|
前回に続いて駿河国の城巡りに出る もうこの時期山城は億劫だが、梅雨入りも近いので、気力を振り絞って2泊3日の城巡り
|
|
|
先回、花倉城の登城口を見つけれず断念したが、事前に登城口を調べナビにセットしたので、凄い山道を迷わず辿り着けた
|
|
|
県道215号をかなり北上し、西方から山道へ入るが、山への入り口に案内なく、ここへの道案内は難しい
|
|
|
ハイキングコース・花倉城跡0.5kmの標識の所より歩く
|
|
|
急坂の農道が城跡まで続く 城跡入口まで車で上がれるが登城口の辺りに駐車スペースは無い 10分程歩くと登城口に着く
|
|
|
花倉城(再訪)
|
|
|
農道の終点に案内看板が立ち、ここから山の中へ
|
|
|
城郭や遺構がしっかり残っているようで、ワクワクして山へ入る
|
|
|
直ぐに凄い土橋が現れる 長くてとても感じ良い土橋で素晴らしい
|
|
|
1つ目の土橋を渡りしばらく行くと、2つ目の土橋がある
|
|
|
2つ目の土橋は、1つ目程カッコ良くない
|
|
|
古道と標柱が立っているが、二重の竪堀の様に見える
|
|
|
二の曲輪を取り巻く帯曲輪
|
|
|
二の曲輪と本曲輪の間の堀切 登城口に立つ看板に、2つの大堀切の案内あったが、その一つがこの堀切
|
|
|
大堀切から二の郭へ上がる
|
|
|
二の曲輪周りに土塁が残るが、そんなに高くない
|
|
|
二の曲輪の奥を覗くと、凄い堀切が見える
|
|
|
空堀の標柱が立っているが、これが2つ目の大堀切
|
|
|
大堀切下から2の曲輪を見上げる 堀が深いので二の曲輪が高く見える
|
|
|
花倉城跡の見所は、2つの大堀切と思う
|
|
|
堀切の先は山裾へと落ちている
|
|
|
二の曲輪と本曲輪の1つ目の大堀切に戻って記念撮影
|
|
|
大堀切から本丸へ上がる虎口
|
|
|
花倉城は、今川氏が駿府へ移る前の本拠地 「花倉の乱」の舞台で、1536年に今川氏輝が死去すると、次男の良真と三男の承芳(義元)の相続争いが発生
|
|
|
本曲輪の先も尾根道が続いているが、本曲輪までの散策で引き返す
|
|
|
1つ目の土橋は余りにも感じ良い 出る方向からもう一枚撮影
|
|
|
農道を上がると最初にある山の、奥のこの山が花倉城跡
|
|
|
結構標高が高い山で、眺望も中々のもの 山裾に広がるのは藤枝市街
|
|
|
長慶寺に今川泰範と太原雪斎の墓があるので立寄る
|
|
|
落ち着いた立派な長慶寺の本堂
|
|
|
墓地の入口に、今川泰範と太原雪斎の墓の案内看板がある
|
|
|
泰範は今川3代目 雪斎長老は9代義元時代の人で、年代が違うが一緒に弔われている
|
|
|
遍照寺の所に花倉城の案内ある 先回この案内を見てこの先を行くが、山へ上がる道が見つけれなかった ここは花倉城の南側で、今日は北側から上がった
|
|
|
遍照光寺城
|
|
|
山の麓の遍照寺に、今川範氏とその嫡子・氏家の墓がある
|
|
|
遍照寺の前身は遍照光寺で、駿河今川氏2代の範氏によって創建
|
|
|
氏家は範氏の嫡子だが3代目になっていない 3代目は次男の泰範がなっている
|
|
|
遍照光寺城跡は、遍照寺の奥の山の上 きっとここが登城入口と思うが、山へ入るのはパス
|
|
|
今川氏館
|
|
|
偏照寺の境内辺りが今川氏館跡と思われる 今川範氏が花倉城を築いて葉梨荘を治めた時の居館
|
|
|
左の尖った山が花倉城跡 中央の寺が偏照寺で、奥の山が遍照光寺城跡
|
|
|
堀之内陣屋
|
|
|
東国寺が屋敷跡でないが、ネットに東国寺の山門は冠木門と載っていた
|
|
|
豊臣秀吉の代官所があった所で、服部武太夫が代官を務めていた
|
|
|
由緒に服部武太夫の名が書かれているので、東国寺も堀之内陣屋と関りがあったと思われる
|
|
|
田中城
|
|
|
家康が鯛の天ぷらの食べすぎで体調を崩した城、とネットにある 1616年家康田中城にて発病、と刻まれているが天ぷらの事は書かれていない
|
|
|
西益津小学校が本丸跡で、構内に城址碑がある
|
|
|
田中城のミニチュアも構内に造られている 今日は日曜日で、勝手に構内に入ったが、学校やっている時には、見学出来るのだろうか?
|
|
|
校門前に、大手二の門跡の標柱が立っている
|
|
|
二の堀の案内 武田時代は馬出も造られていたようだ
|
|
|
三日月堀が、武田流の馬出曲輪を連想出来る
|
|
|
近くに田中城下屋敷があり見物
|
|
|
下屋敷は城主の別荘と案内あり 江戸時代の別荘でも、土塁で防備していたようだ
|
|
|
亀石がありホント亀に見える 鶴石もあったが所在は不明、鶴に見える石はどんな形しているのでしょう
|
|
|
中々素晴らしい庭園 殿さまは雑務から離れ、ここで落着いたのでしょう
|
|
|
田中城本丸櫓、冠木門が復元されている
|
|
|
本丸櫓は自由に入れる 天守の模型があるが、田中城に本当に天守があったのだろうか?
|
|
|
信玄・信長・秀吉・家康も宿泊したとある 家康が天ぷら食べたのは駿府城で、鷹狩りに田中城へ来て腹痛をおこしたと書かれている
|
|
|
八幡山砦
|
|
|
青山八幡宮がある小山が八幡山砦跡
|
|
|
ちょっとした小山だが、結構キツイい坂道を上がる
|
|
|
先回訪城した朝日山城は直ぐ近くで、八幡山砦は朝日山城の出城として築かれた
|
|
|
本殿の裏に土塁が残っている
|
|
|
藤枝市の眺望も中々のもの
|
|
|
潮城
|
|
|
神明神社が城跡 本殿裏は何となく土塁ポイが
|
|
|
潮城は、朝日山城の南側を守る出城 奥の高い山が朝日山城跡と思って撮る
|
|
|
朝比奈城(再訪)
|
|
|
道の駅・玉露の里に車を置く 道の駅の奥の高い山が城跡と思え、大丈夫か心配になる
|
|
|
道の駅の直ぐ横にある万年寺
|
|
|
万年寺から、朝比奈城跡へのハイキング道が延びている
|
|
|
万年寺カヤと表札がある巨木
|
|
|
一応ハイキングコースで、標識があり安心できる
|
|
|
万年寺から5分程林道歩くと山への入口
|
|
|
かなりキツイ坂道を登り、建物が見えたので城跡かと思ったが休憩所
|
|
|
休憩所から城跡への登りは、一段と急坂だが距離は短い
|
|
|
万年寺から20分程の登山で本丸跡に到着 道の駅から見た高い山の上ではないようだ
|
|
|
本丸に案内看板と城址標柱が立っているが、土塁や堀等の遺構は無い
|
|
|
朝比奈氏の菩提寺の総善寺に立寄る
|
|
|
今日の宿は、静岡市内にあるロイヤルメイフラワー静岡
|
|
|
部屋は何故かツイン 広くて冷蔵庫もあり、日曜は1泊2200円、平日は2500円と超安い 駐車場はあるが、1泊500円
|
|
|
ホテルの横に大きなスーパーがありこれは便利
|
|
|
疲れたせいで、ご馳走とつまみをまた一杯買ってしまいました
|
|