20.4.26 池田、揖斐川




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六之井陣屋


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ナビがここへ案内するが、陣屋跡の碑でなくて、六之井閻魔堂の碑 このお堂が閻魔堂と思われるが、陣屋と関係あるんだろうか?


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六之井陣屋の門が、月真寺の山門として移築されている、とネットにあるので月真寺に立寄る


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月真寺の山門は、既に破棄され無くなっていた 月真寺に竹中半兵衛の親の重元と、六乃井陣屋の加藤平内の墓がある


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竹中重元の墓 竹中重元と半兵衛の墓は、垂井町の竹中陣屋の近くの禅幢寺にもあったのを思い出す


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加藤平内の墓


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月真寺の近くにある八幡神社が、大御堂城跡となっているが、月真寺の西のこの辺りが城跡だったようだ


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大御堂城


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1497年竹中半兵衛の父重元は大御堂城で生まれ、半兵衛も1544年ここで生まれている


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大御堂城は大きな城郭だったようだ 八幡神社に大御堂城要図があるが、月真寺で見た所が本曲輪跡と思われる


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八幡神社境内、竹中半兵衛生誕之地と半兵衛の由緒が刻まれた石碑がある


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太郎ヶ城


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温知小学校に立派な城址碑があるが、遺構は何もない


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城址碑の裏に城址説明が刻まれているが、フェンスとのすき間が狭く読み難い 1469年頃に国枝氏によって築かれている


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本郷城


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本郷城跡入口の案内がある小道を入ると、直ぐに土塁の城郭が見える


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本郷城は、南北朝時代に土岐氏が築く その後、太郎ヶ城に居た国枝為助がこの城を修築して居城する 


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本郷城歴代 武将馬乗石の碑 何か良く分からないが、武家の子供が、馬の代わりに石に乗って遊んだのだろう


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遺構はこの土塁のみのようだ


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土塁の上に立派な城址碑が立っている


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国枝為助追悼500年碑 500年が何時だったのか分からないが、立派な碑を造ったものだ


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宮地館


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民家の周りにハッキリと土塁が残っている


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中々高い土塁でカッコ良い


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ここは地名が池田町宮地であるが、館の住人も宮地さんだったのだろうか?


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小寺城


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小寺城跡は西へ200mの標柱ある 茶畑の奥の山が城跡と思われる


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小寺城は、守護土岐成頼が西美濃の守りを固めるため、稲葉塩塵に築城させた城 春日局ゆかりの地とある


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標柱の所から入るが、道はフェンスで遮断されている 山へ入る登城口も何処だか分からず


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池戸城


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ナビは山の中へどんどん入るが、何処が城跡か分からず 県道32号線沿いの樫バス停の待合に、池戸城の説明板あるのでバス停を探すことにする


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戻る途中山の中に、土岐頼清・頼康父子の墓を見つける


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小島城


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小島城への天空の遊歩道は、新型コロナ対策で閉鎖中で、車もこの先へ行けず こんな山の中なのに信じられない


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県道32号を行ったり来たり、池戸城の説明あるバス停を探すが見つけれなかった 小島城へ行けず戻って県道32号へ出ると、偶然バス停を見つける


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先ほど入った山と思うが、バス停からも池戸城跡を特定出来ず


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白樫城


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小島頓宮址 小島頓宮とは、南北朝の頃、北朝の後光巌院を迎えるため、. 守護大名土岐頼康がこの地に建てた行在所のこと


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何か良く分からない小島頓宮址 ここから白樫城への登リ口があるようだが、山へ入る気は全然なし


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小島頓宮址から見えるあの高い山が、白樫城跡と思われる 1579年、春日局(お福)はここで生まれている


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白樫地区の集会所に、白樫城登リ口の石碑がある


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角之御前屋敷


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ナビは春日局公園を案内する 白樫城主はここで居住していたので、角之御前と呼ばれたようだ


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先ほど春日局は白樫城で生まれたとあったが、実際はここ角之御前屋敷で生まれたようだ


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北方城


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山の上まで車で上がれ、山頂に大きな北方城址の碑が立っている


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城跡は城山公園となっているが、城址碑があるだけで何もない 城址の説明看板があってもよさそうだが、それも無い


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山頂の本丸跡にも小さな城址碑があるが、町指定史跡で期待したのに全くの期待外れだった


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片山城


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円興寺トンネルの手前ある東海自然歩道で山へ入る


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東海自然歩道なので歩いた筈であるが、此処は記憶にない この辺りはやたら熊注意があり、自然歩道を歩いた時も熊との遭遇を大いに恐れていた覚えがある


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自然歩道は急斜面の山へ 熊もいるのでもう行く気力はなくなり、思いは美味い物を買ってホテルでくつろぐ事のみになる