2024.10.20 尾張の城址:清州城、中村公園




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清州城 天守閣の直ぐ近くに無料の駐車場あり


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清州城の天守閣は、黒と白の壁に赤い欄干が映えて、とても良い感じ


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往時の清州城には天守閣は無く、これは模擬天守閣と思われる


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天守台の石垣も中々素晴らしい


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横から見る天守閣もとても良い


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清州城の北西を流れる五条川に架かる大手橋


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五条川の眺め 清州城の入場は9時からでまだ20分前 先に清州公園を散策する


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赤い大手橋から望む天守閣は、一段と素晴らしい


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清州公園の案内図 公園は東海道線で分断している


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清州城の石垣


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信長・濃姫と大手橋と天守閣を、合わせて撮ることが出来る


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織田信長公社


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信長を祠るお社がある


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お社の横にある古城跡の碑 古城とあるので、今の清州城の以前は、この地に城があったと思われる


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戦争記念碑の案内


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案内に、西南戦争や日清戦争の戦死者の為に建立とあるが、何で西南戦争がこの地に絡むのだろう


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信長・濃姫像の所にある看板 濃姫の実際の名前は帰蝶と言う 二人は1548年に結婚している


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濃姫さんの銅像


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濃姫さんは庶民的な顔している


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信長の銅像


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信長は髭を生やしているが、あまり勇ましく無い


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夫婦の絆の看板あるが、信長は濃姫とは別居で、側室の吉乃さんと暮らしていたのでは


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五条橋の案内


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五条橋は、室町時代から架かっていて、1610年清州越で城と共にな名古屋堀川に移ったとある


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ここにも清州古城跡の碑がある 五条橋を渡った所に、前田利家とまつ説明板がある筈だが、見つけれなかった


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大手門と信長塀 信長塀は、土の中に瓦を入れて補強していて、萩城下で見た土塀と同じなのを思い出す


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信長塀の案内 桶狭間の戦い時、熱田神宮で先勝祈願し、勝利したのでお礼に奉納したとある


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清州城の前は、キレイな玉砂利の庭になっている


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清州城の入場は大人400円


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天守閣内は撮影が出来るのが良い 後で気付くが一部撮影禁止ゾーンあり


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大太刀が分解して展示されている


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清洲城下は楽市楽座で大いに繁盛したようだ これも後で気付くが、信長が楽市楽座を行ったのは岐阜へ移ってからだった


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やはり清州城には天守閣は無い


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本物じゃないが、結構大きな石なのに驚く


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尾張の守護は斯波氏で、守護代が織田大和守家で、信長の父・信秀は守護代の家来 その信秀が尾張を覇権している


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楽市楽座の説明書 岐阜で楽市楽座を布告したとある 謝金返済の凍結まであるのに驚く


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信長物語の紙芝居を見る 多分時間を決めて上演しているようだ


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信長の代表的な出来事を、分かり易く説明してくれる 上演時間は20分程


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紙芝居の上演者は、確かヤマトタケルと自己紹介した


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再度、館内を見物 信長の姪・江姫が主役の大河ドラマ


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大河ドラマ歴代の信長役 やはり信長役を演じるのは大物ばかり


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渡哲也の信長はカッコ良かった 竹中直人の秀吉と沢口靖子のねねも役柄ピッタシだった


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天守閣の最上階 撫ぜ金鯱がいた


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出陣の時の吉例太鼓 自由に打てるが、大きな音で誰かが打つとビックリする


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天守閣の欄干に出られるのが良い 遠くに御岳と乗鞍が見える


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赤い大手橋が目立つ


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玉砂利の庭から大手門と大手橋の景色が何とも素晴らしい


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名古屋駅付近の高層ビルの景色も中々良い


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新幹線も撮ることが出来た


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テレビ等は見えるが、名古屋城は周りのビルで見えない


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城からの出口は茶店を通る 一服頂くことに 料金は500円


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この人が入れてくれると思ったが、彼女は練習の最中だった


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女房は習ったので飲み方を知っているようだ


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天守閣の横の御殿がお茶店で、ちょっとした庭がある


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白い大きな花 名前が書かれていたが忘れた


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水琴窟 耳を傾けると澄んだ良い音が聞こえた


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昼食:とんかつ屋 移動中見つけた店で今日はレディースデ−になっている


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とんかつ屋なのに、店の前にドラゴンボールの看板あり


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ランチは2000円台になっている 一番安いロースカツ定食を注文


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バアさんはレディースデ−対象外を心配するが、ちゃんとサービスで草餅がついていた


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ロ−スカツは、柔らかくてボリュ−ムもありとても旨かった


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中村公園 公園前の駐車場は予約専用になっていた ちょっと離れた所のスーパ−の駐車場に止める


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中村公園は別名が秀吉清正公園 両人はここ中村で生まれている


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豊国神社 小さいが中々の格式を感じる


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豊国神社は豊臣秀吉を祀っている 秀吉の代名詞のひょうたん絵馬がびっしり


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実際のひょうたんもあり 豊国神社は全国に沢山あるが、やはり明治になってから創建されたものばかり何だろうか?


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豊臣秀吉公生誕地碑 秀吉は貧しい百姓の子 小屋の様な貧弱な家が、ここにあったのを想像する


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日吉丸となかまたち 子供たちの中に日吉丸がいると思うが


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やはり中央の威張っている奴と思われるが、日吉丸の頃は、貧乏百姓の軟弱な子供だった筈で、イメージと合わない


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清正誕生地に建つ妙行寺


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清正は1562年生まれ 確か秀吉は1537年なので、25年も若い


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清正は名古屋城築城をしているが、その時の余材で、自分の誕生地に妙行寺を再建したとある


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清正公誕生之霊地の碑


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清正の銅像


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長い兜がカッコ良い


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秀吉誕生の地に建てられた常泉寺


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常泉寺は、秀吉の命で清正が創建している


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秀吉の銅像


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関白か太閤か、出世後の秀吉


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貧乏百姓の子に、産湯の井戸など無かったと思われるが、立派な井戸が造られている


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豊臣秀吉公 御手植えの柊(ひいらぎ)


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木下長嘯子宅跡の碑


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小出秀政宅跡の碑


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大正天皇お手植えの松


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初代中村勘三郎生誕記念像


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初代中村勘三郎は、1598年生まれとあり、こんな戦国時代から中村勘三郎がいたのに驚き


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ひょうたん池だが、大き過ぎてひょうたんの形が分からない


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太閤池で中村公園の散策は終了


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名古屋市秀吉清正記念館


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記念館の入館は無料 現在、豊臣家文書の特別陳列が行われている


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加藤清正の肖像画 先に見た銅像の顔と全然違う


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秀吉とねねさんの肖像画


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豊臣家文書のあいさつ文


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平秀吉内大臣の宣旨 宣旨は天皇が出すものと思うが、これは実際に天皇が書いた物なんだろうか?


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藤原秀吉関白の宣旨


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1585年に秀吉は関白になっている


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豊臣秀吉の朱印状


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この朱印状は、秀吉がねねに与え直した知行目録 ねねさんに加増したと思われる


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対大明国和親交渉切紙 朝鮮出兵の和平交渉メモとある


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条件に応じなければ出兵するぞ、の脅し分が書かれていようだが、全然読めない


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絵本太閤記なるもの聞いた事あるか、1797年の江戸時代中期に作られている


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秀吉と小六が出会う矢作橋 でも当時に矢作橋は無かったのが面白い


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秀吉は死後神としてまつられる 絵本から全国に豊国神社が建てられたのかも、と思うと面白い