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今年のNHK大河ドラマは"とうする家康" 家康の祖先の地・松平郷を散策しに出かける
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朝9時に大給城址に着くが、駐車場(5台程駐車可)は一杯で、路上に止める事になるが、登城入口近くに止めれて返ってラッキー
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登城入口から5分程歩くと、大給松平氏の始祖・松平乗元の墓所に着く
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松平乗元は、松平宗家4代・松平親忠の子で岩津城で生まれている
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正月の城スペシャルで、大給城が紹介されていて、それで大勢の人が訪れているようだ
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大給城は以前訪城しているが、多くの遺構が残っていて、見応えのある素晴らしい城址
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大給城跡と松平郷にある松平城跡、松平氏館跡、高月院が松平氏遺跡として、国指定史跡になっている
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堀切、虎口、土塁、切岸、空堀、等大給城は見所一杯 城好きには堪らない城址
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下に広がる水の手曲輪の景色も最高に良い
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主郭の削平地を二分している石垣は見応えあり
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大きな城址碑もある
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物見岩がとても感じ良い
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トヨタ自動車本社のビル群が見える
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物見岩は一つの巨大な石 この圧巻の石は見るだけで感動する
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大きなマットレスを背負てる人がいて、何なんだろうと思っていたが、彼らは岩登りに来ている人で、転落時の為にマットレスを引いて岩登りをしている
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下の曲輪から主郭を見上げる 何とも凄い景色に興奮する
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狭くて急傾斜の危険な登城道が所々にある
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水の手曲輪に降りる
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更に下にも水の手曲輪が広がっている
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大給城の散策はとても楽しかった 路上駐車は更に増えていて、品川Noの車も止まっている
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次に松平郷を散策
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松平東照宮の堀と石垣
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松平東照宮のもとは松平氏館跡
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家康は岡崎城生まれで、直接松平郷と関係ないと思うが、どうする家康のポスターあり
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岡崎城で生まれた家康の産湯を、松平から運んでいる
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松平宗家初代の松平親氏は、もとは諸国を流浪する徳阿弥と称する坊さん、と説明書きがあった
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中々良い顔している 人差し指は何を指しているんだろう
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高月院は松平氏の菩提寺で、松平氏遺跡の一つ
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豊寿会ウォーキングで松平郷に来ると、この石段で記念撮影していたのを思い出す
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本堂にもどうする家康のポスターが展示してあるのが面白い
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この鐘は、自分以外の幸せの為につくようにとある
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始祖の親氏、二代泰親、四代親忠夫人の墓とあり、なぜこの3人なのか悩む
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宗家は岡崎に移って、松平郷は太郎左衛門家が継いでいるが、九代と十代のみ立て札があるのは何でだろう
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松平城址
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松平城は、始祖の親氏が1400年頃築いた山城
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カッコ良い犬 3匹は親兄弟でないと言っていた
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松平城は城郭はしっかり残っているが、堀切や土塁等の遺構が無い
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登城道は短いが、狭くて急坂で登城はかなりキツイ
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井戸がある筈だが見付けれず 分岐の道に案内無く、どちらへ行っていいか分からず諦める
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久しぶりの山城歩きは楽しかったが、どっと疲れた 脚力が弱くなっていて、険しい山城の登城は出来なくなってしまいそうで、悲しくなる
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どうする家康の1回目の放送は、桶狭間の合戦場面 大高城から岡崎へ敗走する家康が、お茶を飲んだ場所が堤にあるのを思い出し、翌日洲原公園散歩の帰りに立寄る
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堤八幡社に、こんな看板が設置されている
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大河ドラマの影響で、何か出来ているかと思ったが、看板があるのみで何にもないまま
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