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浅谷城
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凄い山奥でイノシシが出ないかとちょっと不安になる
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登城道はしっかりしておりちょっと安心する
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入口に170mの案内あるが、ここまで難無くすぐに着く
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第2の曲輪の直ぐ上が本曲輪 江戸時代になると本丸と呼ぶようになると説明あり
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浅谷城は足助七城の一つ 武田勝頼の三河侵入で落城
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本曲輪と物見曲輪の間の大きな堀切
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物見曲輪 狼煙による情報伝達が整備されていたようだ
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大堀切を写そうとしたが上手く撮れていない
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自然の地形と堀、曲輪で護られた、堅固な山城なのが分かる
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城山八幡宮と書いてある
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鶏足城
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イノシシ柵を空けて登城する
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入口に案内無いが、しばらく登城道を行くと、この案内あり
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腰曲輪の案内 腰とはどう言う意味なのか?
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本曲輪 鶏足城は足助城の支城として築かれ、足助七城には入らないと説明あり
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見晴らしが良い 遠くの山は猿投山
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足助の町並みも良く見える
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本曲輪の下に帯曲輪がとり巻く
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鶏足城跡の入口 案内なし イノシシ柵を開けて入る
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足助城
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城址公園として整備されている 有料(300円)
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中々見事な眺めにワクワクします 標柱の順序で遺構を周れるので大変分かり易い
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@堀切
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B南の丸腰曲輪2 あれAが無い
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C井戸
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A南の丸腰曲輪1 Bの上にありました
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D西の丸腰曲輪1
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E西の丸
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木の柵が当時らしくて感じ良い
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H西物見台
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G南の丸
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カマド小屋と厨
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南の丸から本丸を望む
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L南物見台
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M本丸
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長屋と本丸の高櫓
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高櫓からの足助の町並み
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飯盛山
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武田に備えたのでしょう、足助城周りには幾つも城がある
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K北腰曲輪1
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足助城は中々見応えありました
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今朝平村古屋敷
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古屋敷跡の八幡社
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社の横にある袈裟かけ石
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説明によると、後醍醐天皇の子の行良親王が袈裟をかけたと云う石
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石に袈裟をかけ南朝の安泰を祈った、とある
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足助陣屋
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看板には色々と書かれているが、更地で何にも無い
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大観音城
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展望台があるので登ってみるが、結構急勾配でキツかった
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今日何度も見る足助の町並み
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展望台の直ぐ上に観音寺がある
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本堂もそうだがこの地蔵さんも古そう
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本堂の隣りに登城道があるが、今までの山歩きで足はガクガク、登城はパス
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足助のひなまつり、明日まで開催している
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古い町並みをお雛様をみて散策する人
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足助の香嵐渓は全国的な観光地?
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飯盛城
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香積寺から飯盛山の登山 一六羅漢の仏様
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鈴木五代の墓
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5つあるがどれが誰だか分からない
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二条良基の装束を埋めた装束塚
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豊栄稲荷
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飯盛山登山はかなり険しい 限界ギリギリの状態で何とか登る
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三の郭への上り
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三の郭から下を眺める 中々の景色
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二の郭
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主郭 石に刻まれた足助氏城跡
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香嵐渓の香積寺登り口に、山頂まで20分の案内あったが28分かかった
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飯盛山山頂からの眺めは良くない
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カタクリの花が有名だが、咲くのは3月下旬と案内あった
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でもポツポツと咲いている カタクリの花は下を向いて咲く
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香嵐渓
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飯盛山
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足助八幡宮を参拝
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八幡宮の本殿は国の重要文化財
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八幡宮本殿
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八幡宮の直ぐ隣に足助神社
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飯盛山城主足助氏7代足助次郎重範が祀られている
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忠臣足助氏の石碑
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城山城
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下の白い柵の階段が城山城跡への登り口だが、全然登る気が起こらず
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成瀬城
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すし屋の裏山が成瀬城跡 登城口を見つける
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ちょと入り曲輪を見るが、それで良しとする 今日は前半頑張ったが、後半は怠けてしまう
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