19.10.23 岐阜




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ここは岐阜公園 今日は岐阜城を、道三と信長に思いを馳せながら、じっくり巡る


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まずは岐阜公園を散策してからロープウェイで岐阜城へ


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岐阜城


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信長の天下布武は、美濃を制した1567年から始まる


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信長の庭と案内ある庭園 荒々しいイメージの信長だが、美しい庭園も好きだったのかも


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山内一豊と千代の婚礼の地とある


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織田信長居館跡の入口ある冠木門


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城は金華山頂でも、普段の生活は麓でしていたのは良く分かる


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当時の土塁跡かどうか分からないが、キレイに残っている


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噴水に立つ女人像は、特に歴史とは関係なさそう


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板垣退助の銅像 彼は岐阜で遭難にあったようだ


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死ぬ間際に、”板垣死すとも自由は死す” よく言葉が出たものだ さすが歴史に残る人は違う


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金華山の登山道は幾つもあり、かなり厳しいのもありそうだ


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登りはロープウエイで行くが、下山は一番安全そうな七曲り登山道で歩くことに決める


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ロープウェイは15分間隔で運行され、片道650円


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ロープウェイ駅から直ぐの所に、天下第一の門


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天下第一の門は立派な冠木門 案内には、信長の偉業を讃えて冠木門を建てる、とあるので当時は無かったようだ


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ロープウェイ駅から天守閣まではちょっとあるが、説明看板が多くあり読みながら行けば疲れない


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巨石の所に一ノ門があったようだ


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登城道の下は急な崖っぷち ここを上がって攻められることはないだろう


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馬場跡の案内あるが、馬を繋ぐような広場がない?


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堀切と切通は違いが分からず使っていたが、同じと知り安心する


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かなり深い堀切で感じ良い 今は赤い橋が架かっている


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二ノ門入口に巨大な石垣が残るとあるが、それらしきものは見当たらず


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ニノ門・下台所跡とあるが、台所の意味が分からない


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ニノ門を入ったここは二の丸跡なんだろう 白壁には矢や銃を撃つの穴があり、反撃出来るようになっている


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二の丸から見事な天守閣を仰ぎ見る


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写真の撮り方が悪かった 塀に挟まれたように撮れるが、全然そうには見えない


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こんな山頂に水が出る井戸を掘れるのかと思ったが、雨水を貯める貯水施設だった


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井戸じゃないと思うと、全然大したものに感じず


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美しく堂々としていて見飽きない


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二の丸の下は断崖絶壁 この辺りに秀吉の千成ひょうたん発祥の場所があるが、見すごしてしまい非常に残念


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馬の背登山道がここに出ている とっても危険な登山道が予想される


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天守閣を支える石垣 野面積みと思う


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本日は何故か天守の入場は無料 後で分かるが、天守閣は修理中で入場不可、それで無料になっている


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鎌倉時代に二階堂氏が砦を築く 1539年斎藤道三が稲葉山城を改修して入城した


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斎藤道三説明文


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斎藤道三肖像画


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斎藤義龍説明文


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斎藤義龍肖像画 肥え方は自分と同じようだ


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織田信長肖像画


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濃姫説明文


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濃姫の衣装と肖像画


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こんな写真も撮れる


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めい想の小径の登山道の出入り口 名前のイメージとは程遠いキケンな道のようだ


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本丸にある岐阜城資料館は無料で入館できる ここでもこんな写真が撮れる


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いかにも信長らしい恰好イイ甲冑


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信長と鉄砲 信長の顔がちょっと現代ぽい


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金華山御岳神社が祀られている


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二の丸からの展望 こんもりとした山は、道三が隠居した鷺山城跡


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鷺山の道三と稲葉山の義龍は、長良川で戦う マムシの道三も油断したのか、隠居し義龍に岐阜城を渡したのがまずかった


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金華山周囲に岐阜城の支城の砦が幾つかあり、岐阜地方気象台金華山分室の辺りも砦跡と思ったが、どうも違うようだ


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展望レストランで信長どて丼の昼食 これは旨くて780円とお値打ち


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この展望レストラン辺りも砦跡かと思ったが、全然違うようだ


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七曲り登山道で下山 この七曲り登山道が大手道だった


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七曲り登山道を上がる人下る人、結構大勢の人が歩いている


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道三や信長も、日常的にこの道を歩いていたのだろう 昔の人はヘッチャラだっただろうが、自分には下山でもかなりキツイ


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途中に大きな堀切跡 この堀切は中々のものでした


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七曲の名前の由来が分かる 数えなかったがこんな曲がりが七つあるのでしょう


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この地形、帯状の堀切跡?と思って見る


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七曲り登山道の下山のコースタイムは40分となっていたが、45分で下りる この登山道周りに幾つかの砦跡がある筈だが、砦跡の案内は全然なかった


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健脚向けの百曲り登山道の入口 見るからに恐ろしそうな登山道


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岐阜公園に戻る 朝は閉まっていた堂に、信長と濃姫の姿があった


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金華山中腹に輝く三重塔 大正天皇の即位を祝って大正6年に岐阜市が建立した 


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下山道を歩いてすっかり疲れた かき氷と五平餅とみたらしで一息入れる


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鷺山城


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北野神社入口に、鷺山城址の看板と斎藤道三の慰霊碑がある


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岐阜城から見た鷺山はそんなに高くないと思ったが、近くで見ると結構ある


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北野神社の左手に登城道があるが、ガクガクになった足には堪える


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鎌倉時代の文治年間に佐竹常陸介秀義がこの地に地頭として入り鷺山城を築城 戦国期には美濃守護土岐政頼の弟の頼芸がこの城に居城


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山頂までは10分も掛らなかった 山頂の城跡からも、金華山に立つ岐阜城が望める


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大きな鷺山城址の石碑もある


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長良川の戦いの史跡は殆ど無い 道三は崇福寺の門の前で討死したとネットに載っていたので立寄ってみる


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崇福寺に妖怪の案内看板があるが、寺との関係はどうなっているのだろう?


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長良川の戦いに関するものは何も無かった 稲葉一鉄が寄贈した梵鐘がある


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春日局ことお福は一鉄の女房だったが、家光との関係で離縁したのを思い出す


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長良川に立寄り戦いを偲ぼうとするが、偲ぶものは何も無し せめて看板とか合戦地跡の碑でも立てて欲しい


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長良川から岐阜城を眺め、今日の城巡りは終わり 中々楽しかった


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岐阜城の支城(砦跡) 砦跡の情報は殆ど無いが、たまたまネットで記載を見つけた