|
大草城
|
|
|
小さな山の登り 登城道は整備されている
|
|
|
山頂の白山神社 ここが本丸跡
|
|
|
城址の石碑と案内看板がある
|
|
|
三河西尾の出身の西尾氏の築城とある 1444年とあり戦国時代前の城である
|
|
|
本丸周辺には堀、土塁が残っている
|
|
|
大草城址の小山 駐車場は無いが、道沿いに駐車出来る
|
|
|
余語氏館
|
|
|
小さな神社がある高台に、余語右近将監之碑がある
|
|
|
上末城
|
|
|
陶昌院の本堂 城跡は陶昌院の裏手の竹藪
|
|
|
上末城を築城した落合将監安親の墓
|
|
|
陶昌院裏の竹藪に、城址碑と案内看板ある
|
|
|
|
竹藪の中に堀・土塁の跡が見られる
|
|
|
小松寺砦
|
|
|
小松寺の仁王門に立つ仁王様
|
|
|
|
小松寺の本堂
|
|
|
小松寺の直ぐ隣にある八所神社に城址の碑と案内看板ある
|
|
|
小松寺砦は、小牧・長久手合戦時の秀吉側の砦で、丹羽長秀・三好秀次が布陣
|
|
|
|
久保山砦
|
|
|
久保山に隣接する熊野神社が砦跡
|
|
|
久保山砦も秀吉側の砦で、守将は丹羽長秀、蜂屋頼隆、金森長近の三武将
|
|
|
熊野神社から奥に入ると直ぐに久保山山頂で、久保山砦跡の石碑がある
|
|
|
秀吉自ら軍を率いてこの砦に来たので、太閤山と呼ばれるそうだ
|
|
|
遺構は無いと言うことだが、何となく砦跡を感じる
|
|
|
蟹清水砦
|
|
|
信長の小牧越しの際には丹羽長秀が居住 小牧長久手の戦い時は、家康側の砦
|
|
|
住宅地の中の一角に、城址の石碑と案内看板がある
|
|
|
小牧代官所
|
|
|
|
代官所跡にある岸田家の建屋 代官所との関係が今一わからず
|
|
|
小牧御殿に置かれていた福禄寿の石像
|
|
|
岩崎山砦
|
|
|
岩崎山砦は小牧長久手合戦の時に、秀吉側の稲葉一鉄が守った砦
|
|
|
岩崎会館の入口に城址碑と案内看板ある
|
|
|
岩崎山の麓にある熊野神社
|
|
|
熊野神社本殿には、昨日改元され即位した天皇の祝い旗が立っている
|
|
|
熊野神社から小牧山が見える 岩崎山砦は、小牧長久手合戦では重要な場所だったのが良く分かる
|
|
|
熊野神社の直ぐ奥は岩崎山の山頂 広いスペースで砦の本陣が置かれたと思われる
|
|
|
岩崎山は石の産地 この岩は熊野神社の五枚岩で県の天然記念物になっている
|
|
|
田中砦
|
|
|
|
田中砦の守将は、蒲生氏郷をはじめ、堀秀政、加藤光泰、細川忠興、長谷川秀一、兵数は約1万3千人だった
|
|
|
こんもりとした丘で砦の遺構と思ったが古墳だった
|
|
|
|
二重堀砦
|
|
|
二重堀砦は秀吉側の砦で、守将は日根野弘就と弟の盛就
|
|
|
北外山城を探すがナビがポイントする所に無い 諦めて次に移動すると偶然見つける事が出来た
|
|
|
北外山城
|
|
|
北外山城は織田信安の居城で、廃城後に小牧長久手合戦で家康側の砦になった
|
|
|
住宅地の片隅に城址碑と案内看板ある
|
|
|
南外山城
|
|
|
八幡社境内に石碑と案内看板あり
|
|
|
南外山城は堀尾孫助の居城 小牧長久手合戦では家康側の砦となる
|
|
|
よく読めないが南外山城趾の石碑
|
|
|
今日は小牧長久手合戦の砦巡りとなる 小牧山と各砦の配置や守将を知って巡れば、より楽しく砦巡りが出来ると思う
|
|
|
浅井氏宅
|
|
|
名鉄小牧線の間内駅東側に、浅井長政像と浅井氏宅址の石碑がある
|
|
|
浅井長政は小谷城で死んだが、側室の子が逃れてこの地に来たようだ
|
|
|
田楽城
|
|
|
田楽城跡は、林昌院と隣の長福寺
|
|
|
代々長江氏の屋敷で、小牧長久手の戦いの時には徳川方の砦として利用された
|
|
|
駐車場に生える木の根元に塚石があるとネットに載っていたが、そんな石は見当たらなかった
|
|