20.11.8 津




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ここは伊勢自動車道の安濃SA、久しぶりに連泊しての城巡りに出る 今回は津から松坂へかけて、案内や遺構のありそうな城址を選んでおり、楽しい城巡りが出来そうだ


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一身田寺内町(いっしんでんじないちょう)


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ここは専修寺を中心とした宗教都市  こういう町を一般に寺内町と言うようだ 専修寺の門前町か独立した一国になったと思われる


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唐門 文化6年(1809)に木挽きが始まり、天保15年(1844)に棟上げと説明ある 完成に35年もかかったようだ


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如来堂 「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像が安置されている、と説明有るが「証拠の如来」とはどう言う意味なんだろう


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大きな建物が幾つもあり、お寺なのに迫力を感じる


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御廟唐門と御廟拝堂


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御廟は親鸞のお墓で、案内無いが拝堂の奥にあるこれが親鸞の墓と思われる


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銅灯篭と御影堂 御影堂は国宝で、親鸞聖人の木像が安置されている


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これは茶室 偉いお坊さんは寺院内でお茶を楽しんだようだ


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専修寺の総門にあたる山門 一段と大きくて立派だ


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山門と土塀 白い土塀が城郭ぽくて感じ良い


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山門を出て専修寺の外周を歩く 東面に建つ太鼓門は天守のようだが、太鼓門だから中に太鼓が有って、時を知らせたのでしょう


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太鼓門に続く土塀もカッコ良い 専修寺には環濠が取巻いているとあるが、まさかこの用水路は濠じゃないでしょう


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専修寺の北面の環濠 ネットに道路工事で狭くなったとあるので、往時は車道の中辺までの濠だったのではと思う


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北面の環濠 濠の上は土塁が連なっている


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環濠の説明看板 日本で唯一ほぼ完全な形で現存する環濠と書かれているが、そんな大したものに見えない


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桜門跡 一身田寺内町の西端の門で京都方面の出入口 あと釘貫門を見ようとしたが、何処にあるか分からず


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草生城(くさわ)


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ネットには看板の横の草むらが登城口とある 鉄網の通止めは開きそうだが、ここを入る気にはなれず


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看板のある突き出た丘陵を回り込む車道を歩くと、登城出来そうな道があった


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案内は無く整備された道では無いが、そんなに難儀しなくて歩ける道が延びている


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入って直ぐ左手に小高い所があり、そこが主郭と思われるが、鉄網があり中へ入れない


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二の郭の入口にある大きな堀切 中々カッコ良い 


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土橋と空堀とその上が主郭 土塁や空堀の遺構は中々良い


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二の郭の土塁には石が埋まっているが、石垣の石では無さそう


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大堀切を越えると二の郭の平地になるが、二の郭へも入れない


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草生城の正確な築城年代は不明 城主は国人領主長野氏一族の草生氏


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草むらが二の郭の平地で、奥の一段高い所が主郭


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主郭の奥に小さな堀切らしきが見えるが、入れず確認出来ない


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草生城入口前の車道から、経ヶ峰が見えるが、登山道4.6kmの案内、自分にはとても登れそうもない


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家所城


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明顕寺の裏山が家所城跡


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明顕寺奥の墓地を抜けると山へ入る道がありここから登城 ネットには登城口に案内看板ありと載っていたので、こちらは裏口と思われる


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入ると直ぐ空堀の看板あるが、そう大した空堀でない


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この案内で裏口から入ったのを確信する 什心寺跡とある方から入って来ている


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大手門の手前につぶて石の案内 つぶて石とは、敵に投げる石を集めて置いていたものか?


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大手門跡とある主郭への虎口 崩れた石垣もあるが、土塁を補強した石垣が崩れたもののようだ


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真四角な主郭の周りに空堀がある単純な城郭 什心寺跡と五輪塔群の案内が載っているので後で見に行こう


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家所城は1362年に家所祐歳によって築かれた 家所祐歳は長野城主工藤氏祐の第三子で、この地方の24ケ村を領地した その後8代の間栄えたが、織田信長の伊勢侵攻により敗れている


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四角い主郭を土塁がしっかり取巻いている


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主郭の中央に埋まってしまている井戸跡


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土塁の上に祠が祀られている


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主郭の北面に抜け穴跡の看板 負けそうになったら、ここから外へのトンネルが掘られていて、逃げれるようになっていたようだ


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抜け穴の左手の土塁の堀切が中々素晴らしい


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抜け穴の右手には見張台跡の高台


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主郭北端から下を覗くと、草木で良く見えないが空堀の案内ある


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空堀の下へ降りれないが、かなりの高さがある


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この堀切は何処にあったものか、思い出せない もうボケが始まっているようだ


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主郭の東の空堀


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城址から什心寺跡は直ぐと思ったが、結構(10分程)山の中を歩く


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寺の面影は何もない 案内に抜け穴がここに繋がっていたとあり、驚きである


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什心寺跡から家所三河守の墓までも、ちょっと距離ある


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明顕寺から城跡の山の反対側に出てしまう 明顕寺へ戻るのに1km以上も歩くことになる


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明顕寺の手前・南東側の車道に正規の登城口の入口があった


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登城口には縄張図と説明看板が立っている


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家所城址は直ぐ巡り終わると思っていたが、思わぬ大歩きでかなり疲れた


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宮山城


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天文年間に木造具政によって築かれた 天正12年(1584年)蒲生氏が木造氏を攻めた時、この城を攻略し戸木城に籠城した木造氏攻めの拠点とした


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敏太神社の北西裏山が城跡で、神社の左手に登城道がある


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歩き易い登城道 主郭までは10分もかからない


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社のある高台が主郭 主郭は空堀が取巻いている


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石垣の虎口 赤い鳥居は稲荷神社?


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石垣左手の空堀


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石垣右手の空堀 倒木が邪魔だが、こちらはかなり深い


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主郭の周りを土塁が囲んでいる


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主郭の奥・北側にも空堀が確認出来る


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主郭の東側の空堀


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余り大きくないが土塁と空堀が多くあり、中々楽しい


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主郭の北東側の奥に、堀切越しに曲輪が見えるが、行く元気が残っていない


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戸木城(へき)


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天文23年(1554年)木造具政によって築かれた 木造城主であった具政が隠居城として築いたのが戸木城で戸木御所と呼ばれた


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戸木小学校に城址碑と説明板があるが、小学校の校舎が城跡何だろうか?


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小学校の北側の森を覗いてみると、土塁とか空堀らしきが見えるが、どうなんでしょう?


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木造城(こつくり)


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広々とした畑の中にこんもりとした塚があり、そこが木造城跡 塚には城址碑と説明看板が立っている


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正平21年(1366年)木造顕俊によって築かれた  顕俊は北畠顕能の次男で木造城を築き木造氏を名乗るが、本家北畠氏の南朝と対立した


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今日は、初めて聞く木造氏に関する、宮山城・戸木城・木造城を巡り、3城の繋がりが良く分かった 戸木城・木造城は遺構が無い城址だが、結構楽しくなれた


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今回はGOTOトラベル利用でお得感が一杯 ホテルの名前もスーパーホテル松坂で感じ良い


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朝食付き1泊に、松坂牛A5すき焼き肉400gが付いて2泊で29千円 35%割引の−10千円で支払いは19千円 それに商品券4千円貰えて、実質は14.5千円


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ホテルの駐車場の一角に松坂牛の焼肉店があり、夕食は商品券を使って松坂牛を食べることにする


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一升びんと言う名の松坂牛の焼肉店


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回転ずしならぬ回転焼肉の店だった


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美味い、柔らかい、止められない、結局9皿も取ってしまう


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この皿は松坂牛特選・肉の王様とあり、一皿で1250円 当然会計は商品券4千円では収まりませんでした