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軽海西城
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軽海西城は、当初は稲葉氏数代が居城、西村勘九郎(斎藤道三)も一時在城している
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円長寺が城跡で、入口に城跡の標柱と説明看板が立っている
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看板には境内の西に土塁があると書かれているが、本堂の奥(北)にしっかりとした土塁がある
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八居城
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城跡は民家 八居修理亮が居住したとあるが、聞いたこともない人だ
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民家の周りを、中々立派な土塁が取巻いている
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相羽城
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八幡神社が城跡で、鳥居の横に相羽城址の標柱が立っている
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相羽城は、美濃守護土岐頼芸に仕えた長屋景興の居城で、斉藤道三に攻められ落城している
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八幡神社の本殿前に立派な城址碑もある
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神社本殿周りがちょっと高くなっており、本殿が本丸跡と思われる
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清水城
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清水小学校が城跡で、東の門の横に城址碑も立っている
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清水古城を攻め落とした稲葉一鉄が、1565年古城の石垣で清水城を築いたとある
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当時の石垣が残ると書かれており、門の横にちょっとした石垣がある
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稲葉一鉄が築城時に植えた”はなのき”がある この木がその”はなのき”なんだろうか?
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牛洞陣屋
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民家に立派な石垣があり、入口に牛洞陣屋跡の標柱が立っている
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大垣藩から分地され構えた牛洞戸田氏の陣屋 牛洞戸田氏の祖は、大垣藩戸田氏の初代氏鉄の六男の氏照
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当時のものかどうかは分からないが、立派な石垣が長く延びている
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陣屋標柱の立つ石垣の向かい側に、牛洞陣屋高札場跡の石碑もある
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気が付かなかったが、牛洞陣屋はちょっと高台にあり、振り向くと濃尾平野の奥に、金華山が見えた
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牛洞陣屋の近くの長念寺の鐘楼門 大野市の重要文化財になっている
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長念寺の駐車場から見る、牛洞陣屋の全景 陣屋跡に建つ民家の人は、相当偉い人なんだろうと思う
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野村陣屋
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大垣藩主戸田家の分家の大垣新田藩が、明治になってから陣屋を構えるが、直ぐに廃藩置県で藩は廃止に
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八幡神社の北側の民家前に、碑と説明板が立っている
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陣屋の門が近くに移築されており、偶然見つける事が出来た
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八幡神社の南500m程の所にある民家に、中々立派な門がある
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野村城
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野村城跡は大谷山にあり、県道266号の大谷スカイラインを走る
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野村山展望台から、濃尾平野が望める 遠くに名古屋の高層ビルと金華山も見えた
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幾つもの森林散策コースがあり、緊急事態中だが何組かのハイカーもいた
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スカイラインの一番高い地点にある花立峠 ここが大谷山へ登る一番近い所と思われる
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野村城跡の大谷山は見るのみ 30分程で登れそうな感じがする
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深根陣屋
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県道251号沿いの深根バス停から住宅の方へ入ると、白い蔵の家がある
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白い蔵の家の先の水路へ入ると石垣があり、この辺りが陣屋跡と思われる
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藪の中を覗くと、堀らしきものも見えるが、藪へ入る気にはなれず
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深坂陣屋
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深根陣屋の近くで、国道21号沿いの円立寺の所から入る
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深坂陣屋跡に朽ちかけた標柱があり、石垣もしっかり残っている
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陣屋の周りの堀と思われるが、どうなんでしょう
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深坂陣屋の奥にそびえる山は城ヶ峰
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深坂戸田氏の菩提寺の円立寺
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円立寺の山門は、深坂陣屋の門を移築したもの
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揖斐陣屋
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関ヶ原合戦の功で築いた西尾氏の城址に、美濃代官岡田氏が築いた陣屋だとか 民家の横に陣屋跡の碑があるのみ
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三輪神社から城台山公園へ登り、揖斐城へ向かう
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中々立派な三輪神社
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三輪神社の直ぐ横にある三霊神社 由緒に揖斐領主の岡田家のことが書かれている
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ネットでは一心寺まで車で行けるとあり、一心寺へ上がる車道を探したが分からなかった
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歴史の里とある、ここから登山開始
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最後にキツイ登山が待っていた
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左側が男坂 男坂を行く気にはなれず、右側の女坂を上るが、女坂もとてもキツイ
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一心寺の手前にある城台観世音菩薩像 純白の観音様が印象的
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三輪神社から一心寺まで12分かかる
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赤と白が感じ良い一心寺の本堂
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一心寺が登城口で揖斐城址まで450mの案内あり
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一心寺からは更に急傾斜でとてもキツイ この標識によると、三輪神社から揖斐城址までは860mの登山である
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揖斐城
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揖斐城跡への上がり道 右に井戸の案内あるが、帰り体力・気力が残っていたら行くことにする
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一段上がった曲輪から下を見る 中々城郭ぽくてワクワクする
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本丸へ何段かの曲輪がある
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二段目に上がると南の丸跡になっている
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南の丸にある碑は、一心寺歴代住職の墓碑
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南の丸の上は本丸 本丸の土手はかなり急斜面であり、切岸と思われる
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本丸の虎口 中々美しくカッコ良い
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本丸から下の南の丸を見下ろす
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本丸はかなり広い削平地
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城址碑はあるが、城址の説明看板が見当たらない 町史跡で立派な城址なのに、説明看板が無いとは許せない
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本丸から北へ城郭が延びており、桝形虎口の案内あるが、真っ直ぐで桝形に見えない
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下の曲輪へ繋がる土橋の道の感じが何とも感じ良い
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土橋の両側は竪堀が切られている
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土橋とかV字になった堀切が好きで、つい写真を撮ってしまう
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土橋の先の曲輪に、無いと思っていた城址の説明看板があった
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揖斐城は、およそ650年前に土岐一族が築いた城 1548年斎藤道三に攻められ落城した
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説明看板看板のある曲輪から、北へ進むと二の丸へ入る
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二の丸の端は絶壁 斎藤道三はこの要害の揖斐城を、どうやって攻め落としたんだろう
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二の丸の下に曲輪が繋がっている
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二の丸下の曲輪から二の丸を見ると、凄い段差になっているのが分かる
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二の丸と三の丸の間の曲輪
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曲輪と三の丸の間に大手門があったようだ この大手門の下の道(北側)が大手道のようだ
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大手門の先(東側)が三の丸で、その先の高台が出丸
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出丸は太鼓曲輪 ここに太鼓櫓があり、城内に太鼓をたたいて時を知らせていたと思われる
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出丸からの展望 あのピラミッドの様な山を何度も見ている 人工的に削っているように見えるが、どうなんでしょう
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写真では良く分からないが、出丸はかなりの高台にある
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出丸の土手はかなりの急斜面 なだらかだった山斜面を削り取った、切り通しである
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人力だけで造る切り通しは大変な作業だったと思われるが、城の防備は命にかかわる事なので、手を抜かなかったでしょう
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出丸の北側にある北の丸 出丸との間に浅いが堀切がある
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北の丸の先は、見事な土橋が延びている
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土橋から搦手曲輪へ上がる道 美くしさについ興奮してしまう
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城郭の北の端の搦手曲輪
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搦手曲輪の虎口
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搦手曲輪の先にも堀切がある
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本丸へ戻り一休み 揖斐城は城郭と土橋や堀切の遺構がしっかり残っていて、とても素晴らしく結構興奮してしまいました
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また少しは体力残っているので井戸を見に行く
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こんな山の上で、どれだけ掘れば水が出るのだろうと、不思議だったが、井戸を掘った訳でなくて、湧水の溜まりであった
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山城では水は命であり、この湧水が無かったら揖斐城は無かったと思う 凄い湧水ですね
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