19.11.13 鈴鹿、亀山




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ここは新名神の鈴鹿SA 今日は鈴鹿から亀山の城址を巡る


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大久保城


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法雲寺の横の森が大久保城跡


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お寺の前の道を進むと、何となく森へ入れそうな所がある


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いきなり大きな土塁が目に入る


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土塁と空堀は見応えがありちょっと感動もの


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主郭かどうか分からないが、曲輪の周りを土塁が囲っている


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遺構がしっかり残る良い城跡だが、道が未整備なのと案内が無いのが残念


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高い土塁が真っ直ぐ延びる この景色がとっても良い


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大久保城は、大久保伊豆守が築いた城 1583年の神戸信孝と秀吉の合戦で、岐阜城で討死し廃城


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山本城


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西岸寺の本堂 質素だが堂々としている


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西岸寺の裏山が山本城跡 寺からは山に入れず、反対側から入るとネットにある


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山本氏は四日市の浜田城主田原氏の一族 織田信孝に従うが、1583年に秀吉に攻められ落城


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寺と反対側にある入り口


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道は全然整備されていないが、竹藪の中を何とか歩ける


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大きな堀切が寺の境内の方へ落ちている


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見事な遺構が残っており、もう少し竹藪を何とかして欲しいものだ


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主郭と思われる削平地の周りに、高い土塁が残っている


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竹藪の中に城址碑が立っているが、文字が殆んど読めない


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高い土塁と深くて大きな空堀が印象的


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小岐須城


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遍照寺の境内が小岐須城跡


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南側の森を覗くと、空堀が境内を取り巻いているように見える


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遍照寺の裏には高くて見事な土塁が残る


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小岐須城は亀山城主の関盛信の弟小岐須盛光の居城 1584年羽柴秀吉の部将蒲生氏郷に攻められ落城


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古城


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説明看板には縄張図が書かれているが、城郭へ入る道が無い


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入口らしき所があるが、入ると直ぐ藪でその先へは行けず


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羽柴方の峰城攻略の陣城? 峯城方の支城? 古城は正反対な2つの見方があるようだ


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峯城


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峰城は関盛忠の五男の政実が築城 1583年羽柴秀吉の賤ヶ岳の合戦、翌年小牧長久手の戦いの前哨戦、と2度の争奪戦が繰り広げられた


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先に見た古城と直ぐ近くであり、古城と峰城の深い関係が理解できる


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峰城は県指定史跡であり、整備された登城道となっている


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碑があるが石碑でないのがつまらない


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別の登城道と合流 枡形虎口と書かれており、帰りはこちらの道にしようと思う


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天守台と本丸曲輪の分岐点 まず本丸曲輪へ


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本丸曲輪周りの土塁


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本丸曲輪は広い削平地だが木がいっぱい


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天守台の土塁と本丸曲輪の間の空堀


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天守台へは土塁の上を行く 峰城の見所は、天守台と本丸曲輪の土塁と空堀のようだ


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天守台と案内あるが、天守閣があったイメージは全然わかない


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天守台の先へも道が続いている 別の登城道があるのかも知れない


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天守台の下に削平地があり、曲輪跡のようだ


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下城は先に見た桝形虎口の方へ 石の散乱した道があり、この辺に石垣があったかと思う


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本丸の西側の広い曲輪跡


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桝形なので曲がりくねった虎口を想像するが、まだ真っ直ぐな道がつづく


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道が曲がっているがここじゃなさそう


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桝形虎口の看板があるが、想像したイメージとかなり違った


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落山城


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山裾に城址碑があるが、この付近に山へ入る道はない


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山に沿って少し歩くと、山へ入る畦道があるが、電気柵が張られて通れない


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野元坂館


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民家の前に碑が立っている 民家の裏山が館跡


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平安末期、平氏の一族の伊東景清(悪七兵衛)の館跡


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山への入り口を探すが、何処にも入っていけそうな所は無い 好きな人はこんな所を上がるかも知れないが?


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小川城


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万寿寺の南にある民家の裏山が小川城跡


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小川城跡の碑 亀山氏の城址の標柱は、このスタイルなのに気づく 標柱は木でなく鉄柱である


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小川図書頭は関安芸守の家臣である その先祖小川下野守は正平2年11月凶徒追討の戦いによって南朝綾小路大納言より感状を受けた 小川丹波守、図書猪之助等が歴代居城した と書かれている


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これが城郭へ入る道と思ったが、この道の先は民家の庭に出た


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下は堀と思われるが、良く分からず


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白木城


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ブロック塀に生い茂るこの草花は何なんだろう


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小さくて丸い花がとっても可愛い


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土塁や空堀が残るとあるが、城郭への入り口は何処にも無かった


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高飛館


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ここも遺構があるようだが城郭へは入れず ここは火葬場となっているが、どうも最近出来たようで、城址は破壊されたのではないか?