20.4.6 関ケ原合戦 東軍の陣跡巡り




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今日は、関ケ原の戦いの東軍の陣跡を回り、西軍の陣跡は明日にする


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池田輝政陣(東軍)


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池田輝政は、三河吉田15万2千石の領主 親の池田恒興は長久手の戦いで戦死しているが、親の仇の家康側に与している


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陣跡に、春王・安王の墓がある


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春王・安王は、鎌倉公方の遺児で、結城合戦で捕らえられて処刑されたと案内あるが、結城合戦はどんな戦いだったのだろう


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浅野幸長陣(東軍)


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浅野幸長は五奉行の一人で、浅野長政の長男 関ヶ原の合戦時は甲斐府中十六万石の領主 石田三成とは犬猿の仲だったようだ


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陣跡は、中山道の垂井一里塚の所にある 


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山内一豊陣(東軍)


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陣跡は、垂井町から関ヶ原に入った中山道沿いにある ここの松並木は中々素晴らしい


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山内一豊は遠江国掛川城五万石の大名  会津征伐での小山評定で、自分の居城である掛川城を家康に提供した話は有名


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徳川家康最初の陣(東軍)


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慶長5年9月15日未明、家康の配下3万余は、ここ桃配山に陣取りする


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ここは672年の壬申の乱の舞台でもある 大海人皇子(後の天武天皇)がこの桃配山で全兵士に桃を配り快勝したことから、徳川家康もそれにあやかり桃配山に最初の陣を構えたという


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国指定史跡であり、大きな史跡碑が立っている


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山頂はちょっとした削平地だが、ここに3万余の兵士ではちょっと狭かったでしょう


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大きな陣跡には、写真で陣形の説明があるのが嬉しい


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車検工場奥の低い鉄塔の所が決戦地 家康はここでヤキモキしながら戦いの様子を見ていたことでしょう


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戦いが始まる前の東西の陣構え 桃栗山は戦場から少し離れている


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黒田長政・竹中重門陣(東軍)


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駐車場から感じの良い竹藪の道を上がると金毘羅神社


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讃岐の領主・生駒一政が、金比羅さんの御神像を貰い受け、戦勝を祈願した


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岡山(丸山)の山頂にある陣跡で、岡山烽火場は国指定史跡


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午前8時頃狼煙が上げられ、東軍諸隊に攻撃の合図が出された 同時に西軍が陣取る笹尾山、北天満山にも狼煙が立ち昇り、東西両軍はいっせいに正面の敵との戦闘を開始した


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黒田長政と竹中重門の約5千が東軍の最右翼として布陣した 重門は初め西軍に与していたが、井伊直政の仲介で東軍に転じたとある


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黒田長政と竹中重門の陣からは、東西の陣営が手に取るように見えたと思われる


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正面の山が小早川秀秋の松尾山 右手の方に石田三成の笹尾山がある筈だが、ここからは見えなかった


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細川忠興陣(東軍)


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細川忠興は豊臣恩顧の武将だが、三成と仲が悪く初めから東軍に与した


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忠興の妻・ガラシャは、大阪で人質になるのを拒絶し命を絶った話は有名


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陣跡から、岡山烽火場が見える


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徳川家康最後の陣(東軍)


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ここは床几場 合戦後、家康はここで武将たちが討ち取った首級の実検をしている


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家康は、桃配山に陣を構えて軍を指揮していたが、戦局を見ながらこの地へ前進し本陣を構えた


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東軍に内通しながら旗色を鮮明にしない松尾山の小早川秀秋に対し、しびれを切らした家康が、鉄砲隊に命じて松尾山へ発砲させたのもこの地


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西軍の主力部隊の直前に陣を移している


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田中吉政陣(東軍)


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田中吉政は三成とは友好で、三成を捕縛するが丁重に遇したとある 三成は礼として秀吉より拝領した脇差を授けている


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陣跡は、関ヶ原町歴史民俗資料館のすぐ隣・徳川家康最後の陣の所にある


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関ヶ原の電柱には、その場で活躍した武将の説明がある これも武将を知る上で中々有難い


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松平忠吉・井伊直政陣(東軍)


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松平忠吉は家康の四男で武蔵国忍城十万石の大名 妻の父が井伊直政で舅にあたる


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忠吉は関ヶ原合戦が初陣で、井伊直政の後見のもと先陣の福島正則を出し抜いて宇喜多秀家隊に発砲し、初陣を飾った 関ヶ原から敵中突破で脱出を計ろうとした島津義弘の軍勢を追撃し、島津豊久などを討ち取っている


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東首塚


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関ヶ原の戦いは両軍15万、戦死者の数ははっきりしないが夥しい数 この地を領していた竹中重門が東西に首塚を造営している


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東首塚は松平忠吉・井伊直政陣跡内にある


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JR関ヶ原駅 松平忠吉・井伊直政の陣は、実際は碑のある場所でなくて、関ヶ原駅辺りにあった


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駅前に大きな写真があるが、家康と三成でなく島津義弘


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7つのハイキングコースが紹介されている 徳川家康コース


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黒田長政コース


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大谷吉継コース


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島津義弘コース


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小早川秀秋コース


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石田三成コース


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福島正則コース


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本多忠勝陣(東軍)


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本多忠勝は上総国大多喜城十万石の大名で、軍監として参戦し島津軍と戦った


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本多忠勝は徳川四天王の一人


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あまり気にせずにいたが、陣跡の碑はどれも明治39年に造られている


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西首塚


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二つの小塚がある


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西首塚の案内


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藤堂高虎・京極高次陣(東軍)


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陣跡は、関ヶ原中学校の校舎内の駐車場にある 校舎内だが勝手に入っても問題ないようだ


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藤堂高虎は伊予国宇和島城八万石の大名 京極高知は信濃国飯田城十万石の大名 小早川秀秋の寝返りにより激戦となった大谷吉継の軍に攻め入っている


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関ヶ原中学校は入学式 午後1時過ぎに人が集まっているのも、新コロナウイルスの対応と思う


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福島正則陣(東軍)


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福島正則は尾張国清洲二十四万石の大名 豊臣家を慕う気持ちは強いが、三成とは犬猿の仲で東軍に与する


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春日神社が陣跡 神社の境内にそびえる樹齢800年の大杉


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関ヶ原合戦開戦地


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西軍は周りの山に鶴翼陣、東軍は関ヶ原盆地に魚鱗陣 9月15日午前8時、松平忠吉と井伊直政が抜け駆けして宇喜多隊に発砲し、関ヶ原の戦いが始まる


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開戦地に立つ大きく立派な石碑


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宇喜多隊と福島隊が向かい合っている中に、松平・井伊隊が割り込む様子が良く分かる


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東西が逆になっている 左の家康陣が東で、右の宇喜多隊が西


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右側の森に宇喜多秀家、奥の山が小早川秀秋のいる松尾山 中央の関ヶ原平原での激戦が想像できる


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関ヶ原古戦場 決戦地


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笹尾山の石田三成陣の直ぐ近くが決戦地


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西軍で積極的に戦ったのは、宇喜多秀家や大谷吉継、等のごく一部 松尾山の小早川秀秋の寝返りで西軍は大敗する


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写真中央に小さな旗が見えるが、そこが笹尾山の石田三成の陣


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笹尾山交流館に立寄る 入館は無料


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館の入口に立つ黒装束の女武者


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女武者は人形


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迫力ある写真 年代ごとに並んでおり、毎年作っているようだ


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体験衣装 衣装を着て写真撮り出来るが、今は新コロナウイルスで中止されている


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家紋クイズ 扉を開けると誰だか分かる


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石田三成と徳川家康の家紋でした


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左から、秀秋、吉継、家康 兜がカッコ良い


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左から、島津義弘、黒田長政、福島正則 遺構は何もないが、各武将に思いを馳せながら、楽しく古戦場巡りが出来た