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当目砦
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当目砦は、かんぽの宿焼津の南西の山が城跡 山へ入る道があるようだが、かんぽの宿から城跡の山を眺めて終わり
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当目砦は、元亀元年(1570)、花沢城を攻め落とした武田信玄が築城 かんぽの宿から焼津市街がキレイに見える
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石脇城
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文明年間、伊勢新九郎(北条早雲)が築城 この頃の伊勢新九郎は今川氏の客将であり、今川義忠の正室・北川殿の兄
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道路沿いの標柱から入ると、直ぐに丘陵へ上がる石段
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上に上がると城山八幡宮 両側が石垣で中々感じ良い
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城山八幡宮の境内が二の郭のようだが、遺構は無さそう
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城山八幡宮境内より、一段と高台に大日堂がある
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大日堂は急斜面の崖の上 この斜面は自然なのか切岸なのか?
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主郭に建つ大日堂
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大日堂の本堂奥は広い平地で、周りに土塁が確認できる
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大日堂境内から、先に行った当目砦跡の山とかんぽの宿が見える
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花沢城
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1537年今川義元が西駿河の押さえのため、この地に花沢城を築く 1570年既に横山城、蒲原城、府中を攻略した武田軍が、花沢城を包囲し激戦の末この城も武田軍が開城した
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城址入口の標柱の所に、一般車両の通行は危険と表示があるので、車は入口に置いて歩くが、直ぐに山へ上がる登城口に出る
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山道はかなりの急坂で疲れるが、この時期疲れ以上に蛇との遭遇を心配する
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城址入口から15分程で主郭に着く 主郭に小さな神社があるが神社名が書かれていない
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立派な石の城址碑
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主郭からの展望 焼津市街が見渡せる
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高速道路右上の丘陵の麓辺りが後で行こうとしている田中城址、高速道路の左に焼津で有名なさかなセンターがある
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主郭の奥は深い大堀切
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主郭と二の曲輪の大堀切、これは中々迫力があり凄い
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二の曲輪への虎口
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二の曲輪から大堀切越しに主郭を見る
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広い平地の二の曲輪 案内が無いのが残念
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二の曲輪から五の曲輪へ繋がる土橋
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土橋の両側は険しい崖
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この先も遊歩道が六の曲輪へと続いているが、ここで引き返す
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方ノ上城
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県道213号沿いに、方の上城跡入口の標柱がある そこから見える尖った山が方の上城跡
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どんどん狭い山道を走る 途中見晴しがきく場所があり写真を撮るが、本当は写真撮る余裕は全くなく不安一杯
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更にどんどん上がると、方ノ上城跡・狼煙台の看板がある所に着き、ちょっとホッとする
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方ノ上城は、南北朝時代初期、阿部城主・狩野介貞長が築城 1493年今川氏親により改築され、遠江国へ進撃する連絡拠点、と書かれている
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余り気が進まないが、ちょっとその先までと思い山道に入る 幻の池と案内ある雨水が溜まっているような小さな池
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山道歩きも不安一杯 もうちょっと・もうちょっとと思いながらも、どんどん奥へ入って行く
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細い尾根道をどんどん進むと掘割の案内 掘割と堀切は同意語なんだろう
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また掘割 狭い尾根道が、幾つもの小さな堀切で裂かれている
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主郭手前の堀切は中々大きい
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結局主郭まで来てしまう 時間計らなかったが、入口から20分程歩いたと思う
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方ノ上城は、氏親が亡くなった天文五年(1536年)後に起こった花倉の乱では、恵探派の福島氏らが籠ったが、今川義元派の岡部氏に攻められ落城している
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狼煙台より更に上が城跡と思ったが、狼煙台が城跡で良かった
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狼煙に使う石と思われるが?
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城跡よりの眺望 焼津市街と駿河湾が見える
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さすが静岡県、こんな山上まで茶畑が広がっている 奥の山が方ノ上城跡の山
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横内陣屋
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慈眼寺境内にある代官地蔵 横内陣屋代官・田中清太夫を祭ったものと思われる
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旧東海道の通りに、幾つもの標柱が立っているが、横内陣屋の標柱が見つからない
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この看板で横内陣屋跡の位置を確認して、再度陣屋跡の標柱を探す
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横内村は美濃の岩村藩の飛領地になっていて、領地を統治するため、岩村藩の陣屋が置かれた
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朝日山城
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方の上城の山歩きでかなり疲れ、もう今日は山歩きは止めとしたが、朝日山城も山の上 頑張って登ることにする
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朝日山城は、当地の土豪岡部氏の本拠地とあるが、岡部氏とは何者だろう?
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竪堀の看板あるが、草で良く見えないが上から落ちている崖で、人出で掘ったとは思えない
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尾根に凄い城郭が造られている
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階段を15分程登ると、朝日稲荷神社の鳥居の所に着き、朝日山城址の案内看板がある
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朝日山城は、室町時代の初め頃、土豪の岡部氏が築城とある
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この絵をしっかり認識しなかったので、上の神社が一曲輪でその奥に二曲輪・三曲輪と続くと思い込む
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稲荷神社は赤いものだが、派手な赤が印象的
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稲荷神社の裏に、大きな一の曲輪の標柱がある
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周りに土塁が確認出来る 案内に城郭は船形とあるが、地上からだと船形を感じることは出来ない
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一の曲輪の奥は、ダラダラした傾斜で落ちていき、二の曲輪が分からない
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後で知るが、神社境内の所が二の曲輪で、城址案内看板があった所が三の曲輪 要するに三の曲輪・二の曲輪と上がって来ていた
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三の曲輪にある竪堀看板 ここに至って、上から下まで凄い竪堀が掘られたのを認識する 案内あるのに、全然城郭を認識して巡っていないのを、大反省する
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