22.5.4 安城と西尾の城址を巡る




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今年のGWは、3年ぶりに新コロナの行動制限がなく、高速道路の大渋滞や観光地の大人出のニューズが報じられている


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渋滞も人出もない近場の城址巡りに出かける ここは安城にある村上明神社で山崎城址


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山崎城は1543年、織田氏側の三木松平家の松平信孝が、岡崎松平氏に備えて築いたとある


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神社本殿の裏に深い堀が残っている


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神社境内に立派な銅像が建っているが、あれは誰なんでしょう?


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桜井城は、豪族小浦喜平治が築城し、1471年松平信光の安祥城進出によりその支配下になっている


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桜井城址は公園になっていて、公園入口の石垣と土塁が感じ良い


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本丸り入口には冠木門が立っている


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土塁の上に大きくて立派な城址碑が建っている


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公園の広場が本丸跡と思われるが、遺構は何も残っていない


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石柱で囲まれた立派な墓がある


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隙間から覗くと、松平性の墓石が幾つもあり、歴代桜井城主の墓所と思われる


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三河一向一揆の本拠地の本證寺に寄るつもりだったが、お祭りをやっていて入れずにパス 一向一揆祭りでもやっていたのか? 境内に屋台も並び凄い人出だった


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ここは今川城址 西尾が駿河の今川氏の発祥の地になっている


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あまり理解できないが、三河国守護になった足利義氏から、吉良氏が出来て、吉良氏から今川氏が出来たようだ


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南北朝時代に九州探題として活躍した今川了俊の供養塔


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今日一番の目当てにしていた西尾城 西尾市歴史公園として整備されている


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二の丸御殿の表門の鍮石門(ちゅうじゃくもん)


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二の丸へ入るとこれがある これは要らないと思うが、すぐ使いたがる奴もいる


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京から移築された旧近衛邸 お抹茶は一服450円


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二の丸と本丸の間の大きな水堀が見応えある


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本丸入口の両側には、石垣と高い土塁が残っている


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本丸を囲む土塁が高くてとても感じ良い


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本丸井戸跡 西尾は海の近くで、水に困ることは無かったと思われる


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西尾神社の本殿 西尾神社は城とは関係なくて、太平洋戦争の戦没者を祀っている


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御剱八幡宮(みつるぎはちまんぐう) 承久の乱で戦功のあった足利義氏が、三河国守護に命じられた時、西尾城の築城に当たり本丸に移築した


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西尾城本丸表門跡


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城址碑が無いなぁと思っていたら、本丸の隅に立派な石碑があった


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本丸を囲む水堀


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本丸に建つ天守の様に見えるが、あれは本丸丑寅櫓


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平成8年に再建された本丸丑寅櫓は、本丸の丑寅(北東)の隅に建てられた櫓


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本丸丑寅櫓へはこの階段を上がる 装具の足ではちょっと厳しくパス


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女房が上がって、本丸丑寅櫓の入口写真を撮る


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資料館の方からだと、本丸丑寅櫓と水堀を合わせて撮れる


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資料館を出た所に姫丸辰巳櫓跡があり、幾つもの碑が見えるが何の碑か?分からず


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姫丸の裏は水堀で船着き場のようだ 西尾城は三河湾に面しており、船による物資の輸送が便利だったと思われる


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二の丸にある櫓も丑寅櫓 櫓と長い土塀の見栄えが中々良い


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西尾城の天守は二の丸にあった


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天守台の石垣が中々見事 二の丸丑寅櫓から土塀及び天守台は平成26年に再現されたもの


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天守台は結構広い ここに3重の天守があったようだが、二の丸の隅に天守とは珍しい


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唐揚げの店を見つけ、ここで昼食にする


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旨そうなメニューが並ぶ 自分はからやま定食(梅)で女房は親子丼


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大きな唐揚げで、総入れ歯では中々噛み切れず、食べるのに苦労しました


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この店は、かつやと同系列の店で、安上がりの昼食となる 因みに料金は二人で1300円


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東条城に訪城


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登城口はかなり急勾配で、装具の足ではかなりキツイ


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登城道は短く直ぐに城郭入口


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承久の乱の戦功により三河国守護になった足利義満氏が、西条城(西尾城)を築城し、その三男義継が吉良壮東条を譲られて、東条吉良の祖となったとある


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東条城址は古城公園となっているが、西尾城とは大違いで、整備はあまりされていない


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本丸の虎口 両側に土塁と柵があり、山城の感じが中々良い


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広い本丸跡 虎口を入った所に、以前来た時は物見櫓が建っていたが、今は取り壊されてしまっている


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今川氏も足利義氏から出ており、今川・吉良は同系列 桶狭間の戦い後は、家康と今川・吉良氏は戦い、1561年家康に攻められ東条城は落城している


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天下を掌握した家康は、東条城の子を旗本に取り立て吉良家を再興した、と説明看板に書かれていた 再興した吉良からあの忠臣蔵の吉良上野介が出ている


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吉良家の墓所がある華蔵寺に寄る 馬に乗った殿様は誰なんでしょう ひょっとして吉良上野介か?


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華蔵寺は吉良家の菩提寺 吉良上野介の曾祖父である吉良義定が、旗本として吉良家を再興した際に、父義安の菩提を弔うために慶長五年に創建した、と案内看板に書かれている


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三姫富子碑 後で分かるが、彼女は吉良上野介の女房


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華蔵寺の本堂 華蔵寺には、吉良上野介の木像(県指定文化財)が、義安像、義定像と並んで祀られている


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立派な吉良家の墓所


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義央(よしひさ)公と書かれているが、義央は上野介のこと


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義周公墓の案内に、吉良家と上杉家の家系図があり、義央と三姫が夫婦と分かる 忠臣蔵で吉良邸の隣が上杉邸だったのを思い出す


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岡山陣屋跡 上野介義央の名もあるが、彼の本宅は江戸にあり、この吉良で過ごす事はあったんだろうか?


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陣屋跡に、小さな門と馬に乗った吉良の殿様の像がある


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有名かどうか分からないが、石碑まである椿の木


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最後に黄金堤に立寄る 上野介の最たる善政がこの築堤とある


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黄金堤は城壁の土塁ではなくて水害防止の堤防 堤防は吉良藩側だけであり、隣の西尾藩は堤防造りに大反対だったようだ


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堤防上は桜の名所 桜の時期にはいつもニュースで報じられている


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上から見ると堤防の高さが凄いのがよく分かる


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ここで吉良氏と松平氏の戦いがあり、松平氏が大敗したとある


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安城から西尾にかけての城址巡り、西尾城以外は誰も訪れる人はいないマイナーな城址であったが、吉良氏の存亡に思いを馳せれて、中々楽しかった


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今日の出費は安い昼食のみ 折角のGW、帰りに刺身を買って帰る


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刺身と中国産の安いうな丼で、いつもより多めにビールを飲む