|
妻木城士屋敷 妻木城
|
|
|
妻木城士屋敷は、何段にも石垣で仕切られている
|
|
|
妻木城は、1339年に土岐頼貞の孫の土岐明智彦九郎頼重が築城とある
|
|
|
石垣が何とも素晴らしい
|
|
|
蔵に御が付いてる案内は何か変
|
|
|
妻木城士屋敷は、中世は妻木城の居館、江戸期は旗本妻木氏の陣屋及び家臣の武家屋
|
|
|
井戸は埋まっている
|
|
|
御屋敷跡 立派な建屋があったのだろう、と想像する
|
|
|
石垣に桝形の案内あるが意味が分からず
|
|
|
妻木城士屋敷から妻木城へ上がる道
|
|
|
道が異様な建物で占拠されている
|
|
|
異様な建物の手前に、仮登山道と案内あり、そこから山へ入る
|
|
|
妻木城は県指定史跡で、登城道は整備されているが、結構急坂でキツイ
|
|
|
巨岩がゴロゴロの道になるが、石垣が崩れた跡か自然の状態か?
|
|
|
三の曲輪へ上がる虎口
|
|
|
三の曲輪に到着 下の登城口に徒歩25分の案内あるが、30分かかった
|
|
|
三の曲輪にある看板 遠くの山々まで描かれている
|
|
|
看板にある通り、御岳山がキレイに見えた
|
|
|
紅葉した山の奥に、南アルプスも見える
|
|
|
キツイ登山だったが、諦めずに来て良かった、とつくづく思う
|
|
|
二の曲輪 奥に本丸の石垣が見える
|
|
|
鳥居が立つが、神社名が分からず
|
|
|
本丸の石垣も中々見事
|
|
|
一の曲輪と案内あるがここが本丸
|
|
|
物見杉と案内あるが、この木に上って物見していたのだろうか?
|
|
|
看板に、下駄を作るのに切り取った跡があるとあり、確かに下駄用に切り取った後に見える
|
|
|
小さな神社、八幡神社と書かれている
|
|
|
大きな石は旗立岩の案内 岩の隙間に旗を立てていたと思われる
|
|
|
本丸を取り巻く帯曲輪
|
|
|
旗立岩の下は巨石が積み重なっていた
|
|
|
本丸の西側にある太鼓櫓跡
|
|
|
広い太鼓櫓跡 くさび岩の案内あったが、何処にあるか分からず
|
|
|
太鼓櫓と蔵跡の間の堀切 蔵跡の方から見るが、見応えある堀切
|
|
|
太鼓櫓下の土塁
|
|
|
井戸跡は跡形も無いが、何となく井戸があったように見える
|
|
|
さすが県指定史跡の妻木城址、城郭や遺構を十分楽しむ事が出来た
|
|
|
崇徳寺に妻木城の門が移築されていると言う事で立寄る
|
|
|
崇徳寺の庭の紅葉がキレイ
|
|
|
山門、鐘楼門、唐門、中門と門があるが、移築門の案内が無い
|
|
|
崇徳寺の本堂横のイチョウがとってもキレイ
|
|
|
唐門と案内がある境内の中にある門 これを移築門にしておこうと思う
|
|
|
掃除していたおばさんに聞くと、寺の入口の山門が移築された門だった
|
|
|
細野城
|
|
|
山裾に登城入口を見つける 城址まで0.4kmなので頑張って登城することに
|
|
|
細野城址は、鶴岡山の登山道の途中にある
|
|
|
思ったより整備された登城道になっているが、結構キツイ上りが続く
|
|
|
0.4kmの案内はきっとウソだ かなり歩くが城址はまだ先
|
|
|
大手道の案内あり 時間測らなかったが、30分近く歩いていると思う
|
|
|
大手曲輪の手前に見通しが効く所があり、素晴らしい景色が見えた
|
|
|
旗が立っている所が大手曲輪
|
|
|
大手曲輪と@曲輪の間の堀切
|
|
|
@曲輪からも展望が効く 紅葉した山は鶴岡山で、中々良い眺め
|
|
|
本丸には城址看板や案内看板がある 史跡でもないのに、よく整備されていて驚きである
|
|
|
城郭がハッキリしていて遺構も残っている 頑張って登城して良かったとつくづく思う
|
|
|
天正十二年の小牧長久手の戦いの際か、慶長五年の関ケ原の戦いの際に築かれ、と書かれている
|
|
|
本丸と@曲輪の間の土塁
|
|
|
広々として中々感じ良い本丸
|
|
|
本丸と搦手曲輪の間の土橋
|
|
|
土橋の両側は深い堀切
|
|
|
搦手曲輪の土塁
|
|
|
搦手曲輪 この先も遺構があるようだが、細野城址巡りはここまで
|
|
|
藪の中の細野城址と思って来たが、トンデモナイことで、とっても素晴らしい城址でした
|
|
|
小里城 小里陣屋
|
|
|
小里城は、土岐氏の流れの小里出羽守光忠が1534年に築城 岩村城や明智城と同じで小里城も、武田と織田の戦いの場になっている
|
|
|
入って直ぐに石垣の案内 小里城も県指定史跡であり、この先の遺構にワクワクして来る
|
|
|
登城道も整備されていて中々感じ良い
|
|
|
東砦と堀切の案内があり行ってみる 東砦跡は看板立っているが
|
|
|
堀切が分からない 東砦の手前のここは、自然の地形の感じがするが、堀切として見た事にする
|
|
|
御殿場へ入る大手門
|
|
|
中々立派な大手門の石垣
|
|
|
御殿場跡 小里陣屋は別の所と思っていたが、後になって御殿場が陣屋と知る
|
|
|
東砦の堀切とした所はやはり違っていた 東砦の奥に堀切がある
|
|
|
御殿場跡の立派な石碑
|
|
|
2段になっている広い御殿場跡
|
|
|
御殿場から延びる登城道 小里城は山の上で、御殿場から500mの案内ある
|
|
|
今日3つ目の山登りの登城 かなりバテてキツイ
|
|
|
本丸手前の大手曲輪 巨石がゴロゴロしているが、崩れた石垣跡か?
|
|
|
大手曲輪から本丸への虎口 キツイと言うよりキケンな道
|
|
|
上がった所が本丸と思ったら、二の丸だった
|
|
|
二の丸から登城道を振り返ると、かなりの急斜面だったのが良く分かる
|
|
|
二の丸から本丸への虎口 崩れた本丸の石垣が残っている
|
|
|
疲れ果てたが無事本丸に立つことが出来た
|
|
|
本丸に天守台があるが、こんな山城に天守閣が本当にあったのだろうか?
|
|
|
何か読み難くてよく分からない案内板
|
|
|
桝形と看板にあるので、ここの事なんだろう
|
|
|
天守台の中は狭くて、小さな城山神社が建っている
|
|
|
天守台の石垣 この山城に石垣組むのは大変だったろうに、と思いやる
|
|
|
本丸を取り巻く帯曲輪 この辺り大きな石が転がっているが、やはり石垣が崩れた石なんだろうか?
|
|
|
本丸下に何層もの曲輪 一番下の看板は腰曲輪となっている
|
|
|
中々見応えある小里城址 えらい目をして登っただけに、感慨ひとしおである
|
|
|
本丸からの展望 町が見えるが、高い建物が無いので瑞浪市街じゃないだろう、と思って見る
|
|
|
小里新城
|
|
|
中々立派な興徳寺
|
|
|
興徳寺の南西にある山が小里新城跡
|
|
|
興徳寺の墓地に小里新城入口の案内がある
|
|
|
案内は立派だが、入口は背丈ほどもある雑木林 強引に入れば入れそうだが、とても入る気にならず
|
|
|
小里新城は結構遺構が残っているようだが、今日は一杯遺構を見ており帰ることにする
|
|
|
|
|
|
|