19.11.7 明智




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そろそろ紅葉も楽しめるのではと思い、東美濃の明智の城巡りに出る


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明智城の近くにある、紅葉の名所の下ケ渕 色付き始めているが見頃はまだ2週間程先のようだ


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千畳敷砦


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明智は明智光秀の出生地で、光秀を売りにしているようだ


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千畳敷砦は1247年、遠山景重が明智城を築城した時、 西南に当たるこの台地を戦略上重要な地点として築いた砦 土岐明智城とも呼ばれるようだ


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明智光秀は1526年生まれ 家に帰って調べたら、信長1534年、秀吉1537年だった 因みに家康は1543年


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来年の大河ドラマは明智光秀が主人公の麒麟がくる 明智は大いに盛上り混雑することでしょう


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本丸への登城道 城跡は千畳敷公園として整備されている


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本丸への虎口


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下から見た時は展望台と思ったが、本丸にあるのは休憩所で展望は効かない


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ネットには遺構は無いとあったが、本丸周りに帯曲輪のようなものが見える


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本丸は小高い丘だが、急斜面の絶壁である


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木々の間から明智の町が見える


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三の丸にモミジでは無いが、赤くなった木があり紅葉も楽しめた


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この塔は、日清戦争から太平洋戦争の戦死者の供養塔


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仲深山砦


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仲深山砦は明智城の支城で遺構も残るようだが、登城口を見つけれず


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登城口を探していると、この石碑を見つけ立寄ると、光秀の母のお牧の方の墓所だった


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光秀は丹波攻略の為母親を人質に出すが、信長は和睦を許さず、お牧の方は殺される これが光秀の本能寺のきっかけとなった


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大きな杉の木の下に、お牧の方の墓がある


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明智は、信州飯田と名古屋を結ぶ中馬街道と、中山道大井宿と東海道岡崎宿を結ぶ南北街道が交わる交通の要衝にある


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南北街道沿いの町並


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明智城


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大正村から明智城へ 明智城は県指定史跡で畝状空堀郡が特徴的とある


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大正村も散策しながら明智城を目指す 明智城までは、観光案内所で聞くと約40分


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大正村の入場料は無いが、特定の館は有料


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明智町は明治22年に町制を布き、明治39年に洋風建築で建てられた役場


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昭和32年まで明智町役場として使われている 役場は自由に入場できる


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大正娘?が出迎えてくれる


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明智は遠山氏の城 遠山の金さんも、明智遠山氏の家系だった


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三代目村長は竹下景子さん 何ともキレイで美しい


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大正時代ぽい感じがします


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大正村の代表的な建物の大正浪漫館


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大正浪漫館の入館は有料 両脇に銅像が立つ


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右側の銅像は、初代村長の高峰三枝子さん


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左側は春日野親方・栃錦 栃錦は初代議長とある


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旧三宅家の屋敷 特徴は鳥居建とあるが、どこが鳥居建なのか分からず


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旧三宅家の横の道から山に入る 5分も歩くと登城入口に出る


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登城道は整備されており歩き易いが、かなりの急坂


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天神神社は菅原道真を祀っている 光秀もここで勉学に励んだようだ


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ひっそり山肌に建つ神社本殿は小さい


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明智城の山と天神砦の切通し 本来は一つの山だったように見える


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来年の大河ドラマで訪城者も多くなるでしょう 登城道も整備工事中


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竪堀の案内 駐車場にあった城址の案内看板に、畝状竪堀が特徴とあったが、この辺りが畝状の竪堀か?


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登城道に沿う土塁が短く切られている これだと防衛し難いのではと思うが?


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本丸へ上がる登城道も中々感じ良い


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本丸に上がる手前にある東の丸砦


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東の丸を上がると本丸と思ったが、出丸と本丸の分岐地だった


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出丸入口にある石垣跡 看板に明智城は石垣が無い城として有名とあったが、何なんなのだろう 看板に偽りあり


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出丸は広い削平地だが


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端は猿も上がれない猿戻し


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足も竦む断崖絶壁だが、普通の猿なら難無く上がると思う


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案内は上が明智城、横が腰曲輪


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本丸を取り巻くように腰曲輪が延びている


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上がると本丸と思ったが、そこは二の丸だった


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本丸は二の丸の上で、虎口が通っている


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二の丸と本丸の間の深い空堀


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大正村を散策しながら来たので、駐車場から1時間半程費やしたが、直登したら40分もかからないと思う


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明智城は織田vs武田の争奪戦があった 最後の写真に天正12年の明智城の戦いを載せている


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凄くて感動的な明智城跡だが、本丸の案内が看板なのが残念 大きくて立派な石碑を是非建てて貰いたいものだ


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二の丸に上がる手前にあった腰曲輪が、本丸周りまで延びている


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下城時、登城道と土塁と空堀の美しい遺構を再度感じ、写真に納める


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明知陣屋


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1615年明智城は廃城となり、旗本遠山氏の陣屋が山の麓に置かれた


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陣屋跡は村上の表札のある立派な屋敷が建つ 村上さんは代官を務めた人と後で知る


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遠山家の菩提樹の龍護寺に立寄る 龍護寺も大正村内にあり、陣屋跡から歩いて直ぐの所


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明智遠山氏と土岐明智氏の家系図 遠山の金さんも載っている


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龍護寺は1596年明智城主が建立


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龍護寺の本堂も威風堂々としており、見栄えもとっても良い


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本堂脇にある達磨堂


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ダルマさんも良い顔している


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達磨堂の奥に古い墓が見え、見に行くと明智遠山氏累代の墓所だった


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大きなこの墓は、刻んである文字は読めないが、遠山景行の墓


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龍護寺の入口に明智光秀の墓がある


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光秀は山崎の合戦で敗れ、逃亡中に百姓に討たれている 謀反者なので遺骸が運ばれたとは思えないが、出生地の明智に墓が造られている


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墓の横に光秀出生の碑も立つ


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明智城の山を見上げると、キレイに色付くツツジが見えた


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八王子神社があり立寄る 


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八王子神社は天照大神の八人の王子が祀られているとあり、格式の高い神社と知る


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龍護寺の看板に、光秀お手植えの楓が載っていて、寺内を探すが見つからず諦めたが、八王子神社にあった


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柿本人麻呂社のすぐ横に楓はあるが


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なぜここに柿本人麻呂が出て来るのか分からず


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大正村をあちこち歩いて明知駅に着く 駅に大正娘が立っているが、顔が漫画風で写真撮る気にならず


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明智駅から大正村を通して明智城の山を見る


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昼飯は大正村内の食堂で光秀らんち 何でも光秀を売りにしていて恐れ入る


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看板に遠山屋敷が載っており、再度大正村に入ると、旧郵便局を見つける


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ここは個人の住宅のようだが、自由に見学できる


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この交換機、明治22年から昭和51年まで使われていたとある 交換手の女工さんの感じも良い


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大正村資料館は有料


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うかれ横丁 飲み食いしうかれる場所だったようだが、今は寂れて営業している店は無さそう


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大正村の名所には大きな看板があるが、目指す遠山屋敷には看板がない 大正村の散策はこれで終了


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一夜城を目指して山の中を走ると、安住寺の看板があり立寄る


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人里離れた山の中の寺だが、中々立派な寺


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安住寺に、景行夫婦の墓があり、探し回るが見つけれず諦める 


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一夜城


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武田勝頼の明智城攻めに対抗するために、一夜で作られた城 案内無く場所を特定できないが、ナビはここを案内する


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一夜城から帰る途中、遠山景行の墓が気になり、再度安住寺に立寄り探すと、杉林の中に見つける


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スワヶ根砦


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明智の大泉と言う山里 中々村風景が良い


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場所が分からず走っていると看板を見つける 


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スワヶ根砦はすわがね山にある鶴岡山砦 天正12年の明智城の戦いで、信長が陣を構えた


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原城


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鶴岡山砦から1km程の所にナビが案内 


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原城の情報はネットに一切載っていないが、鶴岡山砦の近くなので、信長側の陣があったのではと思う


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天正12年の明智城の攻防戦 勝頼vs信長の戦いで、勝頼が勝ち明智城は武田のものになる