20.5.20 島田、牧の原、吉田




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非常事態宣言は解除されるが、県越えの移動は自粛のまま その意は混雑を避けるものなので、城巡りは問題無いと決めて、静岡県の城巡りに出る


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横岡城(志戸呂城)


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茶畑の山をどんどん上がり不安になるが、ナビは茶畑の端の雑木林に案内


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偶然藪の中に埋もれている城址の看板を見つける


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1496年鶴見因幡守栄寿が城主の時、今川氏親によって攻められ落城し鶴見因幡守も討死している


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雑木林に少し入ってみたが遺構は何もないようだ


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茶畑の中に井戸があると言うので見渡すと、茶畑に窪みがありきっとこれだと思う 茶畑の中へは入れず確認は出来ていない


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諏訪原城


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最近出来たと思われる綺麗なビジターセンターがあり、無料で入館できる


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凄い模型だが、諏訪原城の特徴は丸い馬出


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武田信玄が築いた砦を、1573年武田勝頼が馬場美濃守信房に命じて築城 1575年徳川家康が攻め落し、高天神城攻略の為の城として活用


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諏訪原城は国指定史跡で、堀や土塁や馬出、等遺構が一杯あるようで、ワクワクして散策を開始 先ずは大手南外堀


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大手南外堀の前に立ち聳える二の曲輪大手馬出


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順路表示があり、凄い二の曲輪大手馬出は最後になっている 一応順路に従って見学する


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左手に回ると茶畑で、ここが大手曲輪跡


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茶畑の中に、武田方当城主・今福淨閑戦死墓塚と刻まれた碑が立っている 徳川との戦いで城主の今福淨閑が戦死したと思われる


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大手北外堀 あまり深くはないが、長い空堀が林の中へ延びている


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城址の石碑も立派


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二の曲輪中馬出


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馬出とは、馬に乗って出撃する処だとずっと思っていたが、全然違った


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馬出は曲輪の堀の外に造られ、曲輪の防御と攻め寄せる敵を攻撃の、両方の役割を持つものだと知る


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この丸い馬出は、武田流築城術の特徴になっている


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これは二の曲輪北馬出 堀が深いので馬出がとても高く見える


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二の曲輪北馬出の門 ビジターセンターの管理人が、当時の木材を使って復元したものと言っていたが、何かキレイすぎて怪しい


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北馬出から外堀を渡って二の曲輪へ入る橋 北馬出が突破されたら、橋を落として二の曲輪への侵攻を防ぐ用途もありそうだ


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深くて大きな外堀は見応え十分 それにとても美しい


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二の曲輪と本曲輪の間の内堀も堪らない程の見応え


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南北に細長い二の曲輪 二の曲輪には幾つもの馬出しがあり、二の曲輪を完璧に防御することで、奥の本曲輪も守れると言うことのようだ


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二の曲輪から本曲輪へ入る土橋


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土橋の両側は深くて幅のある内堀 外堀も内堀も凄すぎて興奮が止まらない


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本曲輪は牧之原台地の東端?


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本曲輪の東は絶壁 こちらから敵に攻められることは無いので、西側の二の曲輪の防御を鉄壁したと思われる


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本曲輪の東は平地の牧之原市街が展望でき、本曲輪が台地にあるのが分かる


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本曲輪から内堀へ降りて、二の曲輪の中央部へ


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本曲輪と二の曲輪の間の内堀 内堀の下からの眺めも中々圧巻


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内堀にカンカン井戸なるものがある


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今は水は無く空井戸となっている


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二の曲輪の土塁


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二の曲輪東内馬出 本曲輪の南側に位置し、本曲輪防御の馬出と思える


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二の曲輪南馬出 二の曲輪の南端の馬出


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南馬出周りの堀も感じ良い


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二の曲輪東馬出


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二の曲輪の南端は、東内馬出、南馬出、東馬出と3つの馬出が至近距離にあり、南側からの攻撃に備えている


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二の曲輪と二の曲輪大手馬出の間の外堀に架かる土橋


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南北に長い二の曲輪に沿って延びる深くて幅広の外堀は、ホント凄い・素晴らしいで、見飽きることはない


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二の曲輪大手馬出に建つ諏訪神社


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最初見た大手馬出の外の堀 諏訪原城は天守や櫓等の建物は無いが、堀と馬出の遺構に大感動した また案内がしっかりあり分かり易いのもとても良い


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湯日城


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山の麓に養勝寺があり、あの山が湯日城と思って撮るが、違うかも?


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車が通れる道路が山頂近くまであるとネットにあり、養勝寺のある山の裏側に回るが、山へ入る道は見つけれず


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勝間田城


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勝間田城址の登り口に、駐車場とトイレがあり、城址ガイドまで置いてある


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勝間田氏は、鎌倉時代には御家人、室町時代には奉公衆として幕府に仕えていた 1476年今川義忠と争って敗れ、勝間田氏一族は離散となって滅亡


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広い茶畑、もう人出の茶摘みはなくなり、こんな凄い機械がありました


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駐車場に出曲輪まで5分と案内あるが10分程かかる 出曲輪は茶畑になっている


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出曲輪の先は山道で、入口に立派な城址石碑が立っている


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広い削平地の三の曲輪


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三の曲輪の周りは、低いが土塁が確認出来る


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三の曲輪から二の曲輪へ 高い土塁の切通し


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三の曲輪の建物跡 堀立柱建物と案内ある


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二の丸も広い 周りの土塁も残っている


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二の曲輪と北尾根曲輪の間の大堀切


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結構深く中々見応えあり


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北から南へ進んでいて、北尾根曲輪の先が本曲輪になる


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北尾根曲輪から本曲輪へ入る虎口


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本曲輪には祠が鎮座し、その脇に城址碑と城址案内看板がある


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大きな城址石碑が良い


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元弘の乱(1331年)では、河内の赤坂城、千早城の攻防に一族が攻撃側と守備側の両陣営に分かれて戦っている


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本曲輪の周りの高い土塁


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本曲輪と南曲輪の間の堀切


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この堀切は一段と深くて凄い


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南曲輪へ上がる虎口 結構急斜面で滑り易く、ちょっと上がるのに難儀した


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南曲輪は狭い削平地だが、周りはしっかり土塁がある


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南曲輪から堀切越しに本曲輪を見る


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南曲輪の高い土塁


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東尾根曲輪の削平地


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東尾根曲輪の先の尾根は、幾つもの堀切で裂かれていて、その先に東曲輪があるが、草むらの中のようで東曲輪へ行くのは止めにする


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東尾根曲輪から富士山を望めるとあるが、今日は見えなかった 勝間田城は県指定史跡、遺構もしっかり残っていて、楽しい城巡りとなった


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穴ケ谷城


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標識は全然無く頼りはナビのみ 茶畑の山をどんどん上がり雑木林に着いた


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雑木林の中を覗くと、非常な覚悟があれば入れると思うが、そんな覚悟は全然無し


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ちょっと下って、雑木林:穴ケ谷城跡の全景を撮る


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龍眼山城


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ネットには牧之原市シルバーセンターから山登りとあるが、ナビは茶畑の山の頂上へ案内する 山頂に榛原公園の駐車場がある


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山頂は広い削平地でここが主郭と思われる


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城址の案内は全然なし 築城年代は不明、勝間田氏の属城と云われているが定かではない、とネットに載っていた


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展望台があり、牧之原市街と駿河湾が眺望出来た


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榛原公園と茶畑の間に土塁や堀が残るとあるが、良く分からなかった


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小山城


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小山城跡は、大きな能満寺山公園になっている


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能満寺境内に城址案内がある 今川氏が築いた砦を、元亀2年(1571)武田信玄が遠江の抑えとして改修 徳川家康と激しい攻防が何度かあり、天正10年(1582)家康が攻落す


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威風堂々とした能満寺の本堂


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能満寺本堂前に、天然記念物のソテツがある ソテツがこんな凄い木になるとは


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能満寺から真直ぐ延びる急階段あるが、女坂もあり しかし女坂もかなりキツイ階段でしんどかった 


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天守が建ち三重掘等遺構も多くあるようだ


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本曲輪の入口に城址の標柱が立っているが、石碑じゃないのが残念


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本曲輪と二の曲輪?の間の堀


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天守が建つが、ネットに模擬天守とあるので、小川城に天守閣は無かったのでしょう


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模擬でも立派な天守閣 入城しようとしたら丁度門が閉まる 午後4時で閉門となる


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三日月堀と案内あるがまさにこれは馬出 武田流の丸い馬出となっている


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諏訪原城で見た大きな馬出には及ばないが、キレイな馬出で感じ良い


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本丸への虎口 橋の下に土盛が見えるので、当時は土橋で繋がっていたと思う


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小川城は、吉田町の指定史跡になっているが、こんな素晴らしくて遺構があるとは思わなかった


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勘助井戸の案内あるが、全然井戸跡らしき物がない


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圧巻な三重堀が残っていた この三重堀は見応えあり凄い


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一見二重だが、ちゃんと見ると三重の堀を確認できる


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2泊3日予定の城巡りの初日、国史跡の諏訪原城、県史跡の勝間田城、町史跡の小川城、素晴らしい遺構の残る城跡巡りに、大満足出来ました


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宿は焼津駅のすぐ近くにある、ホテル:くれたけイン焼津駅前 1泊バイキング朝食付きで税込み4100円は安い バストイレ付きだが、別に大浴場があるのがとても良い


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晩飯とつまみは近くのコンビニで コンビニは大したものが無い、明日はスーパー探して、寿司に刺身に天麩羅にしようと決める