20.10.25 山県




img_0003_thumb.jpg
高富陣屋


img_0004_thumb.jpg
高富陣屋は、文化3年(1806年)本庄道昌によって築かれた 本庄氏は慶安元年(1648年)本庄道芳が五代将軍徳川綱吉に仕えて旗本となったことに始まる


img_0007_thumb.jpg
美里会館の駐車場内に、陣屋の跡の石碑と、小さな秋葉神社が祀られている 案内や遺構は一切無し


img_0008_thumb.jpg
永井氏居館


img_0012_thumb.jpg
ネットに土塁が残るとあり、石垣の家の対面の民家の畑の周りに、土塁が確認出来る


img_0015_thumb.jpg
15世紀から17世紀における西深瀬の土豪の永井氏の居館跡と言うことだが、全然知らない人でどうでもよくて、早々に次へ移動


img_0021_thumb.jpg
大桑殿屋敷


img_0024_thumb.jpg
大桑城の南に位置する南泉寺が屋敷跡で、大桑城主の土岐氏の居館 ここも案内や遺構は全く無く、今日は久しぶりに新規の城址巡りだが、今一気分が乗らない


img_0029_thumb.jpg
南泉寺の裏の墓地の一番奥に土岐氏の墓がある


img_0030_thumb.jpg
墓では無くて供養塔で、土岐家累代総供養塔と刻まれている


img_0038_thumb.jpg
大桑城


img_0039_thumb.jpg
四国掘は越前、尾張、伊勢、近江の四か国の加勢を受けて造られたとある 城址の古城山よりかなり離れているが、堀の有効性はあったのだろうか?


img_0041_thumb.jpg
大桑城の登城口 はじかみ林道の駐車場 山の麓にも登城口と大きな駐車場があるが、こちらの方が城址までの距離はかなり短く登り易い


img_0042_thumb.jpg
大桑城は美濃国の土岐氏の最後の居城 1535年長良川の洪水をきっかけに、古城山の大桑城に居城を移した


img_0043_thumb.jpg
遺構がしっかり残る城跡のようでワクワクするが、キツイ登山になるようで登れるか心配になる


img_0045_thumb.jpg
最近毎日のように熊被害のニュースが報道されているが、今日は古城山の登山者が一杯いるので、熊も出てこれないだろう


img_0049_thumb.jpg
ネットにコースタイム20〜30分とある 登山道は狭く急斜面でとってもキツイ ずっとロープの手摺があるので、何とか一歩一歩登ることが出来た


img_0053_thumb.jpg
登り始めて15分程、堀切らしき所に出る


img_0056_thumb.jpg
上がると城址まで440mの案内 左側は帯曲輪が延びていて、やっと城郭に入ったと思う


img_0059_thumb.jpg
右側は尾根が突き出ていて曲輪跡と思われる その先は道が無く立入禁止の看板がある


img_0062_thumb.jpg
猿馬場の看板がある場所に出る ここまで約20分 曲輪跡と思うが、猿馬場とはどう言う意味なんだろう


img_0065_thumb.jpg
切井戸と城址の分岐点 帰り元気があったら切井戸を見に行こう、と山頂を目指す 山頂までは230mの案内


img_0066_thumb.jpg
狭い所に石垣が残っているが、何のための石垣なんだろう こんな所に建屋など造れないので、建屋土台の石垣では無いと思えるが


img_0069_thumb.jpg
今年の大河ドラマ・麒麟が来るの影響が大きいと思うが、しかも秋晴れの日曜日で大勢の登山者がいる


img_0072_thumb.jpg
麓の登山口とはじかみ登山口の合流地 距離表示から、はみだし登山口から山頂までは880m、麓登山口からは2.2kmと分かる


img_0077_thumb.jpg
臺所の看板がある曲輪 臺所は台所と案内あり ここは主郭部の真下に位置する


img_0079_thumb.jpg
臺所から主郭を取り巻く帯曲輪が延びている


img_0082_thumb.jpg
帯曲輪を少し入ると石垣がある 主郭の壁に埋まっており壁を補強する石垣なんだろか?


img_0086_thumb.jpg
主郭へ上がる急坂からミニチュア天守が見えた


img_0087_thumb.jpg
主郭への虎口 狭い主郭に何組もの登山者がいるので、熊の心配は全くない


img_0091_thumb.jpg
主郭からの眺望は中々のもの


img_0092_thumb.jpg
金華山の岐阜城も見える 肉眼では天守閣が確認出来なかったが、写真では小さく写っている


img_0095_thumb.jpg
ミニチュア天守がカッコ良い


img_0098_thumb.jpg
1535年土岐頼芸が大桑城へ移る 1547年道三に攻められ頼芸は織田信秀の許に逃げるが、翌年和議が成り大桑城に戻る 1552年再び道三に攻められ頼芸は甲斐の武田信玄の許へ


img_0100_thumb.jpg
ミニチュア天守から下の主郭部を見る


img_0102_thumb.jpg
私の身長から察すると3m程の高さの天守 しかし実際はこの山の上に天守など無かったと思われる


img_0105_thumb.jpg
古城山山頂 407.5m


img_0109_thumb.jpg
麓登山口の方へ少し降りて、堀切まで見て戻ることにする


img_0112_thumb.jpg
主郭部下の北側へ少し入ってみると、大岩が連なる急傾斜の危険な道で直ぐ引き返す


img_0119_thumb.jpg
麓登山口への道を少し降りると、曲輪群の入口に出る


img_0120_thumb.jpg
曲輪群は急斜面の下へずっと落ちている


img_0125_thumb.jpg
堀切のある土橋


img_0126_thumb.jpg
凄い竪堀が谷へ落ちている 人の手でこんな凄い堀を造れるとは、凄い


img_0129_thumb.jpg
堀切まで来て引き返したつもりだったが、この写真を見てまだ堀切まで行っていなかったのに気付く


img_0130_thumb.jpg
こちらかにも切井戸へ行く道があるが、かなり危険な急傾斜の道であり、登って来る時見た切井戸への道で行くことに


img_0131_thumb.jpg
切井戸へ降りる道は、ロープの手摺があるものの、狭い急勾配の道で危険がいっぱい


img_0140_thumb.jpg
何とか切井戸に無事到着する


img_0141_thumb.jpg
こんな言い伝えがあるとは しかしこんな所で鶏の鳴き声など聞こえると思えない


img_0142_thumb.jpg
まだかなり高所にある井戸で、掘った井戸ではなく湧水が溜まった物と思われる


img_0145_thumb.jpg
何とか無事に戻る 約2時間30分の大桑城巡り


img_0147_thumb.jpg
麓からの登山口 こちらからは距離もあり、本格的登山になると思われる


img_0148_thumb.jpg
こちらからは60分〜90分、はじかみ登山口からは20〜30分と書かれている 実際にははじかみ登山口から主郭まで40分かかっている


img_0152_thumb.jpg
麓の登山口の駐車場 中央の山が大桑城跡の古城山


img_0153_thumb.jpg
山頂に何とかミニチュア天守が見える


img_0155_thumb.jpg
伊自良城


img_0156_thumb.jpg
大門古墳群の奥の山が伊自良城跡と思うが、城址の案内は全然無い


img_0158_thumb.jpg
円墳の古墳が幾つもあるが、古墳の説明が無いのが残念


img_0160_thumb.jpg
この山の上が城跡か? 伊自良城は土岐氏の家臣の伊自良氏が在城 大桑城の支城としての側面も持っていた


img_0167_thumb.jpg
ここは大きな古墳公園になっている


img_0168_thumb.jpg
大森屋敷


img_0170_thumb.jpg
竹藪の周りに土塁が見て取れる


img_0172_thumb.jpg
屋敷跡は荒れた竹藪で入る気になれないが、何か堀があるように見える


img_0175_thumb.jpg
竹藪を東に回ると、ハッキリとした土塁や堀がある


img_0179_thumb.jpg
大森屋敷は、はっきりと遺構があるにも関わらず、いつの誰の屋敷か分からない、とネットに載っていた