19.12.16 多治見、可児




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根本城


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根元城は、天文年間武田氏が東濃を侵攻した際に、武田氏の一族の若尾氏が最前線として築城した


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登城道は整備されているがとってもキツイ この標識が城址への案内と気づく お陰で安心して歩ける


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旗挙げの松の標柱 ここまで20分かかったが、主郭はもうちょっと上


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松に旗揚げ用のポーチも立っている しかし周りは林、下から旗は見えるのだろうか?


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主郭と隣の曲輪の間の大きな堀切


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主郭へ上がるが、看板は曲輪とある


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主郭周りは大きな土塁で囲まれている 土塁の上に、根元砦跡の標柱が立っている


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主郭と隣の曲輪の堀切を主郭側から見下ろす 深くて見応え十分の堀切


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主郭からの展望 見える町は多治見市街と思うが、高層建物がない


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隣の曲輪から主郭を見る


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御殿屋敷


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印刷会社の奥の森が御殿屋敷跡だが、立入禁止の札がある 屋敷跡の森も、印刷会社の敷地なのか?


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怒られないか心配しながら、そっと立ち入って写真を撮る


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根元城のある山が見える 御殿屋敷は根本城主の若尾氏の居館だったのだろう?


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根本代官屋敷


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竹林の中でまともな入口は無い


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無理やり少し入って見ると、削平地に土塁らしきものが見えた


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今城


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城址碑に、天文年間に小池家継が築城、天正年間に森長可の命により退去閉場、と書かれているが、梅にうぐいすとも刻まれており、何のことか悩む


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今城はキレイに整備された公園になっている


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案内がしっかりあるのが嬉しい


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結構大きな井戸 明治24年の濃尾地震で崩落した


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三の丸から二の丸への虎口


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二の丸の土壁に切岸の案内あり 人工的に急傾斜にして、防御を固めている


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城主の小池氏の墓の五輪塔の案内


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城主の墓にしてはチンケ 五輪塔の削平地は腰曲輪で、二の丸を取り巻いている


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二の丸の削平地 今城の城郭は大きくないが、ハッキリしていて分かり易い


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本丸を取り巻く帯曲輪と思ったが、後に絵図で見ると空堀だった


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二の丸と本丸の間の堀切


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切堀の先は本丸を取り巻く空堀となっている


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二の丸から本丸への虎口


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本丸に立つ木の城址碑


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池田氏は信長に帰順して森可成の家臣になるが、本能寺の変後は反旗を翻す 森蘭丸の兄の森長可に鎮圧される


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本丸の大きな土塁 今城は土塁が大きな見所


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喰違い虎口の看板 初めての言葉だが、桝形虎口と同じ意味なんだろう


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喰違い虎口は、搦手の虎口になっている


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搦手虎口から本丸を見ると、土塁の高さがよく分かる


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もう一つ虎口 小さな本丸だが三方に虎口がある


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入城者のカウンターが用意されている 何時からなのかは分からないが、5766番目の入城となる


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今城は、市や県の史跡でも無いのに、キレイに整備されており素晴らしい


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塩河城


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塩河城はネットに記載が全然無い ナビが古風なダムがある公園に案内する


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室原城


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雑木林に城址碑がある 室原城は、永禄8年頃に可児六郎左衛門秀行によって築かれた


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城址碑の横に登城道らしき道がある


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案内が無いので不安な思いで入る イノシシのワナにしては小さい、何を捕まえようとしているのか?


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空堀の様に見えるが確信持てず


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これは堀切と確信する 竹藪の中だが、中々大きな堀切が残っている


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深い空堀の様に見えるが、自然の地形かも知れない


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道は分岐していて片方は、イノシシ罠を仕掛けてあり進入禁止だが、こちらが本来の登城道のように思える


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下切城


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テニスクラブのクラブハウス前に、岡田将監屋敷跡の碑がある


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テニスコートの奥の森が下切城跡 岡田将監が城主なんだろうが、彼が何者なのか知らない


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大森城


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大森神社の裏山が大森城跡


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鳥居の横に大森城址碑がある


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永禄年間に久々利城土岐氏に属した奥村氏が築城 天正十年に金山城の森長可に攻められ落城している 


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大森神社の左手に登城道がある


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この小さな矢印が城址へ道案内 これだれでも安心出来て大助かり


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凄い堀と土塁が現れる 思いがけない遺構に驚く


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掘り道と土塁が続き、とっても感じ良い眺め


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案内が無いので城郭が全然分からないが、この土壁の上を本丸として見る


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本丸を区切る堀が深い こんな凄い遺構があるとは思ってもいなかった


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ここを勝手に本丸としたが、やはりここが本当に本丸と思える


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本丸を囲む空堀?


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本丸下は、段々に曲輪が連なっている


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本丸下の曲輪 曲輪を低い土塁が囲んでいる


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また下の曲輪 何段あるのか分からないが、下の神社まであるようだ


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曲輪間の堀切も至る所にある 遺構が残る素晴らしい大森城跡だが、城郭の案内無いのがとても残念


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大森神社境内も城郭の一部の様に思える 境内には正月の焚火の準備も出来ていた


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吹ケ洞砦


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大森トンネルの上の森が、吹ケ洞砦跡 トンネル横に階段があるが、くさり止めしてあるので、上がるのはパスする


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千村陣屋


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千村陣屋は、木曽氏一族の千村氏の陣屋で、今は可児郷土歴史館が建っている


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可児郷土歴史館入口にある石垣の所に、標柱と看板がある


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千村陣屋のすぐ横の山が久々利城であり、当然久々利城と関係深い陣屋と思える


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久々利城


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大きな看板に、城主が悪五郎と書かれている 善人だったか知れないが、悪い城主を想像してしまう


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久々利城は岐阜県指定史跡 城郭や遺構が一杯楽しめそうでワクワクして登城する


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登城道はキレイで感じ良い


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城郭へ入る手前に土塁と堀切


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桝形虎口の看板あるが、そんなに曲がりくねった感じはしない


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あちこちにのぼり旗があるのが、城址と言う感じが出て良い


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三の丸へ入る虎口 高い土塁がとっても良い


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広々とした三の丸


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三の丸から下の桝形虎口の眺め キレイな景色に心躍る


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三の丸から二の丸の切岸


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三の丸から本丸への登城道は、防備上と思うがとても狭い


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二の丸と下は三の丸 三の丸からは、狭い登城道からしか二の丸へ入れない


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二の丸の上の本丸も、高くて急な切岸で護っている


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本丸の手前にある腰曲輪 本丸を何重にも防衛しているのが分かる


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二の丸から本丸へ入る虎口


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本丸に立つ 登城口から本丸までは10分程で登れる


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先に見た千村陣屋は、やはり久々利城主や家臣の屋敷だった


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本丸から下の二の丸、その下の三の丸の眺め


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本丸奥にもいくつもの遺構がある 久々利城No1見所と案内ある二重堀切が目に留まる


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奥の曲輪に繋がる土橋がキレイに残っている


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土橋の先は、二重堀切と奥の院・北丸の分岐 先ずは見所の二重堀切へ


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出丸の手前の一つ目の堀切 ※案内無いがこの堀切を1つ目と思う


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出丸の奥に二重堀切の看板と堀切があり、これを2つ目とする


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隣の山は、この時期でもまだ紅葉がキレイ 今年は暖冬で、紅葉が遅くまで見られる


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出丸手前の1つ目の堀切 堀切も美しいの形容が当てはまる


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出丸奥の2つ目の堀切 No1の見所とあるが、素晴らしい堀切に興奮してしまう


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天空の見張郭への虎口


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天空の見張郭にも二重堀切の看板があり、出丸前後の堀切を見ることが出来る


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天空とあるが、郭の周りは木々があり、あまり天空と言う感じはしない


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三河から美濃の街道を監視する拠点でもあったようだ 三河に土岐と書かれているのが釈然としない 土岐は美濃でしょう


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遠くに見える車道は国道475号で三河・豊田へ繋がっている


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北丸から本丸の眺め 遺構も凄いが景色も素晴らしい久々利城は、大満足出来た