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矢並城
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矢並下本城の案内碑が、東海環状の鞍が池PAにある 下本城跡の碑もあると言うことで、PA内を歩き回るが見つけれず
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矢並小学校入口に、矢並上本城の案内看板がある
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小学校の西の山が、矢並上本城跡
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霧山白山城
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前の写真の山は霧山白山城跡でなく、そこからちょっと離れたこちらの山が城跡だった
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白山神社
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白山神社の裏に奥宮に上がる石段があるが、これが非常に急傾斜で石段幅が狭く、危険一杯 まだ上るのは良いが、下りる時は踏み外して転げ落ちるんじゃないかと心配になる
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奥宮から登城道が延びているが、石段で足がガクガクになり登城はパス
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奥宮から石段ではなく、スロープで下りる道があり助かった
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下佐切城
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則定小畑城
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巴川とその支流の則定川が合流する所に橋があり、そこから登城出来る
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橋を渡って直ぐ、道なき急斜面の山肌を上がる ここはつかまる木も少なく、急斜面を転げ落ちる可能性あり
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急斜面を上ると緩やか尾根で、直ぐに巨岩がある
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巨岩の先が主郭
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主郭の片隅に、はっきり土塁跡が残る
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登城の橋から10分程で主郭に来れたが、無事に来れてやれやれである
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主郭の奥は深く落ちており、これは切堀の跡なんだろう
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則定陣屋
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この辺りは正三みちロマンコースの散策コースとなっていて、椎城や則定城の城跡もこの周りにある
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鈴木正三記念館は自由に無料で入れる
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鈴木正三は、則定城主の鈴木重政の子と知る 長男なのに坊さんとなり有名人になったようだ
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椎城
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鈴木正三史跡公園にある熊埜神社 熊埜は何て読むのだろう?
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家康は、虎の神の生まれ変わり、と言うの聞いた事ある
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鈴木正三・重成の親子像
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ここから山登りの登城道
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急な丸太段が何処までも伸びている 頂上まで行けるか不安だが、行ける所まで行って見ようと上る
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急階段で10分も上がるとバテバテに
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この二又に別れ道、左は羅漢山の表示あるが、城址は右へ行く
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椎城主鈴木重氏の墓碑
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墓碑の先が二の丸跡
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二の丸と本丸の間は深い切通し
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本丸周りの長い帯曲輪
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本丸跡に説明看板あり
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史跡公園から本丸まで約30分の登山でした
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本丸奥の一段低くなった所にある三の丸
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本丸と二の丸間の切通し 中々見応えある
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来る時バテていて見落としていたが、二の丸手前の大きな切通し
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則定城
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本郷薬師堂が登城口
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上の畑地から山の中へ登城道があるが、結構荒れ道な様だし疲れているし、登城はパスする
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大島陣屋
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実際の陣屋跡が何処か特定できないが、枝垂れ桜と石垣が立派なアソコにする
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田振城
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井ノ口城
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井ノ口集会所の横から上がれる
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案内は一切なしで、曲輪か主郭か不明
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一番上の台からの眺め
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大きな切堀跡
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黍生城
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もう山登りをする気力は無くなった
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遠くから城跡の黍生山を眺める
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中金城
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墓の横から登城出来そうだがパス
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鷹見城
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御船城
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まあ何て所なんだろう 田んぼの中にポツンと城址碑と看板がある
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