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御嵩本陣山城
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御嵩本陣山城は、御嵩を拠点としていた戦国武将小栗信濃守が築城した山城 御嵩城とは、この本陣山城址と権現山城址を合わせた呼称
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山頂まで車で上がることが出来て、大きな駐車場も完備されている
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山頂は広い削平地で、主郭部と思われるが遺構は無い ちょっとした展望塔が建っている
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展望塔から美しい景色が望める 夜9時30分までライトアップされているようだ
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主郭の周りに空堀らしきものが見えるが、空堀跡かどうかは分からない
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御嵩権現山城
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ナビは山の反対側を案内し、登城口を見つけるのに苦労したが、金峰ふれあいの森が入口で、駐車場も完備されている
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金峰ふれあいの森の碑がある所から入ると、直ぐに大きな堀切がある
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金峰神社へ上がる階段 かなり急だが手すりがあるので安全
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山頂にある金峰神社だが、境内は結構広い 案内は無いが、境内が主郭部と思われる
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階段で境内に入ったが、別な所に主郭への虎口がある
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こちらが大手道と思われ、駐車場の奥から入れるようになっていた
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大きな土塁も確認できる
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堀切跡も数か所残っている
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出丸へ上がる所にある堀切 この堀切は大きくて見応え十分
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出丸へ上がる階段
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出丸は結構広くて、周りにはしっかり土塁が残っている
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次の小原城へ向かう途中、旧中山道に耳神社なるものを見つけ、ちょっと立寄る
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耳の病にご利益があるようだが、今のところ耳は問題ないので、参拝せずに見るだけ
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小原城
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白山神社の奥の山が小原城跡
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神社へは急傾斜の長い階段となるが、手すりが無いので、足腰の衰えた老人には、かなり危険と思われる
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鳥居から100m程離れた所に、山へ上がる道があり神社へ行ける 階段より山道の方がよっぽどか安全である
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石垣の上に建つ白山神社の本殿
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白山神社の背後の山が城址だが、神社境内も城郭の一部のような気がする
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山へ入るまともな道は無い 好きな人は、神社奥のこの辺りから、強引に入って行くのだろうと思う
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和知城
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和知城の別名は稲葉城で、天正十八年に西保城主の稲葉方通が移り築城 城跡は稲葉城公園として整備されている
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三の丸が駐車場で、公園広場が本丸 その間にある大堀切が凄い
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公園広場の本丸は結構広くて、異様な感じの櫓が建っているが、これは展望台
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土塁に石垣が敷かれているが、当時の物ではなさそう
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石垣の上に、城址の説明看板と標柱が立っている
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大堀切に降りることが出来る 和知城の見所は、この大堀切のみのようだ
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本丸に建つ展望台に上がると、木曽川に突き出た半島のような地形になっているのが分かる
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展望台から本丸の眺め 本丸の奥に二の丸がある絵図になっているが、二の丸らしき曲輪跡は確認出来なかった
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公園への入口の県道沿いに、公園案内と城址碑がある
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金山城
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出丸の看板は県史跡指定と書かれているが、金山城は国指定の史跡
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中々見応えある出丸の石垣 金山城はかなり高い山城だが、出丸まで車で入ることが出来る
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自由に持ち帰りできるパンフレットが置いてある
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登城口前にある展望台からの眺望 下に蘭丸ふるさとの森が見える
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いよいよ登城 城郭や遺構が楽しみでワクワクする
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三の丸の入口 もっとかかると思ったが、入口から5分程で上がれる
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二の丸西面の石垣 破城の痕跡の説明版があり、故意に壊して再び築かれないようにしている
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金山城は古城山と言う山にあり、国有林だったのものが昭和28年に払下げられ、その記念に造られた碑とある
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この下に湧水場があり、城内に運んだようだ 山城は何よりも水の確保が一番重要だったでしょう
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三の丸から二の丸へ上がる虎口
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三の丸に北曲輪の標識があり、行って見るが道は無くなり小山を直登する羽目に 危険が伴い途中で断念するが、国史跡としては有るまじき事と思う
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三の丸から二の丸へ入る虎口
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二の丸から三の丸を見下ろす
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二の丸の上の本丸の土壁は、案内無いが切岸になっていると思う
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二の丸の南端にある物見櫓跡
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二の丸から本丸へ上がる虎口と思ったが、上がると大手桝形と案内ある曲輪
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崩れた石垣が残る大手桝形の曲輪
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桝形は登城する武士が、息や衣装の乱れを整える場でもあるのを知る
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大手桝形の看板にある二の門跡
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二の門から桝形虎口を通って本丸へ
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桝形虎口を上がると広い削平地に出るが、ここが本丸と思ったが本丸はもう一段上になる
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天守台西南隅石の看板あるが、天守台とあるのが今一分からない
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天守台西南隅石の看板ある所を上がると本丸
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金山城の攻防の歴史の看板あるが、何か読みずらい文章である
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天守台西南隅石の看板から入った所と別な所に、本丸虎口の看板がある
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こちらは搦手なのか? 何かよう分からなくなって来る
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本丸に立つ金山城址の石碑
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本丸からは展望が効き、美しい景色が気持ち良い
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虎口から本丸を見る景色も中々良い
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本丸の石垣 かなり崩れているが、これも破城の跡か?
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蘭丸ふる里の森に立寄る
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蘭丸ふる里の森から金山城を見る ここからも登城道が延びている
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蘭丸産湯の井戸 蘭丸は金山城で生まれている
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顔戸城
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住宅地の中の車道沿いに、城址案内がある
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顔戸城は応仁の乱の頃、斎藤妙椿によって築かれた
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城址は藪の中にあるが、藪の周りに土塁と空堀が取り巻いている
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明智長山城
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西出丸曲輪から登城 後で分かるが、光蓮寺の所に駐車場があり、そこから大手道で登城するべきであった
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入って直ぐに西出丸跡の碑
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そしてすぐに本丸へ 馬防柵が出来ているが、本丸の高台には騎馬で入って来れないだろうに、と違和感を感じる
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康永元年(1345)に美濃源氏・土岐頼兼が名字を「明智」と改めて、初代明智家棟梁となり明智庄瀬田の地に明智城を築城した
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本丸の北端に展望台があり、素晴らしい景色を見ることが出来る
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本丸にある明智城址碑
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城址碑の標柱も立っている
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七ツ塚の石碑 斎藤義竜と明智が敵対していたのが以外だった
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大手道の道 この道の下に大手門があり、後で車で移動して見に行くことにする
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逆茂木の石碑と木の枝があるが、何のことか理解できない
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不可解な馬防柵だが、カッコいいので記念撮影
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看板に台所曲輪、水の手曲輪、乾曲輪へ道が展望台から延びているが、何処にあるのか分からない
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光蓮寺へ移動すると、大きな駐車場があり、大手道の入口になっている
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大手門があり、ここから登城すべきだった
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天龍寺に明智一族の墓があると言うので立寄る
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中々感じの良い天龍寺の本堂
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天龍寺の駐車場脇に明智氏歴代の墓所があり、小さな仏様が幾つも並んでいる
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