19.12.8 多治見、土岐、瑞浪




img_2719_thumb.jpg
池田城


img_2721_thumb.jpg
池田稲荷の赤い鳥居と落ち葉の赤が合っていて感じ良い この石垣は城址の遺構と関係ないようだ


img_2724_thumb.jpg
相当古そうな池田稲荷の本殿


img_2726_thumb.jpg
神社の境内が本丸跡か?


img_2728_thumb.jpg
境内の東下に削平地があるが曲輪跡か? 秀吉の武将で小牧長久手の戦いで死んだ、恒興親子の墓がある筈だが見つけれず


img_2734_thumb.jpg
こちらは池田稲荷の隣りにある池田不動


img_2737_thumb.jpg
ネットで調べ直して見つけた 稲荷神社の方にあるのが池田城主の墓


img_2739_thumb.jpg
池田不動側にあるのが、池田勝入斎恒興親子の墓


img_2742_thumb.jpg
多治見国長邸


img_2745_thumb.jpg
美濃源氏土岐氏の流れを汲む多治見次郎四郎国長の館跡 国長は鎌倉幕府討伐(正中の変)に参加するが、六波羅探題の軍勢に攻撃され討死


img_2747_thumb.jpg
多治見の”ぎんざ”とある商店街の一角に、看板と石碑が立っている


img_2750_thumb.jpg
高山城


img_2752_thumb.jpg
高山城跡は、古城山穴弘法大師の東側の山にあり、市指定史跡で公園となっている


img_2756_thumb.jpg
古城山穴弘法大師の石佛 104のお地蔵さんがあるようで、眺めも中々壮大


img_2758_thumb.jpg
城跡への登城口は、古城山穴弘法大師の一番奥にある 城跡まで150mの案内ある


img_2760_thumb.jpg
ここも紅葉の名所と思われるが、この時期すっかり落葉してしまっている


img_2762_thumb.jpg
別方向から、直接車で城跡へ入れるようだが、穴弘法大師から登ってもそう大した事無い


img_2765_thumb.jpg
堀切跡の石碑があるが、それらしき堀切が無い 当時はあったが均されてしまったか?


img_2767_thumb.jpg
高山伊賀守光俊、平井宮内小輔光行らが城主と伝わる


img_2769_thumb.jpg
看板がある所が三の曲輪で、石碑もある


img_2770_thumb.jpg
本丸へ入る所に小さな門があり、その横には立派な石の城址碑がある


img_2771_thumb.jpg
やっぱし史跡として整備されている城跡は良い


img_2773_thumb.jpg
本丸から三の丸方向を見る 写真右側に二の曲輪がある


img_2777_thumb.jpg
本丸には物見櫓と一の曲輪の石碑がある


img_2779_thumb.jpg
何櫓と言うのかか、漢字が読めない 櫓は自由に上がれる


img_2781_thumb.jpg
小さく狭い櫓だが、土岐市街がよく見える


img_2782_thumb.jpg
大きな高山城跡の看板 看板は本丸の山肌にもあり、後で気づくが国19号から、山頂に櫓と看板が見えた


img_2783_thumb.jpg
櫓から本丸を見渡す 小さな休憩所も建っている


img_2785_thumb.jpg
井戸跡とあるが、大きな石で塞がれている


img_2786_thumb.jpg
本丸の奥に神社があるが、神社名が書かれていない


img_2793_thumb.jpg
二の曲輪跡 高山城は城郭はハッキリしているが、土塁や堀等の遺構は残っていないようだ


img_2798_thumb.jpg
貯水池辺りは、落葉したモミジの絨毯 落葉に立つのも中々気持ち良い


img_2804_thumb.jpg
貯水池に逆さもみじの看板があり、紅葉は終わっているが、湖面に映る山肌がとても美しかった


img_2807_thumb.jpg
大富館


img_2808_thumb.jpg
住宅地の一角にある小さな公園に、城址案内と石碑が立つ 城址案内は文字が薄れて殆んど読めない


img_2809_thumb.jpg
鎮守府将軍源頼光の子頼国が、1057年大富の里に住してより、この地が284年の長い間土岐氏の拠点となる


img_2813_thumb.jpg
浅野館


img_2815_thumb.jpg
多度神社が浅野館跡 由来書きに”伊勢国多度町の多度神社”があるが、桑名の多度大社と関係あるんだろうか?


img_2816_thumb.jpg
広い公園の隅の狭い一区画に、多度神社がある


img_2820_thumb.jpg
土岐源氏の祖の源光衡(みつひら)の子、光行・光時兄弟は、承久の乱の後にこの浅野の地に本拠地を移した、と書かれている


img_2822_thumb.jpg
山田砦


img_2825_thumb.jpg
旭王寺の裏山が山田砦跡  織田vs武田の戦いに関係する砦と思ったが、小牧・長久手の戦い時に森長可が築いた砦、とネットに載っていた


img_2826_thumb.jpg
旭王寺の墓地の奥の藪が砦跡と思われるが、藪の中へ入る所が見つからず 遺構はあるようだが、無理して藪に入る気にもなれず


img_2831_thumb.jpg
市原砦


img_2834_thumb.jpg
ファミリーマートの裏山が市原砦と思われる 市原砦は全然ネットに情報が無く一切不明


img_2837_thumb.jpg
一日市場館


img_2840_thumb.jpg
八幡神社が一日市場館


img_2842_thumb.jpg
鎌倉時代の初期、土岐光衡が築く 室町期に入り土岐頼貞が美濃守護となり高田(土岐市久尻)に居城を移すまで、一日市場館が土岐源氏の本拠地となる


img_2843_thumb.jpg
八幡神社境内に、大きくて立派な館跡の石碑が立っている


img_2844_thumb.jpg
明智光秀も土岐源氏の末裔か? 土岐源氏の祖の源光衡と並んで銅像がある


img_2845_thumb.jpg
源土岐三郎光衡公の像 中々勇ましい顔をしているが、兜に花が刺してあるのが不思議


img_2846_thumb.jpg
光秀は、源光衡の直系では無いが、土岐源氏の系列に入っているようだ


img_2852_thumb.jpg
刈安城


img_2855_thumb.jpg
旧中山道沿いの大久後駐車場 権現山にある刈安神社が城跡


img_2856_thumb.jpg
大久後駐車場から中山道を200m程行った所に、刈安神社への登山道入口がある


img_2858_thumb.jpg
権現山山頂は0.6km/30分の標識


img_2860_thumb.jpg
登山道は広くて歩き易いが、とてもキツイ急勾配で滅茶苦茶キツイ


img_2862_thumb.jpg
心臓が止まりそうな程えらかったが、それでも18分で着く 意外な早さに時計見るの間違ったかも知れない


img_2863_thumb.jpg
神社の背後に巨大な岩が聳えている


img_2867_thumb.jpg
巨大な岩の後ろは、堀切を確認できる


img_2869_thumb.jpg
神社より更に上が権現山山頂と思ったが、神社が山頂で城跡だった 帯曲輪が取り巻いているのが分かる


img_2875_thumb.jpg
登山は苦しくて苦手だが、苦労して登ってみると晴れ晴れとした気分になれる


img_2882_thumb.jpg
神社境内が本丸で、神社への入口は虎口か?


img_2885_thumb.jpg
権現山の全景 かなり高い山だが、中腹部に中山道が通っており、登山する距離はそんなになかった