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ここは刈谷城址の亀城公園 3日連続の花見に出かける
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今朝の新聞の桜だよりは、亀城公園は五分咲きとなっていたが、満開近しの素晴らしい桜を楽しめた
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亀城公園は桜の名所だった 多くの桜が密集していて、昨日の岡崎公園よりキレイと思う
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桜トンネルも中々のもの
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水堀の赤い橋を渡って刈谷城の本丸へ
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水堀沿いに並ぶ桜景色がとても良い
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大きな鯉に交じって亀も 刈谷城を亀城と名付けのは家康と、ネットに載っていたのを見たことがある
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鳥小屋にクジャクがいて、丁度羽を開いてくれる 金網が細か過ぎてクジャクが良く見えないのが残念
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屋台も多く出店している 奥は本丸で高い土塁が残っている
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亀城公園の整備計画で、本丸に櫓等の立派な建物が出来るようだ
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豊田佐吉の胸像 豊田佐吉は静岡の湖西市出身だが、自動織機の会社を設立して、刈谷の工業化の基礎を築いた、と説明書きあり
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豊田佐吉の像のすぐ横に、刈谷城二の丸跡の大きな城址碑がある
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城池と名が付いている水堀も、見事な桜におおわれていて、とても素晴らしい景色
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二の丸から本丸への虎口 左側は3段の石垣が残っている
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本丸跡には小さな城址碑が立っている
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刈谷城は、家康の母・於大の方が育った城 於大は知多の緒川城で生まれている
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本丸跡に建つ十朋亭 十朋亭は大正5年に士族の会合場所して建てられたと説明あり
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本丸周りの高い土塁が中々良い
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ちょっと険しい階段だが、松葉杖でも何とか無事に下りれた
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屋台でロングポテトを買って一息入れる 城址公園は桜名所が多いが、亀城公園も中々素晴らしい桜でした
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亀城公園の後、安祥城址公園へ立ち寄り散策する
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安祥城址公園でも桜を期待したが、こちらの城址公園は桜は数えるほどしかない
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公園内の喫茶レストランで昼食 安祥城に因んだ料理がある
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私は安城城浮城カレー、女房は清康公の麗しきプレートを食すが、値段と名前ほど大した物でなかった
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安祥城は家康の源流・安城松平発祥の城 確か三代・松平信光が岩津城から安祥城に移転したと思う
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安祥城周辺は歴史の散歩道として、史跡巡りが出来るようだ
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左が大乗寺のある本丸、右が八幡宮がある二の丸
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信光が安祥城を奪い取り、清康が岡崎へ移るまで松平の総領家となっていた、と書かれている
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大乗寺の大きな山門がカッコイイ
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山門の下に安祥城址の立派な碑がある
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本丸に建つ大乗寺の本堂
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本田忠勝の親・忠高は3次安祥城合戦で戦死 忠高の親・忠豊も2次安祥城合戦で戦死している
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本田忠勝高の墓碑 大亀の墓碑は徳川に功績あった者だけに許された、と書かれている
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3次安祥城合戦で、城主の織田信広(信長の兄)を捕え、織田に人質になった竹千代と人質交換が行われている
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二の丸跡に建つ八幡宮を参拝して、早く骨折した骨がくっつくよう祈願する
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歴史博物館に入館するが大した展示はなかった 何故か松平清康が女になっている
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