|
墨俣城
|
|
|
凄い天守閣にちょっと驚き 藤吉郎が一夜で築いた墨俣城に、天守閣等有ろう筈も無いのに
|
|
|
墨俣城の周辺には、探索するポイントが多くあるようだ H義援円公園・源平墨俣川古戦場は後で行こうと思う
|
|
|
秀吉と言えば出世、そして瓢箪 造られて当然のようなモニュメント
|
|
|
値段は見なかったが、秀吉の出世運にあやかろうと買う人がいるのでしょう
|
|
|
秀吉の派手好み?を示すような、大きな城址の石碑
|
|
|
一夜城で有名な墨俣城は、柵で囲まれたこんな城だったと思われるが、一夜では無理だったでしょう
|
|
|
秀吉の肖像画はこの3つがあるようだ
|
|
|
ひな祭りは終わっているのに、華やかな雛が飾られている
|
|
|
一見幽霊なような女性は、信長の妾の吉乃さん
|
|
|
秀吉の合戦記録1 姉川の戦い〜小谷城攻め
|
|
|
秀吉の合戦記録2 長篠の戦い〜本能寺の変・中国大返し
|
|
|
秀吉の合戦記録3 賤ヶ岳の戦い〜小牧長久手の戦い
|
|
|
天守から岐阜城(稲葉山城)が見える 墨俣と稲葉山は意外と近かった
|
|
|
斎藤勢の騎馬を防ぐ馬柵 押寄せる斎藤軍を、柵の内側から鉄砲で防いでいる、時代劇のシーンを見た覚えがある
|
|
|
一夜城公園内にある豊国神社
|
|
|
豊国神社は、秀吉が活躍した各地に建てられたとある
|
|
|
実際には無かった天守だが、中々格調高く美しい やはり秀吉だから金のしゃちほこ
|
|
|
斎藤勢の攻撃で、秀吉側も犠牲があったようだ 犠牲者の碑がある
|
|
|
木下藤吉郎秀吉の像とあるが、天下統一した関白秀吉の顔になっている
|
|
|
太閤出世橋から天守閣を見る
|
|
|
墨俣城は川に囲まれており、木材を筏で流して運んだ秀吉の知恵はやはり凄い
|
|
|
墨俣宿の本陣跡 車で移動中に偶然見つける
|
|
|
常夜灯と本陣跡の碑があるが、宿場の雰囲気は全然ない
|
|
|
美濃路は、東海道の宮宿から分かれて、中山道の垂井宿へ繋がる
|
|
|
義円公園 この辺りで源平の墨俣川の合戦があったようだ
|
|
|
墨俣川の戦いは、平清盛の死後、東国源氏が京へ攻上がるのを、平家が迎え討つ戦いで、平家が勝利している
|
|
|
源平合戦と言うと、栄華に溺れた平家の負け戦ばかりと思っていたが、平家が勝ったのが気持ち良い
|
|
|
源義円は源頼朝の弟で、墨俣川の戦いで戦死している
|
|
|
結城
|
|
|
結城は道三の重臣の日比野清実の城
|
|
|
信長は、長篠の合戦、越前一向一揆討伐前に、ここ結神社で七日間の戦勝祈願をした
|
|
|
縁起のいい神社と言うことで、縁結びの神社となっている
|
|
|
ネットに遺構はないとあるが、参道に沿って土塁と堀らしきものが?
|
|
|
小野城
|
|
|
小野城跡の専勝寺 大垣城主の氏家卜全の家臣横幕信兼の居城
|
|
|
大垣城
|
|
|
水の手門より入城 右手の櫓は戍亥(いぬい)櫓
|
|
|
大垣城は、1535年土岐氏の重臣・宮川安貞が築城 1585年秀吉は一柳直末を城主として天守閣の造営を命じ1588年に完成 関ヶ原の役では、石田三成が大垣城に入城し 西軍の本拠とする
|
|
|
天守台の石垣 何とも凄い
|
|
|
城西広場から本丸へ入る門 立派な門だが名前が?
|
|
|
城西広場にある戸田氏鉄(とだうじかね)騎馬の銅像
|
|
|
関ヶ原の戦い後の1635年、摂津尼ヶ崎より戸田氏鉄が入城し、戸田十万石の居城となり明治維新まで続く
|
|
|
天守は、昭和の初めに国宝となるが戦災で焼失 昭和三十四年に外観を昔そのままに再建された
|
|
|
天守の正面 入城料はは200円
|
|
|
家康の天下取りの構想
|
|
|
三成の豊臣政権維持の構想
|
|
|
その時家康は
|
|
|
その時三成は
|
|
|
尾張・美濃・伊勢の武将達の東西選択
|
|
|
そんなに重くないので、本物の造りではないかも
|
|
|
鑓先も色々な形がある
|
|
|
関ヶ原の戦いの様子だが、東西の陣営は分からない
|
|
|
前哨戦の抗瀬川の戦いでは、西軍が大勝利している
|
|
|
本丸の東側の石垣と土塁
|
|
|
辰巳櫓跡
|
|
|
東埋門跡
|
|
|
武徳殿と案内あり
|
|
|
内柳口門と艮隅櫓 門の前に城址碑があるので、この門が表門か?
|
|
|
艮隅櫓 城郭図と案内板が合わず、大垣城の見物は中々難儀
|
|
|
本丸の南からの眺め
|
|
|
この城郭図の表現と実際が合わない
|
|
|
本丸南側の入口の鉄門跡
|
|
|
鉄門跡と数メートル離れて七間多門跡
|
|
|
金森吉次郎像とあるが何者?
|
|
|
地元の養老の滝に因んで造ったのでは?と思う
|
|
|
立派な天守や櫓等の建造物があり、素晴らしい大垣城なんだが、今一城郭が頭に入らなかった
|
|
|
長松城
|
|
|
説明に竹中誰々とあるので、秀吉の軍師の竹中半兵衛に絡む城かと思ったが、どうも半兵衛と関係ないようだ
|
|
|
長松城跡は荒崎小学校
|
|
|
青野城
|
|
|
田んぼの中にポツンと石碑がある
|
|
|
石碑の裏に城址の説明あるが、読み難く写真のみ撮る
|
|
|
お茶屋屋敷
|
|
|
お茶屋屋敷は、将軍家専用の宿泊施設
|
|
|
将軍が宿泊するとあってか、土塁と堀で防備されている
|
|
|
外は竹穂垣で囲まれていて中々感じ良い
|
|
|
井戸跡 井戸は埋まっている
|
|
|
真っ直ぐ延びた緑の竹林がとても美しい
|
|
|
竹藪も整備されると中々のものになる
|
|
|
屋敷内奥の土塁と堀
|
|
|
屋敷内はボタン園と言うことだが、この時期は何もない
|
|
|
園内にある延命地蔵尊 提灯がカッコイイ
|
|
|
一面に鮮やかな緑の苔 竹や苔を見て、将軍も落ち着いて休めたことでしょう
|
|
|
勝山本陣
|
|
|
勝山斎場の墓所の中を登って山へ入る 墓場の景色だが、上から見ると中々圧巻
|
|
|
山頂に、関ヶ原合戦岡山本陣跡の碑がある 勝山本陣は、関ヶ原合戦時に東軍が西軍の大垣城と対峙した陣城
|
|
|
隣に弘文天皇壬申の乱の碑があり、ここは壬申の乱の舞台でもあったようだ
|
|
|
皇太子殿下御野立之處の石碑 いつの皇太子か分からないが、こんな山に皇太子さんも来たんだ
|
|
|
安楽寺の裏山が勝山本陣跡
|
|
|
安楽寺を参拝して本日の城巡りを終える 昨日と同じ岐阜羽島のゲストハウスで宿泊
|
|
|
|
|
|
|