20.6.8 静岡葵区、駿河区




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内牧城


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内牧公民館の南に聳える城山が内牧城跡 内牧城は、南北朝時代に南朝方に属して安倍城に籠もった狩野氏の居城


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駿府学園の南側に狩野介貞長の墓があるので立寄る


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狩野介貞長は、駿河の山間地に阿部城を築き、今川の駿河進出を阻んでいた


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西ヶ谷砦


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西ヶ谷総合運動公園の辺りが西ヶ谷砦跡 安倍城の支城として築かれたようだ


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安倍城


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西ヶ谷総合運動公園から林道を走り、林道の終点が阿部城跡の登山口


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登るつもりで来たが、昨日の飲み過ぎで体調は最低 険しい山道の登山を思うと意気消沈し、登城はパス


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もう一つの登り口の洞慶寺へ行く途中、安部川に出たのでちょっと撮影


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久住砦


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洞慶寺から、久住砦を通り阿部城へのハイキング道がある


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洞慶寺の奥に聳える山々 特定できないが、久住砦跡の山がある筈だ


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阿部城跡への登山道は幾つもあるようだが、先ほど行った西ヶ谷総合運動公園と、洞慶寺が主要な登山道のようだ


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洞慶寺からの登山道入り口 ハイキングコースになっているが、ネットにはかなり険しいと載っていた


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洞慶寺からは33の仏石があるので、せめて1番の仏石を見ようと登る 直ぐの所にあった


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今日のメインは、阿部城から久住砦を頑張って歩くことだったが、メインをパスしてしまい拍子抜けである


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羽鳥砦


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洞慶院の近くに、阿部城の砦の羽鳥砦があるが、ネットには一切羽鳥砦の情報が無く不明


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徳願寺城址へ向かうが、凄い山道を走る 途中眺望がきく所があり、安部川越しに静岡市街が良く見えた


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徳願寺城


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徳願寺は、今川家第七代氏親の生母である北川殿が曹洞宗に改宗した寺


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北川殿の墓を探していると、2羽のガチョウが現われた


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墓地の中を探しても、案内無くて見つけれず


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諦めたが、墓地ではなく徳願寺の境内に、北川殿の墓を見つける


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徳願寺の駐車場からも、素晴らしい展望が楽しめた


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徳願寺の裏山が徳願寺城跡で、堀切、空堀、土塁の遺構が残っているようだが、山へ入るのはパス 徳願寺の手前500m程の所に、ハイキングコースの案内があったので、そこから登城出来ると思われる


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丸子城


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駿河匠宿おもしろ体験館の横の路地から山へ上がる 猪注意の看板あるが、パスばかりしておれず頑張って登る


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丸太の階段の急坂が続き、かなりバテバテに ネットに20分とあったが、自分の足では30分以上かかりそう


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15分程登ると小さな神社があり、隣に城址の案内看板が立っている


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丸子城は、今川氏の家臣の斎藤安元が、駿府防衛のため築城 武田信玄の駿河侵攻で武田の城となり、大改修されている


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神社・看板が立つ所は、駐屯地(外曲輪)の標柱がある


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外曲輪から城郭らしくなり、城跡へ入った感じ


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中々感じの良い土橋が現れる 城跡見取図に描かれている三日月堀と思われる


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土橋の先は深い竪堀 この竪堀も中々見事


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木の根がはびこる登城道が圧巻


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案内無いがこの辺りが東の曲輪と思われる


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北の曲輪への入口


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見取図によると、北の曲輪は今川氏の本丸 武田氏になって本丸を更に奥(南)へ移したようだ


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北の曲輪の土塁は高くて凄い


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北の曲輪の西側は、深い空堀が確認できる


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北の曲輪と次の曲輪(三の丸)の間の大堀切


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堀切を渡る土橋


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土橋を上がると、案内無いが三の丸と思われる


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三の丸から木の根の階段を上がると


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二の曲輪になる


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二の曲輪の西も空堀があり、北の曲輪からずっと続く大空堀になっている


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二の曲輪と本曲輪の間の堀切 この堀切も深くて凄い


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堀切下から二の曲輪を見上げる


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堀切下から本曲輪を見上げる


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本曲輪入口に桝形虎口の標柱があるが、すんなり本丸へ入れて桝形の感じがしない


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本曲輪と二の曲輪の間の土橋


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本曲輪入口・桝形虎口の土塁


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あちこち見ながら・写真撮りながら来たので、本曲輪まで45分程かかる


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本曲輪の東側に平虎口の標柱 真直ぐな入口と言うことか


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本丸に城郭見取図があるが、城郭図は入口に欲しい


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本丸南端に馬出曲輪の標柱 武田の城になって、武田流の大改修がされたようだ


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馬出は堀の外にある筈なので、下の空堀の向うが馬出曲輪と思う


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本曲輪の西に喰違い虎口があり、ロープで通止めになっているが、簡単に通れるので下りてみる


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西側の大空堀が北の曲輪から繋がっている


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見取図にある大鈩曲輪との間の堀切


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"大鈩"とは、読みも意味も分からないが、この堀切は凄い


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本曲輪西の下は、空堀と堀切があちこちにあり、どうなっているのか整理できない


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全然期待せずに登ったが、空堀、堀切、土塁、土橋、竪堀、横堀、曲輪跡、虎口、等素晴らしい遺構がいっぱい残っていて、大感動する


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狩野山砦


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安部川の西岸の小山が砦跡で、山頂に妙音寺がある


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狩野山砦は、室町時代初期に今川氏と敵対した狩野氏が築いた安倍城の出城


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籠鼻砦


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市街地の中のこんもりとした森が砦跡で、森の上に井宮神社がある


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家康が安倍川石合戦を見ていた? 訳の分からない看板がある


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籠鼻砦は、武田信玄が永禄12年に駿府の今川館を攻撃した際に陣を置いた所