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舟ケ谷城
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登城道は2つあり、最初到着した北側は崩落で通行止め 南側に回る途中に左馬武神社を見つける
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昨日巡った城で知った新野左馬助は、ここで討ち死にしている
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左馬武神社入口に、城址の案内看板があり、奥に見える山が舟ヶ谷城の城跡
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南側の登城入口
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入口を上がりきると、大きな城址看板がある広場に出て、ここまで車で来ることも出来た
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舟ヶ谷城は、新野領主・新野左馬助の居城 左馬助は井伊直政の命の恩人とある
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ここが登城入口で山へ入る
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尾根道が感じの良い土橋になっている
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番号の付いた案内が分かり易い 案内看板によると、7つの堀切と2つの横堀がある
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1号堀切
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2号堀切
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尾根道が幾つもの堀切で、分断されているのに気付く
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3号堀切
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4号堀切
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1号横堀
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2号横堀
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5号堀切
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6号堀切
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7号堀切 7つの堀切で終わるが、何とも素晴らしい堀切で、只々感動する
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堀切を楽しみながら歩くと、本丸を見ていないのに北曲輪に出る
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北曲輪から見晴しが効き、田舎の景色を楽しめる
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看板に2号横堀の東に本丸跡が描かれており、2号横堀の上の尾根を本丸跡と思う ※実際は東は谷側で、本丸跡は崩落していて確認出来ない
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八幡平の城
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想慈院の北に広がる山が八幡平の城跡
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想慈院の100m程手前に大手登城口がある
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八幡平の城の登城道も、標識があり良く整備されている
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主郭手前にある横堀
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大きな堀切も確認出来る
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主郭へ上がる虎口
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主郭下にある竪堀 2重の竪堀が中々感じ良い
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主郭部は広い削平地
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主郭に立つ木製の大きな城址碑
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登城して来た道は、本丸を取巻く横堀だと分かる
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本丸東側の堀切 この先にもう一つの郭があるが、八幡平の城巡りはここまでとする
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御前崎市新野には、新野左馬助ゆかり城が4つあり、いずれも整備されていて遺構も多く残り楽しめた 2017年の大河ドラマ直政で整備されたような気がする
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こちらは想慈院からの登城口 案内看板には未整備と書かれていた
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藤ケ谷城 ※登城口を見つけれず
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朝比奈城 ※登城口を見つけれず
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殿ノ山城
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民家の庭のような所に看板があり、ここが登城入口と思われるが?
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看板横の道を歩くが、城址と思われる山を通り過ぎてしまう 山へ入る道は何処にもなかった
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山の中を覗くと、城郭ポイ感じもするが、諦める
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相良城
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相良町役場横の相良史料館前に城址碑がある
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相良城は、1768年に田沼意次が築いた城
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滝堺城
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滝堺城は、武田信玄が馬場美濃守に命じて築いた城とある
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八幡宮の前に田村街道と滝堺城跡の標識がある 車道は悪路で、ここに車を置いて歩く
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キツイ悪路を上ると、茶畑の中の車道に出て、城址案内の看板がある
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車道だが堀切跡と思われる
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広大な茶畑があるのみで、城郭が分からない
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茶畑を通り抜けると、また堀切があり、その先はまた茶畑
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牧之原市街と駿河湾が見える
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茶畑が城郭で、堀切を境に、三の丸→二の丸→本丸、だと気付く 滝堺城は市指定史跡なのに、案内表示が無いのが残念
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大鐘屋敷
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大鐘屋敷は、江戸時代の庄屋の屋敷 入場は有料でありパス
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柴田勝豊の家臣の大鐘貞綱が、当地に移り住んだとある
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今日は笑福の湯に泊まる 笑福の湯は、コンセント使えず、持込飲食はダメ、リクライニングシートは狭い、昨日のエキチカ温泉くろしおと雲泥の差だった
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