|
大平城
|
|
|
大平城は昨年9月に訪れたが、草むらで蛇が怖くて入山をパスしている この時期なら草むらもヘビも心配なし
|
|
|
五体力神社の由緒碑 この地域は南北朝時代は、後醍醐天皇の第八皇子・宗良親王が籠る南朝の拠点だったようだ
|
|
|
五体力神社の境内に城址案内看板がある
|
|
|
城址看板に描かれている、大平城の城郭図 東西の尾根に曲輪が延びている
|
|
|
登城口は神社の右側 昨年9月に来た時は、草で覆われていたが今日は問題なし
|
|
|
本丸手前に城址碑 もっと時間かかると思ったが、神社境内から10分程で着いた
|
|
|
城址碑の上が本丸 本丸に標柱あるがちょっと貧弱
|
|
|
本丸と東尾根の下にある北帯曲輪
|
|
|
本丸と東曲輪の間の尾根は登城道
|
|
|
尾根道を進むと直ぐに東曲輪
|
|
|
東曲輪の先の尾根は、大きな堀切で裂かれている
|
|
|
中々深い堀切に感動 堀切の先も東尾根曲輪は続いているが、此処までとして引き返す
|
|
|
北尾根曲輪から北曲輪が、本丸下を取巻て本丸を防衛しているのが分かる
|
|
|
西尾根に延びる曲輪 尾根下は自然の崖で護られているのか、大平城は土塁が無い
|
|
|
西尾根から突き出た別尾根があり、その先は大きな堀切 急斜面で堀切に下りるのは危険でパス
|
|
|
案内無いがこの辺りが西曲輪 大平城は市指定史跡で、案内板は立っているが、メンテされていなくて文字は殆ど消えている
|
|
|
西曲輪の先は小さな堀切
|
|
|
堀切の先も西尾根曲輪が続いているが、此処までとして大平城の巡りを終わりにする
|
|
|
鳥羽山城
|
|
|
鳥羽山城は整備された城址公園になっている
|
|
|
鳥羽山城の大手道入口 鳥羽山城は二俣城の南にあり、家康が二俣城攻略時に本陣を置いた
|
|
|
広い大手道にちょっと驚き 道の端は石垣の土塁が残っている
|
|
|
本丸下の曲輪 二の丸か? 曲輪の平地の全面が、猪の掘り起した跡があり、これもちょっと驚き
|
|
|
本丸への虎口 防衛のために桝形になっている 見える建屋は展望台
|
|
|
本丸周りは高い土塁で囲まれている
|
|
|
石垣で補強された土塁の上に橋が架かる 東門跡の案内があり、東側からの虎口も桝形になっている
|
|
|
当時の石垣なのか分からないが、中々見応えあり
|
|
|
大手門は南側で、北側は搦手門があり
|
|
|
搦手門を出た所からの本丸の眺め 両側の石垣のある高い土塁の景色が良い
|
|
|
本丸周りの高い土塁は幅もあり歩ける 有事の時、槍を持った兵士が土塁の上を行き交う姿を想像する
|
|
|
こんな物まで造られていた 遺構は全く残っていなかったが、家康も中々風情あるんだと見直す
|
|
|
展望台からの眺望 天竜区は山奥の町で、高いビルは全然無い
|
|
|
天竜川越しに鳥羽山城址を見る 鉄塔の左に展望台の建屋が見える
|
|
|
和田ヶ島砦
|
|
|
前写真の森は城址ではなかった 対面の森が和田ヶ島砦跡で、森へ入る道に堀切がある
|
|
|
主郭部は畑地 和田ヶ島砦は二俣城の西にあり、家康が二俣城を包囲するように築いた砦
|
|
|
毘沙門堂砦
|
|
|
栄林寺の東の山が砦跡 毘沙門堂砦は二俣城の東に位置し、二俣城攻略の為に家康が築く
|
|
|
山肌一面が墓地になっている 何処かに毘沙門天が祀られているが、見つける事が出来なかった
|
|
|
栄林寺の本堂は、本堂の感じがせず旅籠に見える
|
|
|
蜷原砦
|
|
|
蜷原砦は二俣城の北にあり、二俣城の東西南北を包囲している 家康の並々ならぬ二俣城攻略の決意が伝わってくる
|
|
|
笹岡古城
|
|
|
天竜区役所の入口に、城址の碑と案内看板がある
|
|
|
笹岡古城は二俣城の前身の城で、別名は二俣古城 戦国時代後半に、防衛しやすい二俣城に機能が移った
|
|
|
天竜区役所の敷地が城跡で、周りの山に土塁が残っているようだ
|
|
|
二俣城
|
|
|
二俣城跡は市指定史跡で、城山公園として整備されている
|
|
|
旭ヶ丘神社の境内が北曲輪跡 もっと歩くのかと思ったが、駐車場から直ぐで10分もかからない
|
|
|
北曲輪と本丸の間の堀切 堀は天竜川まで達している
|
|
|
堀切の南側の急階段 当時はこちら側も堀が切られていたのだろう
|
|
|
北曲輪から本丸への虎口 案内看板に食違虎口と記されている
|
|
|
広い本丸はグランドゴルフ場になっている 本丸の周りは高い土塁が残っている
|
|
|
二俣城は、桶狭間合戦後今川から徳川へ、三方原合戦時に徳川から武田へ、長篠合戦後武田から徳川へ 家康の嫡男の信康はこの城で切腹している
|
|
|
本丸の北端にある天守台
|
|
|
この上に天守閣はあったのだろうか? 中々迫力ある石垣で、見応えあり
|
|
|
天守台のスペースはそんなに広くない 端から石垣を上から覗き見ると足が竦む
|
|
|
二の丸からの虎口 こちらが大手門で、北曲輪からは搦手門
|
|
|
二の丸から本丸を見る やはり天守台の石垣が印象的
|
|
|
二の丸と蔵屋敷の間の門 ここが大手門と思われる
|
|
|
二の丸跡
|
|
|
二の丸と蔵屋敷の間の堀切
|
|
|
蔵屋敷の端に、見事な石垣の土塁が残っている
|
|
|
堀切の下に下りると高さが良く分かる 素晴らしい堀切の景色に大満足
|
|
|
二俣城の城郭図 信玄に天竜川の水汲み場を抑えられ、二俣城は陥落しているが、その場所が何処だか分らなかったのが残念
|
|
|
只来城
|
|
|
二俣川の奥の山が城跡 三方ヶ原合戦時、勝頼の別動隊が二俣城を攻める前に、只来城を攻め落としている
|
|
|
光明城
|
|
|
光明山山頂にある光明寺遺跡が城跡
|
|
|
城か寺かどちらが先か良く分からないが、光明寺も城のような寺だったようだ
|
|
|
凄い石垣が残っているが、ネットによれば山岳寺院の石垣とある
|
|
|
この広い平地に、看板に描かれていた光明寺の建屋があったのでしょう
|
|
|
平地の隅に古井戸の案内あり 下の青い屋根の所が井戸跡と思うが、ビニールシートで覆われていて確認できず
|
|
|
平地の一段上にも平地が広がり、ここが主郭部と思われる
|
|
|
主郭部に一段上がる所があり、ここに光明寺の本堂があったか?
|
|
|
主郭部の平地も石垣で仕切られていて、色んな建屋があったと思われる
|
|
|
浜松の自然100選の標柱が立つ展望所
|
|
|
誰かのネットに、先ほど行った只来城址の山が見える、とあるがどの山だか全然分からず
|
|
|
いつもは3時には帰路につくが、今日はもう4時半ぐったり疲れました
|
|
|
光明山は国道から外れ林道を7km程走る 林道は舗装されているが、深い山の中の走りはとっても不安になります 熊とか猪とか鹿とか飛び出してきてブツカラないかと、本気で心配しました
|
|
|
|
|