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十九条城
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信長は墨俣城だけでは不十分とし、十九条村に城を築き、一族の織田勘解由左衛門信益を城主とした
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津島神社が十九条城跡 石垣に囲まれた神社が、ちょっと城郭ぽい
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津島神社の直ぐ近くにある念瑞寺が、二の丸跡とネットに載っていた
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堀跡が残るとあるが、とても堀には見えない
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本田城
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堀池からの水路が森を取巻いているが、全く城址と言う感じがしない
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本田代官所跡の近くにある高札場跡の案内
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本田代官所
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寛文十年(1670年)に幕府直轄地の代官所として陣屋が設置された
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美江寺城
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中小学校の西隅に城址碑と説明板がある
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1460年代に、美濃国守護・土岐氏の家臣和田八郎が居館を構えたのが始まり 1542年土岐頼芸と共に斎藤方と戦い、道三の軍勢に攻められ城は焼失
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学校のグランド内に城址 今は新コロナウイルスで閉校中で勝手に入ったが、学校やっている時は入れないかも
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十七条城
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熊野神社に城址の説明板がある 大河ドラマ・春日局の時に立てられたようだ
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享禄年間に林正長が居城 正長の二男正成は稲葉重通の養子となりお福(春日局)と婚姻
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城跡は熊野神社でなく近くの民家 城址碑がある筈だが、民家の中へ立入る訳にもいかず、周りを見渡したが見つけれず
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曽根城
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華渓寺の入口に、曽根城址碑と説明板と曽根華渓寺福水がある
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大垣市は昔から水の都と呼ばれていて、湧水も凄い量があるようだ
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曽根城は、室町時代末期に稲葉通富によって築かれた
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中でも、西美濃三人衆の一人として活躍した稲葉一鉄は、土岐氏が没落してのち、斉藤氏に仕え、さらに織田信長に仕えて5万石を領したとある
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本丸跡の華渓寺は、周りの水田より一段高い 水田は水堀だったように見えるが?
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中々格調がある華渓寺の本殿
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自由に入れる記念館がありちょっと入って見る 名前が読めないし誰だか分からない、夫婦?の像がある
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福水をちょっと頂く 結構冷たくて中々おいしかった
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平成元年に発掘された稲葉一鉄時代のものと思われる石垣と石敷
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華渓寺の隣りは曽根城公園で、記念館で見た銅像がある 帰ってから調べると、梁川星巌(やながわせいがん)と妻の紅蘭で幕末時の漢詩人
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聞いたことが無いがハリヨと言う魚がいるようだ 絵を見ると古代魚に見えてしまうが
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透き通った水の美しい池 ハリヨは確認出来なかった
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移動しかけたら、偶然斎藤内蔵助利三の屋敷跡を見つける 利三は、明智光秀の家臣で春日局の父親
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北方城向かうが、ナビは慈渓寺に案内し、そこには吉田城址の碑 再度場所を確認してナビにセットすると、10km以上離れている どうなっているのかさっぱりだが、最後にそこへ行くことにする
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和泉城
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ネットには城址碑が載っているので、藪の周りを歩くと本当にあった
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まず見つけれないと思っていたので、見つけれたのに大驚きである
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西保城
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民家の前に城址碑がある 碑があるのでこの民家が西保城と思われる 前の和泉城もこの西保城も、神戸町の指定史跡なのが驚きである
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北方城
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住宅地の一角に、城址碑と説明板かある ここは大井神社、常誓寺の近く
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西美濃三人衆の一人安藤伊賀守守就の城? 大垣市北方町には、どうも2つの北方城があるようだ 慈渓寺の吉田城もこことは異なる北方城だったようだ
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常誓寺前の通りに北方陣屋跡の看板がある
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常誓寺 北方城と関係ある寺かと思ったが、何の関係もないようだ
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最後に大井神社を参拝して、今回の3日間の城巡りを終える
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今回の城巡りは山城が無かった 夏の山城は中々辛いので、本来なら今は山城を巡り平城を夏にすべきだった 次回は4月中に関ヶ原の古戦場巡りに出かけようと思う
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