20.1.6 岩村、瑞浪




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岩村城


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去年訪城した時、一番の見所の六段壁を見ていなかったので再訪城する 山頂に駐車場があるが、岩村歴史資料館から登城道を歩く


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登城道入口 山頂の本丸までは700m


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登城道の見所には看板がある 最初は藤坂で、藩主邸から一の門まで続く急な坂道


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初門 登城道は曲げて造られ、有事の際にはここに門が構えられた


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鍵の手に曲がった登城道の両脇の石垣に、初門があったと思われる


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一の門 二層の櫓門で大手一の門と呼ばれる 左には多門櫓を構え、通行者を見張っていたようだ


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一の門の右の石垣 石垣の上は塀が築かれていて、敵の侵入に備えている


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一の門の左の多門櫓の跡地


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土岐門 一の門の上にある第二の門 土岐氏を破って城門を奪い移築したことから、この名前が付いた


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土岐の門の上の登城道は、両脇は土塁で高くして道は狭い これも防衛の為なんでしょう


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畳橋 堀に木橋が架かり、敵に攻められたら橋板をとって侵入を防ぐ橋 どこに架かっていたのかよく分からず 


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畳橋の直ぐ上の立派な石垣きは、三重櫓の石垣


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追手門と三重櫓 追手門は桝形門になっている 三重櫓は岩村城唯一の三層櫓で天守に相当とある 看板の櫓の絵がひっくり返っている?


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三重櫓跡から畳橋を見る


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登城道は見所がいっぱいあって楽しい 次々に現れる看板を見ながら歩くので、急な坂道なのに全然疲れない


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井戸があり霧ケ井と思ったが、この井戸じゃなかった


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霧ケ井 敵に攻められたとき、井戸に蛇骨を投じると霧がわいて城を守るそうで、岩村城の別名は霧ケ城と


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こんな小さな井戸からわく霧なんて、大したことないだろうにと思ってしまう


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水はいっぱい湧いている


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八幡神社 岩村城創築者・加藤景廉を配神した神社


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石垣で囲まれた八幡曲輪は立派だが、上の神社本殿は質素


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総合案内の看板には載っていなかったが、立派な菱櫓が建っていたようだ


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目当ての六段壁が見えてきた


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岩村城紹介のTV放送で、一番の見所は六段壁と言っていた


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岩村城は立派な石垣が随所にあるが、確かにこの六段壁は圧巻で一番と思える


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六段壁の看板 最初は最上部だけだったが、崩落を防ぐために補強の石垣が、繰り返し造られたとある


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TV放送で、人雛を格段に並べたら面白いのにと言っていたが、確かにやってみる価値ありそう


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二段目は入れたので、ちょっと入って上の段を見上げる


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感動の石垣でした わざわざ再訪し見に来た訳だが、来て良かったとつくづく思う


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反り返った石垣がとても美しい


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長局埋門  両側の石垣の上に多聞櫓を乗せ、石垣の間に門を設けた櫓門


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多門櫓や門が無くても、石垣だけでも見応え十分


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長局埋門を上がって、右手の細長い曲輪が長局 左に行くと本丸の正門の東口門枡形


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埋門 石垣の上には櫓、石垣の間のクランク通路には三つの門扉があった、と案内ある


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桝形の本丸埋門で、本丸の防衛を堅固にしているのが分かる


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本丸に上がると、恵那山や真っ白な北アルプス?の山々が見えた


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本丸から長局埋門を見る 上から見る長局埋門 も中々の眺め


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本丸跡の広場 訪城者はちらほらだが、今年は大河ドラマの影響で、近くの明智城戸と共に大勢の訪城者が予想される


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本丸にある歴代将士慰霊碑と案内看板


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岩村城の創築は、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の重臣加藤景廉が、文治元年(1185)に岩村遠山荘地頭に補せられたのに始まる


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1570年代の岩村城主は遠山景任で、妻は織田信長の叔母 遠山景任が病死すると、信長の第四子御坊丸を遠山氏の養子としが、御坊丸が3歳であったため、景任の未亡人が実質上の岩村城主となった


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昇龍の井戸 山頂の井戸だが、水が枯れることがなかったそうです 今は枯れて水は無い


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長局埋門から入って左手にある東口門枡形で、ここが本丸の正門


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東口門枡形を入る方から見る 桝形に組まれた石垣がカッコ良い


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本丸から下の南曲輪を見る


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本丸から下の出丸を見る 出丸に駐車場があり、登城道を歩かず車で上がれる


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最後に一番の見所の六段壁と写真を撮って終わりにするが、天守や櫓の建物が無いのに、感動いっぱいの岩村城に大満足


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城下の古い町並みは、重要伝統的建造物保存地区になっている


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月曜日の昼は、観光客は疎らでした


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木村さんの祖先は、豊田の拳母の藩士と書かれている


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古い町並みは、岐阜の高山みたいに、人がぞろぞろ歩いていた方が絵になると思う


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次の城址の水晶山陣が、出丸に上がる山道にあり、折角だから出丸にも立ち寄る


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出丸から本丸を見上げる眺めも中々のもの


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出丸は、本丸の南西の防衛を担う重要な曲輪、と看板に書かれている


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南曲輪 二本の堀切や竪堀、土塁の遺構が残っている


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奥に堀切を確認


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堀切の下は竪堀と思うが、凄い断崖絶壁で人工的な堀に思えない


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更に奥に大きな堀切


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素晴らしい遺構が残るのに、驚きと共に感動する


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周りは急斜面で足場も悪い 足腰に自信がなく、滑落が心配で歩き回れない


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水晶山陣


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出丸の数百m手前に、水晶山の登山入口を見つける ここを上がった所が、水晶山陣の西尾根部と思われる


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水晶山はぐるっと取巻く尾根の奥で、あの山が山頂と思う 登山道入り口に1.6kmの案内があり、山頂まではかなりキツイ登山となりそう


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釜戸陣屋


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竹藪にちょっとした入口が見え、そこから藪に入れた


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竹藪に入ると直ぐに堀切


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広い削平地の周りに、土塁が確認出来る 竹藪の中に遺構があり、ちょっと驚きである


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竹藪を抜けた民家の前に、馬場氏陣屋跡の看板がある 江戸時代は旗本馬場氏の陣屋があったようだ


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竹藪の外からも、空堀を確認できる


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竹藪の中を歩き回った結果 冬でも草の種がくっ付くとは これ払っただけじゃ落ちないので、結構大変なんです


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鶴ケ城


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諏訪神社の西方の小山が鶴ヶ城跡 諏訪神社は、1563年に鶴ヶ城主・土岐信光が建立


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諏訪神社の先の最高所に、登城口がある


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石碑に瑞浪市有形文化財とあるが、鶴ケ城は岐阜県指定史跡


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カッコ良い城址碑が登城口にある


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県指定史跡であり、登城道は整備され歩き易い ここも明智必秀と書かれた旗が立っている


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二ノ木戸跡とあるが、何の事かよく分からず 戸とあるので門でもあったのかと推測する


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登城道を10分ほど上がると、西出丸に着く


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出丸の端の土塁


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眺望抜群の案内あるが、西出丸の奥から恵那山や北アルプス?の山々が眺望出来る


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西出丸から続く土塁が高くて見事


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葵の井戸と案内あるが、何で葵なのか分からず


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井戸は枯れて水は無い


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葵の井戸から東出丸へ上がる 井戸の奥は本丸の壁で、かなり急傾斜で切岸と思われる


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東出丸跡の削平地


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東出丸から本丸への虎口


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本丸標柱と城址案内看板


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鎌倉時代に土岐光衡が築城し、美濃国統治の本拠のなった城 1582年武田氏との合戦で、信長・信忠父子も入城している


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切岸の案内あるが、垂直の壁となっており、人間の力の凄さを感じる


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小さな社の土岐神社が祀られている


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西出丸から続いている土塁の上は、土橋で往来出来るようになっている


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鶴ヶ城も県指定史跡だけあり、結構見応え十分で楽しめる


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戸狩城


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一乗院の裏山が戸狩城跡 何か異様な銅像が建っている


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国道352号から一乗院へ入る道があるが、非常に分かり難い ナビは瑞浪ICを入って中央道沿いを案内し、恵那ICまで無駄走行してしまう


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美濃の朝は非常に冷えて、車道の凍結が心配されるので、春まで美濃は止めにする 静岡も三重も遠方になり、これからは泊りの城巡りが必要と思うが、泊りで出かける気力が湧くかが問題だ