19.12.29 新城、浜松北区




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今年夏に訪れたが、草むらでヘビを恐れて登城をパスした3城址を再訪城する


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宇利城


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宇利城は文明年間(1469〜1487年)に今川方の熊谷重実が築いた城 家康の祖父の清康時代から、今川との攻防戦が繰り返されたようだ


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夏に来た時は、水路沿いの畦道が凄い草むらであり、ヘビを恐れて登城をパスした


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愛知県指定史跡で、登城道は歩き易いがかなりキツイ 本丸と御馬屋平の分岐点まで、入口から20分かかった


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先ずは本丸の方へ入ると、直ぐに松平右京亮の墓がある 彼はここで戦死したと看板があり、松平清康の武将と思われる


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井戸跡


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本丸と姫御殿の間の堀切 左側が本丸で右側が姫御殿


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姫御殿の標柱が立っている 削平地で曲輪跡と思うが、名前通り姫様の御殿が建っていたのだろう


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本丸に立派な石の城址碑が立っている


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大きな看板もあり


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山頂にある本丸だが結構広い


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墓があった松平右京亮の事が書かれている 彼は家康の叔父だった


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城址碑の隣りに、城を築いた熊谷備中守実長の碑も立っている


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本丸に残る高い土塁


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本丸北側に物見櫓跡の案内


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櫓跡の下に横堀が見えるが、降りる道は凄く急傾斜で、転げ落ちそうで降りるのは諦める 横堀の向うに納所平の曲輪があると思われる


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本丸南西側に石垣が残っている


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御馬屋平への登城道 急斜面に細くて狭い道が延びているが、木の根に躓いて滑落の危険が大にある 実際躓いてヒャッとした


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御馬屋平の入口 何故かロープで通せんぼしてある


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御馬屋平の標柱が立っている


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奥の高い山が城址と思ったが、入口から30分程で上がれたので、手前の小高い森が城址だったか?


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千頭峯城


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千頭峯城は、南北朝時代三岳城を本城とする井伊氏の城砦の1つ 後醍醐天皇の皇子・宗良親王を奉じて北朝と戦うが、1339年将高師泰の攻撃で落城


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千頭峯トンネルの上の削平地 ここが南曲輪と思うが、看板にある縄張図とどうも合わない


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トンネルの上から、山へ入る道が続く 荷馬街道の看板がある


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千頭峯城は静岡県指定史跡で、登城道はしっかりしている


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本丸と井戸曲輪の分岐 先ず井戸曲輪を見に行く


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井戸曲輪への道を入ると、直ぐに大きな堀切 後で分かるが、幾つかある東曲輪の間の堀切である


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堀切の先はかなり急勾配で、落葉で滑りやすく危なかった


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井戸曲輪にある大きな井戸跡


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覗き込む底が見えるが、水は無かった


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井戸曲輪から本丸へ通じる登城道 かなり急な階段で、本丸からの水汲みは大変だっただろうと思いやる 階段の上りは止めて、来た道を戻り本丸へ


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本曲輪の標識の所を上がる


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広い削平地に出て、本丸と思うが案内が何もない


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削平地の奥に東曲輪の看板がある 縄張図の絵で南曲輪から本丸へ入る道を来たと思っていたが、荷馬街道と看板ある登城道は東曲輪への道だった


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東曲輪の奥に、井戸曲輪から本丸へ上がる階段の登城道に出る


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本丸へは、まだキツイ階段を上がる


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階段を登りきると二曲輪に出る 縄張図で南曲輪から上がっていると思っていたので、何が何だか訳が分からない


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二曲輪から本丸へ上がる階段


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二の丸から本丸への虎口


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本丸のスペースはかなり広く、看板や碑が立っている


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登城は南曲輪からでなく、東曲輪の搦手からだったのを知る


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立派な城址碑と思ったら、戦没者の慰霊碑だった ここは南北朝の戦い、戦国時代は徳川と今川の戦いの舞台となっている


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本丸に着けてやれやれである 時間の確認を洩らしたが、30分程かかったと思う


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本丸の東側に残る土塁


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大手口に石垣が残っている


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看板には搦手と大手の虎口しか書かれていないが、南側にも虎口がある 南曲輪への道と思えるので、こちらから下城する


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少し降りた所から、南曲輪から本丸への虎口を撮る


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大きな竪堀らしきものが幾筋もあり、勝手に畝竪堀だと思う


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やはり南曲輪に降りて来て、やっと縄張図が納得出来た


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南曲輪から西曲輪へ標識があり、入って行くと立派な竪堀跡がある


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更に進むと、西曲輪と二の曲輪の間の堀切に出る


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千頭峯城は、複雑な城郭だったが遺構も多く残っていて、大満足できる城址で、再訪して本当に良かった


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南曲輪から出ると、みかん畑の景色が広がる トンネルの上とは別な所に出ており、看板にあった縄張図を納得する


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三岳城


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三岳神社の裏山が城址で、今日3つ目の山城 500m/30分の案内あるが、既に足は大分ガクガクで辿り着けるか大いに不安


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三岳城は、井伊氏が築いた諸城の内の本城で、南朝方の遠江における拠点となるが、足利尊氏勢に攻められ1340年落城している


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三岳城は国の指定史跡となっているが、登城道は結構キツク険しい


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15分も歩くとクタクタ、ちょっと休憩


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本曲輪と二の城の分岐地 桝形虎口と案内あるが、桝形の感じはしない


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先に三岳城址の本曲輪へ上がるが、この道は一段と急傾斜でキツイ


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本曲輪の虎口 かなり疲れたが、それでも案内通り30分で着いた


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三岳山の山頂が本丸 ちょっと楕円形している


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本丸に立つ中々立派な城址碑


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本丸からの眺望は最高 浜名湖が美しく見える


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本丸と二の城の分岐点に戻り、二の城方面へ


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二の城は分岐点から直ぐに着く


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二の城は細長い曲輪で奥があるが、入口を見て終わりに


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三岳城は国指定なので、見応えある遺構を期待したが、城郭も遺構も余り大した事無かった もっと歩き回ったら凄い遺構が見れたかも知れないが?