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長梅雨、猛暑、残暑の中腰痛も再開し、3か月振りの城巡りとなる
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宿泊しての遠方地の城巡りは気力が湧かず、暫くは昨年巡り良いと思った近場の山城を再訪城することに
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松平城(再訪城)
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松平城は松平氏の始祖親氏が、室町時代初期に築いた城 国指定史跡で遺構もしっかり残っているようだ
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登城口から主郭までは180mの案内ある 距離は短いが結構急斜面の登城道
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曲輪3、4と曲輪2、主郭との分岐点 先ずは主郭の方へ行く
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曲輪2 一年半前に訪れているが、全然記憶に残っていない 今日の記憶もきっと直ぐに忘れてしまうと思われる
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曲輪2から主郭へ 主郭の壁はかなりの急傾斜だが、人手による切岸か自然の斜面か?
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主郭部は広い削平地 主郭の案内と説明看板がある 説明看板は登城口にあるものと同じ
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立派な石の城址碑もある
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縄張図に、主郭を取り巻く堀切が描かれているが、下に見えるのが堀切と思うが、堀切へ降りる道が無い
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戻って曲輪3、4へ行く
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曲輪3の下に名も無い神社が建っているが、ここが曲輪4
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普通、曲輪の周りは土塁で防備されるが、松平城は自然な地形が要塞になったのか、全然土塁が見当たらない
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曲輪4の奥は西の端で、櫓台跡になっている
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曲輪4から井戸跡への道があり、主郭を取巻く横堀に繋がっている
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ちょっと藪の中になるが道は分かる 期覚悟はしていたが、この時期の山城は、やぶ蚊と蜘蛛の巣に悩まされる
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主郭の南下に井戸跡がある 主郭とかなり高低差があり、主郭まで水を運ぶのはさぞ大変だっただろう
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井戸は土砂で埋まっている 井戸跡から更に道が続いており、横堀へ下りることが出来る
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主郭を取り巻く見事な堀切にちょっと感動する
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堀切をずっと歩くことが出来る
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横堀の看板 松平城の一番の見所はこの横堀と思う
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松平氏館(再訪城)
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松平氏発祥の地で、館跡に松平東照宮が建つ
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石垣と水堀が中々見事
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松平郷は土豪・在原信盛が治めていたが、遊行僧・徳阿弥が在原氏の入婿になり、松平親氏と名乗り松平氏の始祖となる 家康は親氏から数えて9代目
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松平郷は、宗家から分かれた松平太郎左衛門家が明治になるまで治めている
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家康誕生の時の産湯に使われた井戸
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何処に井戸が有るのか分からなかったが、どうもこの中にあるようだ
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東照宮から少し離れた所に、在原氏の墓所がある
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在原信盛・信繁親子と、親氏の室となった水姫(信繁の次女)の墓
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松平氏の史跡の月院 松平城を含めて松平氏の遺跡は、国指定史跡になっている
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高月院は、徳川氏の始祖・松平家の菩提寺
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家康より多額の寺領貰い、幕末まで厚遇されたとある
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立派な石垣が残っていて、何か碑が立っているが、何て書いてあるのか読めず
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徳川宗家18代恒孝の手植え松 18代では明治時代の人と思われるが?
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高月院の本堂 質素だが中々風格がある
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元信君お手植えとあるが木の名前が無い 元信は家康が人質時代の名前
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高月院に家康の祖先の松平氏の墓所がある
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募塔は3つあり、中央が始祖の親氏、右が2代奏親、左が4代親忠の夫人
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松平氏の墓所は一番高い所にあるが、下にも古い募塔が並んでいる
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松平郷を治めた松平太郎左衛門家の募塔で、9代と10代には標柱も立つ
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松平親氏の銅像
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親氏は室町時代前期の人で、戦国時代のような武者の感じがしない
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親氏は、1394年に無くなっている 家康は1540年頃の生まれなので、150年以上も前の人になる
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松平東照宮の説明看板
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高月院の説明看板
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大沼城(再訪城)
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洞樹院の右手の小山が大沼城跡で、洞樹院は大沼城主の菩提寺
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大沼城は、文明年間(1469〜1487年)、近江国より来住した木村安信が築城
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洞樹院右手の大沼城入口に、城址案内看板がある
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看板に縄張図があるが、中々頭に残らない 登城は東の曲輪郡の方からと思い込み、大間違いしていた 実際は南の三の丸の方からだった
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登城口に城址まで150mの標柱がある
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距離は短いが、かなり急勾配の登りが続く
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案内は無い削平地 東側の曲輪の一つと思って通るが、実際はここが三の丸
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三の丸の上の広い削平地は二の曲輪 しっかり草に覆われており嫌な予感だが、草に覆われているのはここだけだった
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二の曲輪から本丸への上り口
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本丸には大沼城跡の標識が立つ 文明年間(1469〜1487年)に築かれた城だが、曲輪周りは土塁で防備されていない
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本丸東側の堀切 向う側は東曲輪群
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中々の大堀切で感じ良い
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東曲輪群への上がり
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東の端にある曲輪 お犬さまの看板があるが、明治時代のもの
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この曲輪には大きくないが土塁が残っている
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先に見た本曲輪と東曲輪群の堀切を少し下から再度見て、今日の城巡りを終了 本当はもう2つ山城を巡る予定にしていたが、ぐったり疲れて14時に帰る
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