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伊勢の国の城址巡りを開始 桑名は長嶋一向一揆と信長の戦いの舞台 大いに期待して出かける
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願証寺
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寺には不釣り合いな櫓が建っている
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願証寺は石山本願寺の一向宗の拠点となったお寺
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長島城
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蓮生寺に長島城大手門が移築されている
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蓮生寺の本堂 蓮生寺と長嶋城との関わりは知らない
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長島中部小学校に長嶋城跡の看板がある
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願証寺に浄土真宗本願寺派が入り、1570年長島城を奪う 1574年信長の攻撃により2万人の一向宗徒が虐殺された
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小学校の東を流れる長島川 長嶋城の堀となっていたと思われる
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桑名城
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九華公園の三の丸堀に架かる、舟入橋を入った所にある本多忠勝の銅像
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徳川四天王の一人の本多忠勝は、関ヶ原の戦いの後桑名城主となり町割りを進めた 慶長の町割りと呼ばれる
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桑名城は信長の伊勢平定で、長嶋城の滝川一益の支配となる
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桑名城跡は九華公園として整備されている 水堀が凄いし美しい
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九華公園内にある鎮国守国神社
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中々立派な鎮国守国神社の本殿
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鎮国守国神社の右奥に天守閣跡がある
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石垣に囲まれた天守台 当時の面影を感じれて中々良い
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天守台には、戊辰殉難招魂碑が立っている ふと桑名藩は新政府・幕府どっちだったのだろうと思う
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広い本丸跡
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本丸の南東角にある神戸櫓跡
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伊勢神戸城の天守閣を移して櫓にした、と説明あるがスペースはとても狭い
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本丸へ入る所に城址碑があるが、余り立派な碑でなく見落とす所だった
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本丸北東角にある辰巳櫓跡
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天守閣が焼失した後は、桑名城のシンボル的存在の櫓だったようだ
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櫓跡には砲台がある 案内書きを見て、桑名藩は戊辰戦争は幕府側だったと知る
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本丸と二の丸の間の水堀 景色も素晴らしい
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橋に立つと亀が寄って来た 亀も餌目当てに寄って来るんだ、驚きである
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二の丸橋と書かれている 二の丸へ入るにも大きな水堀がある
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桑名城は、すぐ北を流れる揖斐川から水を取り入れ、美しい水城になっている
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黒い鳥、ひょっとして鵜? どっかから逃げて来たのか?
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水門総合管理所となっている蟠龍櫓
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歌川広重の浮世絵・東海道五十三次で、桑名は蟠龍櫓が描かれている
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櫓内は自由に入れるが、大した展示は無い 蟠龍がいた
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蒸し暑い中、広い九華公園を約2時間歩く グッタリ疲れました
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この辺が七里の渡し 愛知の宮宿と三重の桑名宿の東海道は海路になっていた
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矢田城
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勧学寺から走井山公園が城跡
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何にも無い走井山公園 ちょっと土塁の残骸のような気がするが
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勧学寺の駐車場に愛宕山庚申碑がある
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庚申信仰と言うものがあるようだが、全然理解できない
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愛宕山城
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矢田城の直ぐ近くにあるが、案内も遺構も無い バス停の城山の文字が城址があったのを思わせる
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尾畑城
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民家の裏の丘陵が城址と思われる 個人の私有地で入れない
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白山ヶ鼻城
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大成小学校辺りが城跡 今日の後半はどうでもいい城址ばかりでつまらない
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中江城
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神明社の裏山が城址 短パン半そでで出て来ており、蚊に刺されるのが嫌で拝殿もせず
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西方城
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西方寺の裏山が城跡 滝川一益の家臣加藤三介が築いた
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静かな感じ良い池だが、この時期はやぶ蚊の住処でもある
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桑部城
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小さなしろやま西公園の一角に城山伝承の碑があるが、城跡の面影は全然なし
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桑部城跡の北を流れる員弁川 かなりの大河に思えるが二級河川である
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