20.10.1 刈谷、安城




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刈谷城(再訪)


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刈谷城は別名・亀城で、城跡は亀城公園になっている


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亀城の名の通り池にはいっぱい亀がいる ネットに家康が安祥城を鶴、刈谷城を亀と名付けたと載っていた


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南東側から入り西回りで巡る


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土手を上がると十朋亭が見える 十朋亭は本丸三重櫓跡にあり、大正5年に士族の会合場所として建てられた


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十朋亭から西に延びる土塁の切通


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十朋亭から見る本丸跡


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本丸の西を取り巻く土塁


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本丸西に刈谷城本丸跡の石碑と刈谷城跡の案内あり


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1533年水野氏が金ケ小路に築いた 水野忠政の娘・於大の方〔家康の母〕が育った城


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亀城公園の案内石碑 於大の方の事も書かれている


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本丸西から土塁を降りると見事な石垣


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この石垣は余り古く感じないので、当時からあるものじゃ無さそうだ


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西側の車道の奥は空堀の感じがする 外堀と思って見る


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外堀を通って本丸へ入る土橋に見えるが?


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本丸の壁 かなり高く切岸に見えるが?


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いつかこんな立派な刈谷城になるんだろうか?


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本丸隅櫓台跡


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刈谷城の入口に建つ豊田佐吉の銅像


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佐吉の銅像の直ぐ横に、刈谷城址碑と二の丸跡の碑が並んである


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城池から本丸跡の眺め


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歴史博物館は無料で見学出来る


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無料だがにこれはと思う展示は無い


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豊田佐吉が発明した自動織機


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楞厳寺(りょうごんじ)に水野家廟所があり立寄る


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案内無いが水野家廟所と思うが、塀に囲まれていて中へ入れない


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塀の上から何とか写真撮れた


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山崎城(再訪)


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神明社が山崎城跡


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1543年織田信秀に与した三木城主松平信孝が岡崎方の備えとして築城 松平信孝は先回訪れた渡城で岡崎城主・松平宏忠と戦っている


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神明社の本殿裏に見事な空堀が残っている


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空堀の上の神明社はかなりの高台にある 説明看板には土塁の上に建てられた本殿と書かれている


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空堀は深さ2メートル、長さ50メートル 丁度彼岸花が咲いていた


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桜井城(再訪)


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桜井城は豪族小浦喜平冶が築いた城 1471年松平信光の安祥城侵攻により松平氏の支配下になる


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城址入口の石垣がカッコ良い


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石垣の土塁の上に櫻井城址の石碑がある


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城址入口の冠木門 本丸には広場公園で遺構は何も無い


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城址碑の隣にある桜井松平家墓所


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松平宗家5代長親の三男信定が桜井松平家の祖


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桜井城址西隣りにある靖霊神社 神社は戦没者を祀るもので城とは関係ないが、城郭の中に建てられている


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本殿は土塁の上にあり、神社境内も城郭だったのが分かる


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桜井松平氏の菩提寺の菩提寺に、桜井松平家墓所があり立寄る


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菩提寺の本堂


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案内無いが、本堂の左手に桜井松平家墓所がある 歴代夫人の墓とあるがこの墓は結構新しい


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古い墓が並んでおり、初代松平信定以降の城主の墓と思われる


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菩提寺の近くに桜井戸跡があるとネットにあるが見つけれず たまたま桜井駅前に井戸跡を見つけるが?


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本證寺(再訪)


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寺なのに構えは城そのもの 寺の周りは内堀の水堀が取巻く


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本證寺は家康も手を焼いた、三河一向一揆で争った寺


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国の指定史跡になっている 三河三ヶ寺(上宮寺・本證寺・勝鬘寺)の1つで、1563年三ヶ寺とともに一向一揆を起こすが、翌年には鎮圧されている


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広い境内に風格ある本堂


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経蔵と鐘楼は安城市の指定史跡


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城の櫓の様な鼓楼は見応えあり


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境内北の水堀 


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北側に土塁が繋がっているようだが、進入禁止で中へ入れず


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境内南側の水堀 境内説明看板に外堀も載っていたが、見るのを洩らしてしまう


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安祥城(再訪)


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まず安城市歴史博物館の入館 料金は200円


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縄文・弥生時代の遺跡の展示が多く、安祥城に関する展示は少ない これは先に行った本證寺の三河一向一揆の案内


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松平清康公の肖像掛軸 清康は13歳で家督を継ぎ25歳で亡くなっている


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文明3年(1471)ころ松平信光が攻め取り、以後50余年間安城松平4代(親忠・長親・信忠・清康)の居城 清康が松平氏の本拠を岡崎城へ移す


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安祥城は、家康の父の松平宏忠と信長の父の織田信秀が3度に渡って争奪戦をしている


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歴史博物館のある東側から、本丸跡の大乗寺へ上がる


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東側は大乗寺の裏手になる この辺りの境内の周りには高くないが土塁残っている


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大乗寺の表(西側)に回ると、安祥城址の石碑がある


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大乗寺の見事な山門


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山門の入り口に城址の説明看板ある 信光が安祥城を奪った様子が書かれており、それがおもしろい


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大乗寺の本堂


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本多忠高墓碑 本多忠高は本多忠勝の父で3回目の安城城合戦で戦死 また忠勝の祖父・忠豊も2回目の合戦で戦死している


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凄い亀の墓碑 大亀の墓碑は徳川に功績あった者に許されたと墓碑説明に書かれている


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南東の空堀から大乗寺を見る 大乗寺(本丸)はかなりの高台にあるのが分かる


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右手が大乗寺がある本丸、左手が八幡宮がある二の丸 この通りは確実に堀切跡と思われる


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堀切入口から本丸跡を見る


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堀切入口から二の丸跡を見る


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二の丸への上り口にある法師・善恵坊の碑 この人は坊さんなのに、安城合戦で一人敵中に討って出て戦死している


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二の丸跡・八幡宮への上り口


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八幡宮の本殿 すぐ隣に秋葉宮の本殿もあり、両社は仲間の神社?


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切通の先にある姫塚 安祥城功防戦で亡くなった女性を葬っている


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安祥寺墓地にある千人塚


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千人塚の近くにある東条塚 ここは安城城争奪戦の古戦場の一つと書かれている


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この塚は、応援に駆け付けた吉良の東条松平の康忠が戦死した場所