10年6月2−9日 フランス・スイス・ドイツ
   4大絶景 8日間
    阪急交通の旅行案内   旅行内容(添乗員記)   女房の記録

フランス・スイス・ドイツ旅行の全ビデオ   YouTube




◆1日目 出発-上海観光     サムネイル   スライド   ビデオ

定年退職前(9月定年)7日間の休暇を貰い、憧れのヨーロッパ旅行の実現です。
またまた、阪急交通社の格安ツアー旅行を利用する。
飛行機は中国、全食事付きだがグルメはなし、ホテルも並、それでもいい、
嬉しさいっぱいで9:20家を出発する。(集合は11:20だが)

新車(5/29納車)プリウスでセントレアへ。 エコ運転でセントレアまでの45km、
を45分で走り、燃費は23.3ℓ/kmで、さすがプリウスである。
最近、報道されている不具合は全く心配なし(安心してプリウス買って下さい)

やはり早すぎた出発で時間を持て余す。最初はスターバックスでケーキ、
今回は我慢しようとしていたが、ついにビールへも手が出てしまった。

重要なのは両替。 円高のお陰で海外旅行は得する。
今日の為替レートは、
 ・ユーロ=115.38円
 ・スイスフラン=83.50円
 ・元=15.12円

ユーロ:300、フラン:60、元:300、と両替するが、
土産はカタログで購入済みだから、ちょっと両替過ぎたかも。


12:00搭乗手続きを済ませ搭乗口に入るが、出発は13:20とまだ先であり、また時間を持て余し缶ビールを飲んでしまう。
女房は、お隣さんへ、飛行機が落ちたらプリウスを引き取って欲しいと、真剣にメールを入れている。
12:50搭乗開始、ほぼ満席である。 そして定刻の13:20中国東方航空のMU−0530便はセントレアを出発する。













セントレアを離陸し水平飛行になると直ぐに機内食が出る。 うなぎとポークの選択だが、私はうなぎを貰うが、
女房は品切れで選択の余地がなく、ポークとなる。 飲み物サービスは女房も缶ビールにして、ビール2缶飲む事が出来た。

上海までは約2時間程の飛行で、あっという間の15:40着陸する。
バリ行きの飛行機は00:50発の夜中であり、ヨーロッパ旅行なのに、おまけの上海観光を楽しむ事が出来る。










上海観光の現地ガイドは孫さん。 一生懸命上海を案内してくれたが、日本語はもう少しで、喋りが早すぎて今一聞き取れなかった。

まずはお茶屋で一服となる。 昨年中国旅行した時入ったお茶屋と全く同じ感じで、若い女店員が、小さな湯呑に5茶を入れてくれる。
その内、店員があちらこちらから現れ出し、売り込みを始める。 捕まると中々解放されないのを、昨年の中国旅行で経験したので、早々と店の外に退散する

上海の最大の観光スポット”外灘:ワイタン”を見る。 大河を挟んで、浦東は古い建物が立ち並び(中国が侵略された時の欧米の建物と思う)、
浦西は超高層ビル群であり、どちらも非常に見応えのある景色だ。
また、観光客の多さも半端じゃない。 今は上海万博開催中でありそのせいなのか?

夕食は、レストランで上海料理と言う事だが、大衆レストランであり、店中は客や店員でごった返していた。
料理は上海料理と言う事で期待したが、何がメインか解らないような料理だった。
レストラン出口に、万博マスコットのキーホルダーがあり、それを覗き込んだのが間違いであった。
3ケ1000円から、5ケ1000円、次に10ケ1000円となり、何となく安いな、と思って買ってしまった。 レストランの外では30ケ1000円で買った人がいた。

20:00過ぎてやっと薄暗くなって来た。 浦西へ入り夜景見物をする。 3000万ドルの夜景と言われるだけあって、それは見事であり大感動する。
日本では、素晴らしい夜景を100万ドルの夜景と言うが、その価格差通りの素晴らしい夜景である。

上海観光も終了し22:00空港に到着する。 空港内で酒(しょうこう酒)を仕入れ、明日の酒の心配を断つ。
パリ行き飛行機は、通路側か窓側かの席を選べれる。 2,3,2列の席配置と言う事なので、窓側にする。
バリ行きは00:50発であり、まだまだ先である。(疲れがどっーと出て目が開いておれなくなる)

(注)上海は日本時間と1時間の時差ありますが、上記時間は日本時間で記載



◆2日目 モンサンミッシェル観光     サムネイル   スライド   ビデオ

日本時間00:50、中国東方航空MU−0553便はパリへ向けて離陸する。
パリまでは約12時間、狭いエコノミーの席で座って過ごす苦痛が心配になる。
(長時間の飛行機の苦痛は、4年前のカナダ旅行で嫌となる程体験している)

1:50時外れの機内食が出る。(どうも航空法で機内食サービスまで決まっているようだ)
フィッシュ(メン)or豚肉(ご飯)の選択だが、二人ともフィッシュを選ぶ。
今は真夜中で、頭は朦朧とし腹も減っていないのに、それでも出た機内食は全部食べてしまう。

5:00殆ど眠れずに過ごすが、足腰のダルサが限界となり、じっーと座っていることに耐えれなくなる。
機内後ろのトイレの前に若干のスペースがあり、そこで暫くストレッチ運動しながら過ごす。 同じツアー客の爺さんも一生懸命運動している。
トイレの前のスペースの奥は、スチュワードが控えていて、飲み物は自由に貰える。 暫く運動を続けながら、2杯の水を貰う。
まだ行きだから、この苦しみも克服できるが、帰りは耐えられるだろうか? と本気で心配になる。
30分ほど立って過ごし席に戻ると、女房は狭い2座席を使い、窮屈な状態で横になっていた。 じっと座っているより、横になっている方が楽なんだろう。

バリ時間4:07(日本時間と7時間の時差:日本時間は11:07)再び機内食が出る。 パリの早い朝食と言ったところだ。
豚肉とメンの言う事だが、見た目は悪いが結構美味しかった。 パリ到着までは後2時間程、ほとんど眠っていないが目は冴えている。

飛行機は既に欧州大陸の上空を飛んでいるのであろう、高度が高くて薄らとしか見えないが、緑一面の平原である。
何でこんなに緑一色なんだろう? 欧州に田んぼなんか無いのに、そうかぁ、きっと森と草原なんだ、と勝手に思う。
パリに近づくと、緑の中に点在する住宅群が見え出す。 どの住宅も周りに木が一杯植えてある。 茶色の家の周りを緑が取り囲み、住宅地の上空も絵になっている。

6:06パリ・ドゴール空港に着陸する。 上海からの12時間の飛行は苦しかったが、これからがヨーロッパ旅行であり、元気を奮い立たせる。

7:10ドゴール空港から、フランス西海岸にあるモンサンミッシェルへ出発する。
現地ガイドが付くかなと思ったが、添乗員の平賀さんがそのままガイド役である。
モンサンミッシェルは、世界大戦で名高いノルマンディー地方にあり、
ドゴール空港からは約360kmも離れている。
長い飛行機の次は長いバス移動となる。

ノルマンディーへの道は、緑一色の大平原の中を行く道であり、
これが飛行機から見た緑の大地であった。
大平原は緑の麦畑けと牧草の連続で、走れども走れども景色は変わらない。
ヨーロッパ大陸の広さを痛感する。

フランク王国が東西に分かれ、西フランクがフランスになった
(東フランクはドイツに)、フランス人口は6000万人、
シールドはサイダーで無くリンゴで作ったアルコール、等等
平賀さんのガイドがあり。

8:30変わらずの景色の中、時間を持て余し、
上海空港で買ったしょうこう酒の封を開けることに。
バスの中は、皆熟睡状態に陥っているが、自分は緑の平原を見ながら、
チビチビとしょうこう酒を傾けて時を過ごす。




一度SAでトイレ休憩があるが、バスはひたすら走り続け、13:00モンサンミッシェル手前のホテルのレストランに到着し、昼食タイムとなる。
昼食は、オムレツとじゃがいものビーフシチュー。 オムレツはふわふわの卵クリーム? が一杯かかりちょっと迫力を感じる。 デザートに堅いケーキも出る。
フランスに来たのだから、ワインは欠かせない。 赤と白とおまけにビールを注文する。 バスの中のしょうこう酒と合わせ、けっこういい気持になってしまう。

14:10バスは駐車場に到着し、いよいよモンサンミッシェル観光となる。 モン= 山、サン=聖、ミッシェル=ミカエル(悪を倒す騎士)の意味と聞く。









現地ガイド:フローレンスさんの話を平賀さんが通訳してガイドするかたちで観光となる。 8世紀〜18世紀の1000年、試行錯誤しながら完成した、と言う。
しかし、自分はヨーロッパの歴史や建築物には興味が無いので、平賀さんが親切丁寧にガイドして呉れても、全然頭に残らな。
けっこう急坂をらせん状に巡りながら上って行く。 頂上からは、北海(女房はサンマロ湾だと言うが当てにならない)の眺めが、まことに美しい。
ここの海は、干満の差が非常に大きく、今は干潮で時で、遠くまで干潟になって海底が見えている。 白い海底と青い海水と緑の平原が、非常に神秘的である。

ここでの自由時間が短かったのが残念である。 頂上で解散後、急いで下に戻るが、観光者が多く、狭い道は中々下りれない。
やっと下の有料トイレ(40セント)の所に着くが、女トイレは渋滞である。 土産物屋が建ち並ぶ通りも見物したかったが、タイム・オーバーで見れず。

15:40バスはまた360km走ってバリまで戻る。 さすがこの時間は眠たくなる。 持って来たデジタルプレイヤーで昔(60〜80年代)の歌を聴きながら、ウトリウトリする。

21:00やっとホテル到着である。 この時間なのにまだ明るい。 パリは、北海道よりも上で、樺太の真ん中辺りの緯度らしい。
遅い夕食は、ホテルのレストランで、キューシュパイとメインがポーク料理であるが、途中SAでケーキを食べており、腹は減っていない、と言うよりまだ満腹状態だ。
私も女房も、料理をほとんど残してしまうが、赤・白・ビール(で9.5ユーロ)は止められない。 これで、やっと昨日からのながーい一日が終る。



◆3日目 バリ市内&モンブラン観光     サムネイル   スライド   ビデオ

モーニングコールは6:00であるが、5:10に目が覚める。
睡眠時間は短いが、疲れからぐっすり熟睡できたので、体調は快調である。

朝食前に、ホテル周りの散歩にでる。 ホテルはマンションが立ち並ぶ住宅地にあり、
立派な競技場と古い教会を発見する。 住宅地なのに、区画された駐車場はなく、
路肩は青空駐車の車で溢れ返っていた。

6:30早い朝食。 バイキングでパンの種類は豊富にあるが、おかずはハムとチーズ類のみで、
ちょっと寂しい。 ハムを多めに取る。

7:70ホテルを出発し、バスはパリ市内へ向かう。
パリ市内を、バスの車窓からの観光なのが残念である。 見るべき歴史遺産も多くあるようなので、
ゆっくり散策しながら観光したいパリである。(きっともう来ることは出来ないだろうが)
何処の都市にも建ち並ぶ高層ビルがパリには無い。 美観を損ねる、と言う事で条例で制約されているようだ。
エッフェル塔は、今ではパリのシンボルとなっているが、建設された当時は、
避難ごうごうだった、と平賀さんのガイドあり。

エッフェル塔前の広場では、平賀さんの配慮でバスから降りて、写真タイムを設けて貰える。 正面にデッカく立ちそびえるエッフェル塔は絵になっていた。
何枚も写真を撮るが、ちょうど朝日が逆光となり、ちょつと暗い写真になってしまうのが残念である。
この広場には、エッフェル塔の模型を売る黒人が多くいたが、中国人のようなしつこさはなく助かる。
広場の反対側には、立派な銅像があり、ボッシュ将軍と聞いたが、何をした人かは知らない。

パリ市内観光では、平賀さんが多くをガイドして呉れたが、全てをメモ取れなく忘れてしまうが、次のものは見た筈である。
 −ノートルダム大聖堂、セーヌ川、凱旋門、シャンゼリゼ大通、エッフェル塔、コンコルド広場、他−

↓ 車窓から撮影したパリ市内




9:10リヨン駅に到着。
リヨンからスイス国境に近いアヌシーまでは、フランスが世界に誇る新幹線”TGV”に乗る。
リヨン駅は不思議な駅で改札口が無い。 一般道から直接ホームに入ってしまう。
車内改札があるにせよ、日本ではちょっと考えれないことだ。
TGVは、時速300km以上のスピードだと思うが、スイス国境に近いアヌシーまで、約3時間半かかる。
当然売店車両もあり、ビール2缶を仕入れ、景色を楽しみながらのTGVの旅だが、
景色は見慣れた大平原の連続だし、車両は揺れる(日本の新幹線の方が余程か優れている)し、
でそんなに快適な旅とはならなかった。
また、ビール2缶飲んだだけなのに、やけに腹一杯になってしまい、昼食の幕の内弁当が食べれなかった。
今回の旅行の唯一の日本食で、味付けも美味しい、と皆が言っていたのに、残念至極である。

13:20アヌシー駅に到着する。
リヨン駅では、サポーターがスーツケースをTGVに乗せてくれたが、ここでは車内から駅の外まで、
各自で運ばなくてはならず、荷物移動が大変であった。(2回のエレベータ上り下りあり)

今日から5日間、バス観光の運転手(ドラちゃんと呼ぶ)はドイツ人のイビさん。
立派な体格(特にビール腹が凄い)の中年オヤジで、顔はアルコールが入っているように赤かった。
イビさんは、日本語もある程度理解しているようで、片言の日本語であるがユーモアある挨拶してくれ、親しみが持てそうで気に入った。
(特に共通な腹に気に入ったのかも)

アヌシーはスイスとの国境の町であり、静かで落ち着いていて美しく、とても感じが良い町です。
町を抜けると、思わず”凄い”と叫んでしまう程、素晴らしく美しいアヌシー湖が広がっている。
今回の旅行は4大絶景の旅だが、平賀さんが、”ここは5大絶景に入るでしょ”と言ったが、正にその通りだと思った。
ここはバス車走のみの予定であったが、時間の余裕があり、バスから降りて湖畔まで行くことが出来た。
写真を撮りまくってしまうが、それほど山の中のこの湖が美しかった、と言う事でした。(カナダのビクトリア湖?に似ていると思った)

14:00バスは、モンブランの街シャモニーへと走る。 シャモニーまでは約100km、高速道路を走るので90分程である。
ちょっと前までは、酷い天気が続いていたと言う事だが、今日は快晴の天気であり、アルプスの山々やモンブラン峰が、車窓からではあるがよく見えた。
今回の旅行は、天気に恵まれて超ラッキーである。 (山を見に来て天気が悪いのは最悪ですからね)

16:00発の赤い登山電車に乗って、モンタンベール展望台へ。
山裾の急斜面をゆっくりと電車は上るが、
シャモニーの街がみるみる下の方になって行く。
シャモニーの街の標高1036mから展望台の1913mは、
約20分の電車の旅である。
展望台からは、切り立った山から大氷河(メールドグラス氷河)が、
流れているのが見える。 大迫力の景色であり、
本当に、ここまで来て良かった、と思った。

展望台で三脚を立て写真を取ろうとしていたら、ベンチに座っていた老夫婦のお爺さんの方が、
写真を撮るポーズをしながら話しかけて来た。 喋りは解らないが、
”写真を撮ってやろう”と言っているのは明かであり、カメラを渡し取って貰う。
(この老夫婦とは帰りのシャモニー駅で電車を降りた時会い、女房と一緒に写真撮らして貰う)

感動の大景色であるが、モンブランを見に来たのに、モンブラン峰が見えないのは何故だろう?
(後で知るが、ここは本来予定の所で無かった・本来予定地は運休中でこちらに変更となった)

17:00下山電車に乗ってシャモニーへ戻り、街を散策する。 道の両サイドに店が並び、
ぶらぶら歩く観光客が非常に多く、まるで軽井沢のような感じがした。

シャモニーの街からはモンブランが見えるが、その横の尖った山の山頂に建物がある。
本来は、あそこへ行く筈だったのを知り、愕然とする。 確かに今日の展望台も迫力あったが、
周りの山を見上げる展望である。 が、あの山の山頂まで行けば、モンブラン以外は見下げる展望となる。
何でロープウェイのメンテナンスで運休するんだ、と返す返すも残念である。


街の広場に、二人の銅像(一人はある方向を指差している)がある。 これは”あれがモンブランだ”、と登山家に教えているそうで、
指先は確かに真っ直ぐモンブランを指していて、なかなか面白い銅像でした。
通りの店にスーパーがあり、ホテルでの酒を求める。 ワインも色々あるがよく分からないので、ジョニーウォーカーを見付け、17.6ユーローの赤を買う。
これでホテルでの酒の心配が無くなり一安心する。

夕食は、シャモニーのレストランでラクレット料理。
ラクレットとは、”切り出す”と言う意味で、大きなチーズの塊りをヒーターで熱し、とろけ出るのを掻き出して、ふかしたジャガイモに付けて食べる。
じゃがバタならぬじゃがチーズであるが、味はじゃがバタに似ていた。
他にハムと野菜サラダが付いているが、珍しい料理ではあるが、そんなに豪華な料理では無い。

19:50ホテルに到着する。 ホテルは、シャモニーの町からバスで10分程の所にあり、山小屋風の建物でモンブランと非常にマッチしている。
部屋に入ると、大きなダブルベットが一つが目に入り、思惑と違っていてちょっと驚く。 バスとトイレが別部屋になっているのがいい。
(バス・トイレの同室が多いが、私は違和感があり好きになれない)
バスを浴びた後は、スーパーで買ったジョニ赤を楽しむのみである。 が、4杯飲んだ処で非常に眠たくなり、大ペットにころがると同時に熟睡に入った。


◆4日目 マッターホルン観光     サムネイル   スライド   ビデオ

まだ眠たいのに、どおしても起きてしまう。
5:10に起きてシャワーを浴び、5:40ホテル周りの散策に出る。
早く起きて本当に良かった。 ホテルを一歩出ると、
朝日を浴びるモンブランの全景が目の前に広がっている。
早起きは三文の”徳”と言うが、この景色は正に”得”した気持ちになれた。
昨日、モンブランの写真を数多く撮ったが、今日のこの一枚があれば良い、と感じた。
ホテルの裏は森で少し中まで歩く。 山小屋が何件かあり、
宿泊ホテル同様、山小屋越しに見るモンブランも良いな、と感じながら歩く。

朝食は、パンにハムとチーズがメインだが、
私の好きな、いり卵とゆで卵もある。 いり卵多めにすくってしまい、
今日もまたづつないほど食べてしまった。

8:00バスはホテルを出発して、マッターホルンへ向かう。
テーシュまで約150kmあり、今日も長いバスの移動となるが、
マッターホルンが待っているので、ワクワクのバスの旅である。

フランスからスイスへ入るが、通関手続きは一切ない。 スイスはEU加盟していないが、通関条約が結ばれていて自由に入出国出来るようだ。
国境には、遮断ゲートは無いが建築門があり、写真を撮るが、こういう所は写真禁物だ、と通過した後平賀さんが言う。 これは後の祭りであった。

スイスは小さなアルプスの山国と思っていたが、フランス同様真っ直ぐ延びる高速道路の両側には、広大な大草原やブドウ畑が果てしなく広がっていた。
テーシュに近づくと山間の道となり、周りは雪をかぶる険しい山々で、アルプスの醍醐味を味える車窓となる。
バスの車窓からは、綺麗に写らないと知りながら、ついついビデオをまわし、写真も何枚も撮ってしまう。

10:20テーシュ駅に到着するが、一刻も早くマッターホルンと対面をしたい、と言う事で慌ただしくツェルマント行きの電車に乗る。
テーシュから先も道はあるようだが、ガソリン車乗り入れ禁止で電車となる。 環境保全に力を入れるスイスは立派である。
テーシュからマッターホルンの町ツェルマットまでは電車で10分である。 この電車には、自転車や犬まで乗り込んでいた。



10:50ツェルマント駅に到着し駅の改札口を出ると、いきなり平賀さんが、" さぁ皆さん、あのホテルの奥を見て下さい”と言う。
ホテルの屋根越しに、あの特徴あるマッターホルンが小さく見えた。 私は、今回の旅行で一番の目的は、マッターホルンの展望としていたが、
初めて見る実物に感動はするものの、ここからでは小さくて今一だ、という印象しかしなかった。

ツェルマントでは、マッターホルン展望台へ上るケーブルカーを待つ間に、昼食タイムとなるが、洋食弁当が出た。
弁当は、サンドイッチ、丸ごとのりんごと洋ナシ、ペットボトルのジュース、であり、これには参った。(歯がダメでリンゴの丸かじりは到底不可)
日陰も無く、日差しの強い中ベンチに座って食べるが、ジュースでサンドイッチを腹に流し込む、と言った昼食になる。

12:00ケーブルカーでスネガ展望台へ上がる。 そしてついに、マッターホルンの全景を見る。 幾つもの嶮しい山々が連なる中、
中央に一段と高くそびえているマッターホルンは、誠に美しい。 向かって左が東壁で、右が有名な北壁と聞く。
北壁は、神様が斧で削って出来た、と言われているそうだ。(平賀さんがそう言った)

アルプスの中で最後まで登頂されなかったマッターホルンだか、1867年イギリス人の登山家・ウイッパーにより初登頂されたそうだ。
それにしても、あの垂直のような絶壁を、標高4478mの山頂まで登るとは、大したものである。

この景色は見飽きることは無い。 そして何枚も何枚も写真に収め、また何度も何度もビデオまわし、40分程の展望が終わる。

ツェルマットに戻り、街内の散策となる。

テーシュからは、ガソリン車乗入れ禁止となっているので、
電気自動車が移動の主役のようだが、馬車も多く走ってる。

古い(17世紀)倉庫が建ち並ぶ所もあったが、
街中は両サイドに店屋が並び華やかな通りとなっている。
名山のある町は、何処も同じようになるのか?
この町も、昨日のシャモニーも、日本の軽井沢も、
同じイメージに感じてしまう。







テーシュへ戻り、14:40宿泊地のエンゲルベルクへ走るが、距離は約180kmあり、また長いバス移動が始まる。
コペンシュタインと言う町から道は無くなり、カートレーンに乗るが、乗用車でギリギリと思えるトレーンに、大型バスである。
何度も切り返し、数センチの隙間でバスを運転するイビさん、さすがプロのドライバーである。

カートレーンでは興奮したが、その後は、相変わらずの車窓だし、平賀さんのガイドも無いし、で皆は熟睡状態になってゆく。
自分は、持ってきたデジタルプレイヤーで歌謡曲を聞きながら、ジョニ赤をチビチビやりながら過ごす。

18:50エンゲルベルクのホテルに到着する。 ホテルは小高い所にあり、エレベータを乗り継いでホテルに入る。
結構格調高い感じのフロントやロビーであり気に入る。 部屋は、バスは無くシャワーとトイレであるが、2室もあり各室にペットが2つ並んでいる。
後で知ったことだが、この部屋は特別で、他の人たちの部屋はかなり狭かったようだ。
この事は、平賀さんに口止めされていたのだが、忘れていて”ぼそっ”とどこかで言ってしまった。



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   旅行から帰って2週間経つのに、紀行分は半分しか書けず。
   疲れました。 紀行文作成は挫折して、これで終です。
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◆5日目 ノイシュバンシュタイン観光・他     サムネイル   スライド   ビデオ




◆6日目 ロマンチック街道     サムネイル   スライド   ビデオ




◆7−8日目 フランクフルト市内観光−帰路     サムネイル   スライド   ビデオ