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羽崎城
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住宅地に羽崎城→の標識ある その先は民家の庭だが、右手に藪に入る道がある
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藪に入ると直ぐに、土塁らしき土盛の上に小さな社がある
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社の横に羽崎城址碑があり、土岐三河守悪五郎の名が刻まれている 悪五郎は久々利城主
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悪五郎こと土岐康貞は、南北朝時代の武将で弓の名手 羽崎城は、悪五郎の三男・羽崎光直が築城
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城郭もあると思われるが、上は道なき藪で入るのはパス
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上恵土城
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民家の横に土塁が延びているが、土塁と思って見ないと見過ごしそう
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反対側から見ると、土塁と堀であるのがよく分かる
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徳野陣屋
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小早川秀秋の家臣・平岡頼勝が関ヶ原の戦いの功で1604年に屋敷を構えた
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遺構に井戸があるが、周りを探すが見つけれず
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土田城
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文明年間に土田氏によって築かれた城 土田氏は近江佐々木源氏の末裔を称して明智氏に従っていた
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山の麓に、案内看板と城址碑が2つある
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碑の後ろの険しい山が城跡 織田信長の母親の土田御前は、ここで生まれている
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駐車場から山へ入ると直ぐに、城址と中出丸の分岐 城址へ上がるが
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道は細く狭く急で谷側は絶壁 滑落の危険を感じ登城は諦め引き返す
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中出丸の方へ
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中出丸の道は歩き易い 下に見事な渓谷が見える
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しばらく行くと石垣があり 中出丸までどれ程あるか分からないので、ここで引き返す
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猿啄城
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山の麓にある、猿啄城跡入口の大きな石の碑
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1565年に織田信長は丹羽長秀に攻撃させ、その先鋒の河尻鎮吉が落とし、信長はこの城を勝山城と改めている
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去年の夏に訪城したが登城をパスしているが、今日は頑張って上がるつもり コースタイムは30分とある
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登山道入り口
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水の無い川が山を取り巻いている 外堀の役割をしていたと思う
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石碑が2つ並んでいる 1つに川尻と刻まれており、猿啄城を落とした河尻鎮吉の碑と思われる
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いつからのカウントか分からないが、4466番目の登山者となる
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登山道は殆どがこの木の淵の急階段
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登山道は全長750m あと450m地点で座り込んで休憩
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山頂に建つ展望台
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滅茶苦茶えらかったが、コースタイムとそうかわらない32分で着く
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山頂への入口 これも虎口と言っていいのか?
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シンプルだが感じ良い展望台
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北の方向 美濃加茂市街、御岳、乗鞍が記載ある
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美濃加茂市街は分かるが、御岳、乗鞍は全然見えず
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南の方向 木曽川、小牧山、テレビ塔の記載あり
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高い山が小牧山だが、なんか違うような感じ 遠くに名古屋の高層ビル群が見える
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山頂はとっても狭い削平 これが主郭なんだろうか? この狭さでは、大勢が立て籠もれそうもない
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猿啄城は景色は楽しめるが、遺構は今一か? 下山も約30分かかる 冷たい湧水が有難い
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牛ヶ鼻砦
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ナビが白山神社を案内 長い階段の上に神社本殿がある
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白山神社で初詣 今年の城址巡りの安全を祈願する
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白山神社の背後の山に上がると、大きな不動明王の寺がある
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さらに近くに天狗山荒薙教と言う神社があり、この神社は初詣客で大賑わい
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天狗山荒薙教のドデカイ天狗象 何な訳の分からない場所に来た感じ
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天狗山荒薙教の所が城跡で、毛利山城址の立て札がある 牛ヶ鼻砦の別名が毛利山城のようだ
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馬串砦
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馬串砦は、1582年に金山城主森長可が、牛ヶ鼻砦を攻める際に築いた陣城
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山頂付近は切立った岩が見える もう山登りしたくないので、登城口をよく探さず無いと言うことで、今年最初の城巡りを終える
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