20.4.5 垂井、関ヶ原




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新コロナウイルスで世の中大変になっているが、叫ばれている3つの密−密閉・密集・密接−に1つも該当しないので、2泊3日の城巡りに出る


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垂井城


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専精寺の一帯が城跡で、寺の駐車場に城址の案内と立派な碑が立っている


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垂井城は、関ヶ原合戦に西軍に属して活躍した武将平塚為広の居城


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中々立派な専精寺の本堂 遺構は何も残っていない


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長屋氏屋敷


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1353年北朝の後光厳天皇は南朝方に京を追われ、足利義詮とともに垂井へ逃れ長屋氏の屋敷を仮御所としていたとある


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道路脇の小さな敷地に石碑と案内板があるのみで、遺構はない


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垂井町は中山道の垂井宿があった所 西の見付の看板があるが、当時の宿場の雰囲気は全然無い


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垂井町の相川沿 鯉のぼりと桜が素晴らしいが、新コロナウイルスで人出は殆どいない


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府中城


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安立寺のある辺りが府中城跡だが遺構は何もない


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大化の改新後に国司制が敷かれた際の、国府跡だったとのこと 国府跡の碑が安立寺の入口にある


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岩手弾正居館


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岩手弾正久信の屋敷で、大岩手神社は岩手弾正久信を祀った神社


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大岩手神社とあるので、立派な神社かと思ったら、鳥居もなく小さな社が2つ立っているのみで唖然


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濃尾平野の田畑の一角に、ポツンと居館跡があるのみも唖然


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竹中陣屋


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1588年、竹中半兵衛重治の子の重門が、それまでの居城菩提山城を廃して麓に陣屋を構えた


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半兵衛重治の子の重門の居城なのに、銅像は半兵衛重治なのも、何となく納得できる


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石垣の上の白壁の櫓門がカッコ良い この櫓門は江戸時代当時のもの?


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竹中半兵衛重治は、秀吉の軍師として活躍したが、36歳の若さで病没してしまう


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櫓門を内側から見る 土塁でなく石塁が残っている


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櫓門に上がれる 櫓には入れないが、上からの石垣と堀と桜の眺めは最高に美しい


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水堀の端からの眺めも、桜も入り絵になる


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櫓門の北側は、整備されていない石垣が残っている


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竹中氏の菩提寺の禅幢寺


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竹中半兵衛重治は播州三木で病死しているが、長男重門が父の菩提を弔うため、禅幢寺に移葬


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禅幢寺の墓所に、のぼり旗がいっぱい立っている


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竹中家の墓所 初代は半兵衛の親の重元で2代は半兵衛、3代の半兵衛の子の重門が載っていない


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半兵衛と親の重元の墓だけ、真新しい堂が造られているのが興ざめ


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半兵衛の活躍が書かれている 先に見た岩手弾正居館を攻め、岩手一帯を領地にしている


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禅幢寺の隣りの八幡神社から、次に行く菩提山城の登山道がある


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何段もの石垣の上に建つ八幡神社が中々カッコいい


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菩提山城へは1950mの案内で、クマ出没の張り紙もあり、別な所にハイキングコースがあるので、此処から登るのは止める


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菩提山城への登山道は3つあるようだ ハイキングコースと書かれている菩提入口から登る


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菩提山城


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白山神社の入口が登城道 建屋の奥の山が菩提山城跡でかなり高い 距離は1350mと案内ある


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入口から5分程登ると白山神社


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ハイキングコースとあり道は整備されているが、半端じゃない急坂の登城道


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菩提入口から840m地点で、他の登山口からの道と合流 白山神社からここまで約30分かかる


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更に急勾配の登りが続く 堀底が道になっているようだ


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これより城跡と竪堀の看板がある地点 白山神社から41分の歩き


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竪堀の看板あるが、そんなに大した堀でない


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菩提山城は竹中半兵衛の城 墨俣の藤吉郎が、半兵衛を味方にすべく何度も訪れた話があるが、藤吉郎もこの山を登ったのだろうか? 


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切岸の看板 この上が本丸かと思ったが、実際は二の丸


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切岸の看板がある所が大手曲輪


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大手曲輪からのぼり旗がなびく本丸が見える


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三の丸へ上がる虎口


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かなり広い削平地の三の丸


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三の丸の奥にある堀切


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中々大きな堀切に感動 この堀切は三の丸と出曲輪を分断している


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久しぶりに山城の遺構を見る 辛い山登りをした後なので、余計興奮して見てしまう


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出曲輪から堀切越しに三の丸を見る


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かなり広いスペースの出曲輪


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出曲輪から濃尾平野が眺望できる


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出曲輪の周りの土塁


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出曲輪の奥も堀切と曲輪が見える


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堀と曲輪とまた堀と曲輪 中々見応えあります


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三の丸の下段に取り巻く腰曲輪


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三の丸から二の丸へ入る虎口


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二の丸の左手は台所曲輪 こんな不便な山城で、どんな料理を作っていたのでしょう?


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台所曲輪と二の丸の間の空堀


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山ツツジがキレイ


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二の曲輪の下の大手曲輪 切岸の看板があった所


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二の丸と本丸の間の堀切


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見応えのある空堀にただただ感動する


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キツイ山登りがあるが、辛さ以上に感動できる菩提山城跡である


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1558年竹中遠江守重元は、岩手弾正を攻略し、翌年ここに城を築き6千石の領主となる 竹中半兵衛重治は重元の子で、1560年に重元が没するとこの城の城主となる


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広々とした本丸跡


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今日は強風が吹き荒れているが天気は快晴 辛い山登りをしただけに、何か良い気持ちに慕っている


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濃尾平野の景色も最高


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本丸を取巻く腰曲輪


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竹中半兵衛は秀吉の軍師で、城主と言う感覚は全然なかったが、中々どおして素晴らしい城を築いていた


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ここは垂井町で名古屋は何十km先なのに、名古屋の高層ビルが望めた


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本丸の西の西曲輪 本丸との高低差が凄い


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西曲輪からの本丸への虎口


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無事菩提寺に降りてくる 白山神社から登り始めてから、約3時間半の菩提山城巡りでした


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ひっそりとした感じが良い菩提寺の本堂


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玉城


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難儀して登城口を見つけるが、山へ入る気力は残っていない


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玉城址の遠景 戦国時代は竹中氏の城のようだが詳細は不明とネットにある


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今須城


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妙応寺が今須城跡 承久年間(1219年〜1221年)に長江秀景によって築かれた城


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関ヶ原の戦いで勝利した家康は、佐和山へ軍を進める途中ここ今須宿で一休みしたとある


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家康が腰かけた石に座るのも気持ち言い


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家康も大勝利し天下を手中にした気分で、大いに気持ち良く腰かけていたことでしょう


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妙応寺に今須城主・長江氏の墓がある


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妙応寺の鐘楼がカッコ良いとネットに載っていたので写真撮る


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妙応寺の前は中山道の今須宿だが、全然宿場の感じはしない


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不破関


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不破関資料館があるが、館内は撮影禁止の張り紙があるので入館はパス


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東山道不破関、北陸道愛発関、東海道鈴鹿関の三つの関を三関(さんげん)と呼ぶようだ


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関ヶ原は壬申の乱の舞台でもある


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関守の屋敷跡


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藤古川の案内 壬申の乱では、この川を挟んで両軍が戦ったとある


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大垣市内のビジネスホテルに泊まる 1泊朝食付きで税込み4300円は安い


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ホテルは自分の空間があるのでやっぱり良い 部屋やバストイレは狭いが安いので文句なし 冷蔵庫あるのが良い 朝食はバイキングで大満足出来た