22.4.30 長篠城と設楽原の戦い




img_0003_thumb.jpg
先日の浜松城・三方原の戦いの続きになる、長篠城・設楽原の戦いの地を見に行く


img_0006_thumb.jpg
新東名高速の長篠PAにある長篠の戦いの看板


img_0009_thumb.jpg
PAの麓に見える平地が設楽原


img_0011_thumb.jpg
家から持参したコーヒーで一服 家からPAまでは80km程で一時間かからずに着く


img_0012_thumb.jpg
長篠城址にある史跡保存館 入城料は220円


img_0015_thumb.jpg
長篠城は、桶狭間の戦い時は今川の城、三方原の戦いの時は武田の城、長篠の戦いの時は徳川の城


img_0021_thumb.jpg
保存館の入口に亀姫屋敷の門がある 亀姫は家康の長女で長篠城主の奥平に嫁いでいる


img_0023_thumb.jpg
案内文には信玄は病死したとあるのに、絵は鉄砲で撃たれる場面になっている


img_0025_thumb.jpg
長篠城と言えば、鳥居強右衛門が一番有名のようだ


img_0028_thumb.jpg
この屏風図(新昌寺の寺宝)が、丁度今日から公開されていた


img_0030_thumb.jpg
長篠の戦いでは、信長は3000挺の鉄砲を用意して勝利した


img_0034_thumb.jpg
保存館・二階から 二の丸から本丸へ入る土橋の眺め


img_0038_thumb.jpg
二の丸と本丸の間の深い堀が何とも凄い


img_0041_thumb.jpg
長篠城は、今川の武将の菅沼氏が1508年に築城している


img_0042_thumb.jpg
長篠城は日本百名城の一つ


img_0045_thumb.jpg
のぼりまつりの旗が立ち、今まつり中なのか? 多くの武将の家紋の入ったのぼりも並んでいる


img_0052_thumb.jpg
城の南は絶壁で下は宇連川 鳥居強右衛門は、この川の対岸で磔にされた


img_0057_thumb.jpg
本丸周りの高い土塁が何とも素晴らしい


img_0059_thumb.jpg
城の南の対岸にある鳥居強右衛門が磔された場所


img_0060_thumb.jpg
勝頼から援軍は来ないと言えば命は助けると言われたが、強右衛門は援軍は来るから頑張れと叫んで、磔にされた


img_0064_thumb.jpg
立派な石碑があるが、現在は木に覆われていて、対岸の本丸は全然見通せない


img_0066_thumb.jpg
馬防柵が作られている所に、合戦屏風図がある 絵の左側が織田・徳川軍で、馬防柵の右側が武田軍


img_0069_thumb.jpg
再現された馬防柵 信長は兵に丸太を担がせて、岐阜を出陣したと言う伝説がある


img_0073_thumb.jpg
信長は3000挺の鉄砲で、馬防柵に突撃する武田の騎馬隊を討ち果たした その時の壮絶な戦いが想像出来る


img_0077_thumb.jpg
しかし何で勝頼は馬防柵を破ろうとしたのだろう? 馬防柵を横に走り、柵が途切れた所から攻めれば良いのに、と思うのだが


img_0080_thumb.jpg
負けた勝頼はたった4騎で武節城に落延び甲斐に戻っている これから数年後に武田氏は滅亡している 


img_0082_thumb.jpg
馬防柵のある所から1km程離れている所に竹広激戦地がある


img_0085_thumb.jpg
竹広激戦地の近くに、長篠役設楽決戦場と刻まれた立派な石碑がある


img_0095_thumb.jpg
設楽原歴史資料館の所に信玄塚があり立寄る 信玄塚とあるが、小塚(織田・徳川)と大塚(武田)で、両軍の戦死者を葬っている


img_0100_thumb.jpg
歴史資料館に、全然認識のない岩瀬肥後守忠震と言う人の銅像が建っている


img_0103_thumb.jpg
昼食は道の駅・もっくる新城で メニューにJR高速バス運行記念定食がありこれにする あさりご飯が美味かったが、ボリュームいっぱいで食べ切れなかった


img_0105_thumb.jpg
三方ヶ原の戦い後、信玄が入った野田城を訪城


img_0110_thumb.jpg
小さな城址だが、二の丸から本丸へ入る土橋が中々感じ良い


img_0111_thumb.jpg
土橋の両側の大きくて深い空堀も見応えあり


img_0113_thumb.jpg
本丸の土塁の上に城址の石碑がある


img_0115_thumb.jpg
野田城の道を挟んだ対面にある崖上で、笛の音を聞いていた信玄は、ここから狙撃される


img_0118_thumb.jpg
信玄は、金堀人足を使って穴をあけ水を断って野田城を落としたと案内あるが、本丸にあるこの大きな井戸も水を断たれたのだろうか?


img_0119_thumb.jpg
現在は水は無いが、大きな井戸である


img_0122_thumb.jpg
野田城の道を挟んだ対面に、法性寺があり、ここに野田城の大門が移設されている


img_0128_thumb.jpg
法性寺の境内の崖上に、信玄が撃たれた場所がある


img_0130_thumb.jpg
崖上は険しい階段で、装具の足で上がるのは危険過ぎる


img_0133_thumb.jpg
女房一人崖上に上がり、信玄が狙撃した場所を写すが、信玄が亡くなったのは、狙撃説より労咳の病死説の方が正しいと思う


img_0138_thumb.jpg
豊川から高速に入り帰るつもりだったが、野田城の近くに豊田へ行く国道301号があり、こちらで帰る 作手の道の駅で、持参したおしるこで休憩


img_0141_thumb.jpg
道の駅の隣の森が亀山城址


img_0142_thumb.jpg
亀山城は2度訪城しているが、堀や土塁の遺構が素晴らしかった記憶があり、女房にも見せてやろうと思う


img_0146_thumb.jpg
西からの登城道 後で知るが、こちらが搦手道になるようだ


img_0147_thumb.jpg
本丸下の西曲輪 その下は本丸を囲む腰曲輪で、本丸を防衛している


img_0148_thumb.jpg
西曲輪と本丸虎口の土塁の高さが何とも凄い


img_0150_thumb.jpg
亀山城は、本丸を幾つもの曲輪と空堀で防御しており、要害の城と分かる


img_0153_thumb.jpg
上野国の奥平氏が作手に入り亀山城を築いている 奥平氏は当初は武田側だったが、信玄死亡後家康側になり、長篠の戦い時は長篠城に籠って、勝頼の攻撃を堪忍んでいる


img_0154_thumb.jpg
本丸に城址の石碑が建っている


img_0155_thumb.jpg
本丸周りの高い土塁が感じ良い


img_0157_thumb.jpg
本丸の東に二の丸からの虎口があり、こちらが大手道になっている


img_0159_thumb.jpg
虎口と両側の土塁が感じ良い


img_0160_thumb.jpg
二の丸から三の丸へ降りる道があるが、装具の足はそろそろ限界で、三の丸を見るのはパス


img_0162_thumb.jpg
本丸の高くて急な切岸も、見応えあり


img_0166_thumb.jpg
亀山城全景の森 伊勢にも亀山城があるが、江戸時代に、作手藩が伊勢に移って亀山城に入ったと案内があった


img_0168_thumb.jpg
亀山城からの帰り、古宮城の案内を見つけ立寄る 古宮城は凄い遺構が残る城址で、ここも女房に見せてやりたいが、装具の足では登城は難しく、またいずれとする


img_0169_thumb.jpg
先回の三方ヶ原に続いて、今日は長篠の戦いに思いを馳せての巡り、とても楽しかった