19.9.30 恵那串原、上矢作、岩村




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柿畑城


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柿畑城跡の山の麓にお堂が見えたので立寄る


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お堂には恵那市指定文化財の木彫三十三体仏や木彫十一面観音立像が安置されている


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お堂の右手の道が登城道のようだ


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ネットによると土塁や堀等の遺構がしっかり残っているようだが、ちゃんとした登城道は無さそうなので登城はパス


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東海自然歩道の標識がある 恵那コースは2008年に歩いているので、記憶に残っていないがここを歩いたと思われる


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柿畑城へ行く途中、串原七滝の一つの城山の滝の入口を見つけていたので、大平城へ行く前に立寄る


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滝のある城山が大平城跡だった


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水辺にはこれがいる 小さいのに雁首持ち上げ威嚇して来る


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落差はそんなに無いが、中々感じ良い滝 入り口からは整備された道で10分もかからない


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水量が豊富で滝壺も広い


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大平城


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城山の滝からちょっと離れたこの山をナビが案内 山へ入る道があるが登城口かどうかは不明


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串原小学校に行き大平城の城山を望むが、滝のあった城山とはどうも違う 大平城も遺構が残っているようだが、登城道が整備されていないようでパス


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松本城


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串原松本にある松本城 ネットに情報は全く無くどんな城址か分からず


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福原城


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三河と美濃の国境にあった福原城 矢作川と名倉川の合流地にあり、三河を監視する城だったようだ


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城が好きな人は登城道が無くても、こんな所を無理やり入って行くのだろう 自分にはとても真似できない


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愛知県側の国道257号に架かる滝見橋から、押山大滝が見える


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滝見橋から福原城跡の山も見える


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押山大滝へ降りることができ、滝を上から眺めれる


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轟音をたてて落ちる姿は中々のものです


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小田子城


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小田子集落へ入る橋から見る小田子城跡 ここは信濃の根羽村にも近く、信濃監視の城だったようだ


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橋の脇に古い道標があるが、信濃の根羽方面を示している


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下村砦


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増沢集会所の隣にある丘陵が砦跡 遺構は無く畑になっている


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漆原城


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国道257号の城山トンネルの上が城跡 山の中腹に観音堂が見える


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観音堂までは直ぐに上がれるが、この先はちょっとキツそう


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観音堂から延びる登城道 遺構はしっかりあるようだが、今日はこの季節になっても30度越えの真夏日で登城はパス


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岩井戸砦


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岩井戸砦の下を流れる上村川 元亀3年上村合戦で遠山景行が籠もった砦 武田氏の秋山信友と戦って敗れ景行は討死


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前田砦


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上矢作小学校の北側の山が前田砦 本郷公民館の上に大船神社の鳥居があり、ここが登城口


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ここは熊も出没する 15分ほどで城址へ行けるようだが、こいつが出たら敵わないのでパス


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大船神社の鳥居の直ぐ上が八幡神社 その裏の森が前田砦跡 今日予定した城址巡りはここまでだったが、まだ時間あるので岩村城へ行く


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岩村城


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岩村城は日本100名山 また標高713mの城山山頂に築かれており、日本三大山城(備中松山城、大和高取城)の一つ


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出丸(駐車場)の上の本丸を囲む石垣が何とも凄い


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本丸南側は、高さのある2段の石垣 見応え十分


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石垣の端は反り返り鋭く尖っていて圧巻


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二の丸から本丸への埋門 真っ直ぐ本丸へ入れないよう、桝形に石垣で仕切られている


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石垣の積み方は、自然石をそのまま積み上げる方法と、石の面を加工し接合面を合わせる方法があるが、この石垣はどっちだろう


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自然のままと加工した石、両方で積み上げているように見える


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岩村城は、1185年源頼朝の臣の加藤景廉によって築かれたとある 戦国時代以前の城だった


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戦国時代は、武田信玄の東美濃侵攻で勇将秋山信友の攻撃を受けるが、織田信長の援軍を得て城を護りきる


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本丸南側の石垣の下を覗く 誰もが下を覗きたくなるようで、見学に来ていた女連れもキャキャ言って覗いていた


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1571年城主遠山景任が病死すると、信長の五男御坊丸を養子に迎えたが当時6歳であった為、景任の妻修理が女城主になる


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女城主の景任の妻修理は、信長の叔母である


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昇龍の井戸 井戸から龍が出る訳でもあるまいにこの名前


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実際には櫓は無くイメージ出来ないが、本丸には幾つもの櫓があったようだ


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東に見える高い山は、きっと恵那山と思って撮る


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本丸東側の一段低い所に帯曲輪が取りまいている


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東曲輪から本丸へ入る所に長局埋門がある 先に見た帯曲輪を長局と呼ぶようだ


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東曲輪から見る長局埋門 石垣の景色が何とも素晴らしい これは見飽きないです


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出丸の下が南曲輪と思って見るが、南曲輪ではなく堀切跡だった


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出丸の駐車場から少し降りた所に南曲輪がある


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南曲輪に堀切や土橋の遺構が残る


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登城口の岩村城歴史資料館に来るが、月曜日は休館日でした


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資料館の東の小山に藩主のお茶室がある


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藩主邸お茶室の看板


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門は閉ざされていたが、すき間からお茶室を覗く


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太鼓櫓 江戸時代になると山城にいる必要はなくなり、ここに藩主邸が置かれる 太鼓櫓は城下に時を知らせた


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岩村城の全体図 資料館から山頂の城へ登城道がり、各所に史跡があるようだ


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斎藤一斎の銅像 この人は幕末の儒学者であり思想家


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岩村町の偉人十傑に女城主が入っている 女城主の岩村城で町興ししているようだ


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下田歌子勉強所 下田歌子は明治から大正期に活躍した教育者・歌人 女子教育の先覚者で生涯を女子教育の振興にささげた


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下田歌子さんの銅像 何かアフリカぽい顔をしている


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登城道の入口の藤坂 急な坂道が続くようだ


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藤坂の看板から本丸までは600m 史跡もあり登りたい気持ちもあるが、やはりパス


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色んな人の銅像がある この人は三好学と言う人で、近代植物学・環境保護の先駆者、と看板に書かれていた


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岩村城下の古い町並み 重要建造物保存地区になっている


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上町常夜灯 1795年に建立されたと案内あり


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感じ良い古い町並みなのに、歩いている人は誰もいなかった


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城主や藩士の墓がある乗政寺山墓所


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豊田の大給松平氏が岩村城主になっている 豊田とゆかりある城だった


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城主・松平家乗の墓を見つける 広い墓地で見つけれないと思ったが、偶然直ぐ見つれれた


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家乗の文字が微かに見える


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大将陣


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大将陣公園の石碑のある上の丘かに看板と塚があるが、上がる道が無い 畑のあぜ道を通って上がるが、公園なのにおかしなものだ


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大将陣は1575年織田信忠が岩村城を包囲した時に本陣を構えた所


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大将塚の石碑の裏に何か書かれている


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この石碑は、岩村城廃城後の明治になって、岩村城の歴史を残す為に造られたとある


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この石碑は、西南戦争の討伐軍に参加した岩村の旧藩士の名が刻まれているが、全く読めず