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ここは朝日町歴史博物館 今日は朝日町から四日市市の城址を巡る
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柿城
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柿城は歴史博物館の南西約150m先の小丘で、城址公園となっている
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案内看板、もう少しまともなものにして欲しいものだ
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一曲輪が柵で囲まれているのみ 小さな展望台がある
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柵の外側に土塁を確認できる
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展望台から四日市のコンビナートを望む
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単純過ぎて城郭としては物足りない
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朝日町歴史博物館は、無料で自由に入館出来る
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発掘調査で出土した物が展示されている これは縄生廃寺から出土した瓦?
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埋縄城
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ナビで案内された住宅地 どこが埋縄城跡か分からず 埋縄城はネットにも殆んど情報ない
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蒔田城
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中々感じの良い長明寺の本堂 長明寺境内が蒔田城跡
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山門横に城址案内あり 伊勢平氏の平家資が築城、鎌倉幕府の平氏掃討で落城している
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長明寺は白壁の塀と水堀が美しい
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水堀は境内をぐるっと囲っている
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錦鯉が一杯
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細長い竹林の小道があり中々感じ良い
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高台に鐘突堂があり、物見櫓跡の様な感じだ
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茂福城
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平維茂の子孫平貞冬が、越前朝倉よりこの地へ来て、茂福城を築き朝倉を名乗った、とある
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田畑の一角に小さく仕切られた城跡 土塁が一部だけ残った所のようだ
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大きな石碑が立っているが城址碑ではない
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文字を読めないが、最後に墓と刻まれている 誰の墓なんだろう?
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直ぐ横を近鉄が通っていて、線路越しに大きな茂福城跡の看板がある
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羽津城
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大きな城址碑が凄い
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本丸跡が城跡公園となっている ちょっとした土塁が残っている
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本丸は近鉄本線により分断されている
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恰好イイ近鉄の特急が通過
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これはどの戦争か分からないが、戦争の慰霊碑と思われる 何処かでも見た事あるが、大岩巌の筆跡
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四日市陣屋
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四日市は幕府直轄の天領と説明あり 四日市は東海道の宿場町だった
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中部西小学校が陣屋跡で、小学校正門左手に説明看板がある
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浜田城
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近鉄四日市駅の直ぐ隣にある鵜の森公園が城跡 公園内に鵜の森神社と田原稲荷神社があり、この辺りが本丸跡
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藤原秀郷(俵藤太)の愛用の兜・十六間四方白星兜が国指定重要文化財になっている
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城址より兜の説明が主になっている
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浜田城は1470年田原美作守忠秀が築城 4代居城したが、1576年滝川一益の軍に攻められ落城している
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冠木門建立の説明が詳しく書かれている
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2016年に建てられた冠木門 新し過ぎて感動は今一
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神社の周りに水は無いが池があり、堀跡と思って見る
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高い土塁の上にある皇大神宮遥拝所
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赤い鳥居が感じ良い田原稲荷神社
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稲荷神社の狐は鋭いキバがあり、結構怖い顔していた
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神社裏は土塁を割いて虎口の様に見える
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結構高い土塁が取巻いている
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神社北側も虎口の様な出入り口がある 神社まわりが本丸跡なのがよく分かる
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城址説明に原文と現代語訳 昔・江戸時代にも城址の説明看板があったのだろうか
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現代語訳も余り読む気になれない
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最初見た浜田城址の石碑の裏にも、城址の説明が書かれていた
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鵜の森公園は、無料の駐車場が無いのが難点 コインパーキングは何カ所かあるが
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近鉄四日市駅 近鉄ビルが立ちはだかっている
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西坂部城
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登城口が幾つもあり、北側から上がったら本丸の下の曲輪に出た こちらは案内が何も無いので、南側から上るのが良い
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本丸に城址の石碑があるがちょっと貧弱
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西坂部城跡は城山公園として整備されている
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本丸は見晴らしが効く コンビナートの先に伊勢湾が見える
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こちらは鈴鹿山脈の山々 右端は藤原岳
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二の丸から本丸への虎口 両側の土塁もハッキリ分かる
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二の丸の下の三の丸 ここに城址の説明看板ある
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三日平氏の乱とは、鎌倉時代初期、伊勢国と伊賀国で平家の残党が蜂起した事件 鎌倉幕府軍に3日で鎮圧された
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こちらが南側の登城口で、三の丸−二の丸−本丸へ続く
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平尾城
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登城口が中々分からず 山を回り込むように走ると、訳の分からない物があった これは墓か?
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通せんぼしてあるので遠慮したが、道沿いのここから入れば良かった
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入って直ぐに広場 ここが主郭部と思われ、周りは結構ハッキリした土塁が残っている
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土塁の下は空堀が主郭を取巻いている
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城郭は車道で分断されている
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何の案内も無いのに、しっかり遺構が残っていて驚き
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土塁が切通てあり虎口と思われる
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下野城
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信明寺の西の丘陵が城跡 信明寺の門前にある看板、僧や武士の屋敷があったと書かれている
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信明寺の大きく堂々とした本堂 今日は法事をやっているようで大勢の老人がいた
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源治山が下野城跡だが、古墳時代の遺跡が発掘されている
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源治山遺跡の看板と並んで山城城址の看板も立っている 下野城の別名が山城城のようだ
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小さな源治山遺跡の碑の横に山へ入れる道がある 登城道と思って入って見るが
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曲輪らしき平地があるが、大きな墓石があるのみ その直ぐ裏は住宅地で城跡は開発で消滅したのかも?
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看板には城跡に城址の碑があると書かれているが、平地の先は藪でとても入っていけない
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下野城址も三岐鉄道で分断されている 四日市の城址は鉄道や道で分断されたものが多い
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萱生城
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丘の上にある暁学園が萱生城跡 一番上の駐車場の脇に、萱生城跡の髪のびの井戸の碑がある 学園内立入禁止の看板があったかどうかは不明で、自然に上の駐車場まで入ってしまう
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織田信長の伊勢侵攻で攻撃受けるが、5年も奮戦した 女人は落ち延びず井戸に身を投げた 何時しか井戸に姿を映すと髪が伸びると語り伝えられるようになった
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もうそろそろこいつの時期も終わり 一安心である
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井戸はかなり深いが水は無い
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信長に対抗して亡くなった人の供養碑と思われる 萱生の読みが”かよう”と分かりスッキリする ホント自分は字が読めず情けない
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土塁らしき遺構も残っている
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伊坂城
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伊坂ダムの周囲は大きなサイクルパークとなっていて、大勢の人がランニングやサイクリングをしていた
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ダム湖から見える山が伊坂城跡と思うが、どの山か分からず
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サイクルパークから更に先に入った所に登城口があるが、先は土砂崩れで通行止め
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登城道は整備されていないとネットにあるので、これ幸い直ぐに登城は諦める
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伊坂ダム湖から見えるあの山が、伊坂城跡と勝手に決めて今日の城巡りを終了
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