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米津台場
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安政2年 浜松藩主井上正直が幕府の命令によって築いた台場
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砲台と関係ある碑なのか分からず
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砲台場から遠州灘は望めない ここで砲台の役目は果たせたのだろうか?
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台場跡から2km程行くと遠州灘
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そう波は高くないが大勢のサーバーが楽しんでいる
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東北の大震災の影響だろう、遠州灘も高い堤防が築かれて、美しい海を簡単に見られなくなっている
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浜松城
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今日メインの城でワクワクだが、広過ぎてどう回れば良いのか大いに悩む
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取りあえず天守に向かって歩く 森の上に天守が見えた
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この看板は大河ドラマ・おんな城主直虎の放送で作られたのだろう
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方向が良く分からず、縄張が頭に入らない
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二の丸の看板の先は、広大なスペースで何か発掘調査?している
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城址は整備された公園で、大勢の人が訪れている
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市役所前の広場から見上げる 石垣と天守がとっても素晴らしい
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浜松城は武田との争いの舞台でもある
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平成26年の発掘調査で発見された石垣の説明書き
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自然石を積み上げた野面積みと一目で分かる 400年以上前の凄くて美しい石垣である
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本丸に立つ、若き日の徳川家康の像
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家康の生れは1542年、浜松城築城は1570年 よって家康28才頃の顔である
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天守門の石垣が何とも凄い 浜松城は初めてであり、素晴らしい石垣の城と認識する
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天守門と天守閣と石垣、美しい景色は見飽きることは無い
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門脇の巨石を鏡石と呼ぶそうだ
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確かに両脇は一段と大きな石がある 鏡石は権力の鼓舞の様なものなのでしょう
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天守台の石垣と三重三階の天守
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天守は家康が城主の時は無かったようだ 2代城主掘尾吉晴の時築かれたと書かれている
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天守の前が本丸と思ったが、ここは天守曲輪で、本丸は一段下の若き家康の像があった所だった
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天守曲輪より、天守門と天守を合わせて撮る
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城郭の説明書き
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天守の入場料は200円 勇ましい家康が迎えてくれる
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浜松は家康ゆかりの史跡が多くある
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三方ヶ原古戦場は意外と近い これなら家康が信玄の軍勢を見て頭に来たのが分かる
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地図だと結構離れているように感じたが、見える森の先が三方ヶ原?
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天守門にも入場できるが、この一間があるのみ
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搦手門の所にある石垣の八幡台の説明書 天守台より高いと書かれている
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説明看板の後ろの石垣 八幡台の石垣と思って撮る
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山城の井戸はとっても重要 いくつも井戸があったようだが、山城で水の出る井戸を掘るのは大変だっただろう
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搦手の方から眺める天守も最高の眺め
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あちこち歩いて作左曲輪を見つける
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作左曲輪の石碑 作左とは鬼作左・本多重次のこと 彼は清康時代から仕えた徳川家の重臣
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あちこち歩いていると池に出た これはきっと堀跡と思って見る
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堀かどうか分からないけど、大きな庭園となっていた
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戦争にあけくれる浜松城主時代の家康、時には庭園見てのんびりしたかったことでしょう
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若き家康像がある削地の一角に本丸跡の石碑
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これも探し回って見つけました 最初に来た市役所前の広場の片隅にあった
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三方ヶ原から敗走してきてここで甲冑をぬぐ 有名な糞洩らしの話もここであったようだ
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国152号を挟んで見えるあの森が出丸跡
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ちょっと離れているが頑張って歩き、大手門跡を見る
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見ると言っても、国152号沿いに看板と碑があるのみ
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大手門跡から天守までは約600m程ある 浜松城はとっても大きいのが分かる
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曳馬城
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曳馬城跡にある東照宮
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東照宮の鳥居横に城址看板と碑がある 秀吉が仕えた松下加兵衛も浜松にいた
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家康は遠江侵攻で最初に曳馬城へ入り、名を浜松と改めている 信長は岐阜、秀吉は長浜、と名を変えているので真似したか?
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東照宮の社殿は大きくないが、中々恰好良い
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秀吉と家康が絡んだ曳馬城
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秀吉と家康の二人と写真が撮れる
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秀吉の説明書き
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やんちゃぽい秀吉
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家康の説明書き
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家康は大人ぽい
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社殿の裏は土塁? 最近、土が盛上っているとスグ土塁と思ってしまう
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曳馬城から国152号越しに見える浜松城 浜松城公園は無料の大駐車場があり、これはとても有り難い
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犀ヶ崖古戦場
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犀ヶ崖資料館は無料で入場できる
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三方ヶ原の戦い 家康の、出撃−交戦−敗走-反撃−戒め、が展示されている
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反撃のシーン 家康は敗走した夜、ここ犀ヶ崖で夜襲をかけ、信玄に一矢報いている さすが家康
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家康の超有名なポーズもありました
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凄く深い谷間の犀ヶ崖 この一角だけ凄い崖になっているが、当時はずっと連なっていたのだろう
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犀ヶ崖古戦場の石碑
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家康は崖にまくを張って欺き、武田軍を崖に落とした、とネットに載っていた
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太刀洗池
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岡崎から浜松へ護送される築山御前は、途中で家臣に殺害される 池があると思ったが池は無い
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築山御前の墓が近くの西来院にある
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築山御前は今川家の重臣のお嬢さん きっと我儘放題で育ったんだろう
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何か女人の様な感じの築山御前の墓
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西来院の本堂 寺と言う感じがしない
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門奈屋敷
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金台寺一帯が門奈屋敷跡 ガラス戸に貼られた紙に門奈屋敷跡と書かれている
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秋鹿屋敷
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秋鹿屋敷は中泉歴史公園となっている
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感じの良い池に鯉が一杯いた
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自然な地形かも知れないが、どおしても土塁として見てしまう
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中泉陣屋 中泉御殿
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陣屋跡と刻まれた石碑
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遺跡らしき物は何も無いが、御殿遺跡公園となっている
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遺跡は城址に関するものでなくて、奈良時代の建屋の遺跡
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西願寺に御殿の門が移築されている
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中泉御殿は、家康が鷹狩の時に使った別荘だった
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西願寺にあるのは中泉御殿の裏門
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表門が西光寺に移築されているが、もうくたびれ果て行く気なし
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