺構は残っていない


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三の曲輪から一の曲輪への入口に、カッコ良い冠木門が建っている


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大きな石の城址碑も中々立派


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一の曲輪跡の平地 公園として整備されている


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一の曲輪のフェンス下に、二の曲輪の石碑があるが、二の曲輪へは下りれない


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一の曲輪の石碑があるが、遺構が無いので物足りない


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自由に上がれる櫓が建っている


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高山城の大きな看板が印象的


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櫓の上からの眺望 土岐川と土岐市街を見渡すことが出来る


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一の曲輪の奥に井戸跡の石碑があるが、井戸らしき跡は何処にもない


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三の曲輪の入口に堀切の石碑あるが、堀切は残っていないようだ


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岩の上に山の神の碑 この大きな岩を山の神として崇めたようだ


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根本城(再訪)


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武田氏が東濃を侵攻した際に、武田氏の一族の若尾氏が最前線として築城 1582年、武田氏滅亡後は若尾元昌は森長可に従うが、小牧長久手の戦いで嫡男の若尾元美が討死している


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根本城の縄張図 曲輪と堀切の遺構が残っている


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登城入口に、駐車場がある墓地があり、駐車の心配はない


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既に足はガタガタで、城址に辿り着けるか心配だが、頑張って登る 城址への標識が各所にあり、迷う心配は無い


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長いジグザグの登城道が続く 10歩歩いては立ち止まる、超スローペースで登っていく


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30分程歩くと、旗挙げの松の標柱がある所に到着 この辺りから城郭になるようで、主郭は直ぐ上にある


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主郭と搦手曲輪の間の大堀切 文化財保護のため進入禁止で、ロープが張られている


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大堀切から主郭へ入る 後で気付くが、こちらは搦手口のようで、大堀切の手前は搦手曲輪になっている


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土塁の上に、根本砦跡の標柱が立つ 根本城は多治見市の指定史跡になっている


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主郭から多治見市市街を望むことが出来る


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土塁の上もロープが張られて、大堀切へは進入禁止で、とてもつまらない 実は内緒でロープを潜って大堀切へ降りる


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大堀切の奥の曲輪は、搦手曲輪の案内板が立っている


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やはり堀切は下に降りて、V字になっているのを見たい


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堀切から竪堀が谷へ落ちている


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搦手曲輪も進入禁止だが、堀切を上がってちょっと入る 当然文化財を荒らさないよう静かに入る


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尾根上に搦手曲輪が広がっている


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搦手曲輪から大堀切越しに主郭を見る 主郭の土塁の高さが良く分かる


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主郭から下段の二の曲輪へ ここが主郭の大手虎口と思われる


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二の曲輪から主郭を見上げる 主郭の壁も切岸と思われるが、ここは簡単に下りれた


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二の曲輪の平地は結構狭い


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主郭に戻り、大きく深呼吸して今日の城址巡りを終える 因みに根本城の散策は、1時間15分でした