20.11.9 松坂




img_0005_thumb.jpg
枳城(からたち)


img_0007_thumb.jpg
枳城(大日山)の道路標識に従って凄い山の中へ入る 道は悪路でパンクが心配され、この道標の傍の空き地に車を止めて歩く


img_0013_thumb.jpg
暫く行くと、曲輪跡のような削平地に猪のワナがあり、ちょっと不安になる


img_0014_thumb.jpg
空堀が登城道になっている


img_0018_thumb.jpg
道標がしっかりあり道に迷う心配は無いが、主郭までの距離が分からないのが不安


img_0021_thumb.jpg
15分程歩くと尾根道に出る


img_0023_thumb.jpg
主郭の手前・西側にある堀切


img_0025_thumb.jpg
堀切の奥から撮影する キレイなV字の堀切がとっても良い


img_0030_thumb.jpg
主郭下段のの帯曲輪 主郭の土手はかなり高く切岸と思う


img_0033_thumb.jpg
主郭への登り口は、凄い急傾斜でつかまるものが無い 登りは何とか上がれるが、降りは四つん這いで慎重に下りた


img_0036_thumb.jpg
主郭に城址の説明看板が立つが、城址碑は無い


img_0037_thumb.jpg
枳城は阿坂城の出城一つ 阿坂城の国指定史跡により、枳城も国指定史跡になっている


img_0041_thumb.jpg
主郭は東西に細長く、東と西に大きな堀切がある こちらは東側の堀切


img_0042_thumb.jpg
主郭には何故かお地蔵さんがいる


img_0044_thumb.jpg
こちらは西側の堀切


img_0045_thumb.jpg
北西1kmの所に阿坂城址の山があるが、どの山か特定できず


img_0050_thumb.jpg
みかん畑の上の山が枳城址


img_0052_thumb.jpg
高城址へ入る手前に白米城址の石碑がある 白米城とは阿坂城の別名


img_0054_thumb.jpg
高城


img_0056_thumb.jpg
白米城址の石碑の所を進むと貯水池に出る 貯水池の北の山が高城址


img_0061_thumb.jpg
高城も阿坂城の出城 阿坂城の東に位置する


img_0064_thumb.jpg
城址の案内看板は主郭の手前の曲輪にある


img_0065_thumb.jpg
主郭東側の虎口の堀切


img_0068_thumb.jpg
主郭側から堀切を撮るが、中々見事な堀切


img_0069_thumb.jpg
主郭はあちこち凸凹していて、ネットには植林によるものとある


img_0071_thumb.jpg
主郭の周りはしっかり土塁が残っている


img_0072_thumb.jpg
説明看板に北東に2重の堀切が載っており、あの堀切が一つ目と思う


img_0074_thumb.jpg
これは素晴らしい 感動ものの大堀切


img_0076_thumb.jpg
堀切を渡った側からもう一枚撮影 堀切越しに主郭の削平地が見える


img_0078_thumb.jpg
堀切を渡った所から主郭を見上げると、かなり高い切岸となっている


img_0080_thumb.jpg
堀切先を行くが、2つ目の堀切は無い 一般住民の墓に出て、諦めて引き返す


img_0089_thumb.jpg
阿坂城(あざか)


img_0093_thumb.jpg
浄眼寺の右手の山の奥の山(浄眼寺からは見えない)が阿坂城址 駐車場からハイキングコースの登山道が延びている


img_0094_thumb.jpg
浄眼寺は1478年伊勢国司北畠政勝が建立とある 政勝は入道してお坊さんになっている


img_0096_thumb.jpg
屋根がカッコ良い浄眼寺の本堂


img_0101_thumb.jpg
ハイキングコース入口にある看板 浄眼寺から白米城まで2042mもあり、中々厳しそうだ


img_0104_thumb.jpg
覚悟を決めて出発 標柱は白米城まで2.1km/40分の案内 降りてきたおばさんに聞くと1時間かかったと言っていた


img_0109_thumb.jpg
国指定史跡であり、道幅は広く歩き易い 登山と言うよりやはりハイキングの感じだが、傾斜は結構キツイ


img_0111_thumb.jpg
案内無いが、所々に遺構らしきものが見える これは竪堀と思われる


img_0114_thumb.jpg
あと1.4km/30分の標柱があるが、ここまで15分かかっている


img_0122_thumb.jpg
大杉の案内あり 大杉は堀底にあるようにも見えるが、ちょっと深いので谷底にあるのかも


img_0125_thumb.jpg
今日は月曜日だが、ハイカーがやたら多い 一人の山歩きは熊や猪が心配になるが、今日は安心して歩ける


img_0127_thumb.jpg
見事な堀切が現れる 堀切の先は、あと0.6km/15分の標柱があり ここまで約45分かかっており、コースタイムよりかなり遅い


img_0133_thumb.jpg
竪堀の遺構の看板 初めて遺構の看板が現れ、この辺りから本格的な城郭となるようだ


img_0134_thumb.jpg
大きな土塁を切り通した桝形虎口の感じがする


img_0136_thumb.jpg
土塁・堀切の看板と、あと400m/10分の道標


img_0138_thumb.jpg
主郭の様な丘が見え、白米城址に着いたと勘違いする


img_0140_thumb.jpg
白米城の手前に椎ノ木城なるものがあり、この辺りに遺構の看板が多くある


img_0145_thumb.jpg
椎ノ木城跡の丘は切岸 この急斜面は簡単には上がれないだろう


img_0146_thumb.jpg
遺構マップにある C竪堀


img_0148_thumb.jpg
遺構マップにある E腰曲輪


img_0151_thumb.jpg
遺構マップにある F虎口 この時はまだ白米城跡と思って上がっている ここまで約50分かかる


img_0154_thumb.jpg
切岸の上から、遺構マップが立っている所を見る 結構素晴らしい景色に感動


img_0157_thumb.jpg
細長い椎ノ木城の主郭 北面の土塁は、下が登城道なので高い 南面は絶壁で土塁も低い


img_0158_thumb.jpg
椎ノ木城から白米城址の台地が見え、ここが白米城跡でないのを知る


img_0159_thumb.jpg
遺構マップにある G堀切


img_0160_thumb.jpg
遺構マップにある H堀切


img_0161_thumb.jpg
遺構マップにある I堀切


img_0162_thumb.jpg
遺構マップにある J堀切


img_0164_thumb.jpg
白米城跡へ上がる虎口 あちこち見て写真撮りながらだったが、ここまで70分もかかった


img_0165_thumb.jpg
道は高城址へ繋がっているようだ 残念な事に、デジカメの予備バッテリーを車に置いてきた 以降スマホ撮影になるが、慣れていなくて特にビデオは失敗していた


img_0166_thumb.jpg
先ほど訪れた高城址の山があると思うが、どの山か特定出来ない


img_0168_thumb.jpg
阿坂城:白米城の主郭 大きな碑があるが、何が書いてあるか読めず これは城址碑何だろうか?


img_0169_thumb.jpg
主郭からの展望は最高 


img_0170_thumb.jpg
主郭の西下に曲輪らしきが見える 白米城の方は遺構の案内が無いのが残念 国指定史跡なのに、城址の説明看板もない


img_0172_thumb.jpg
かなりバテバテになったが、頑張って歩き、辿り着けたことがとても嬉しい


img_0173_thumb.jpg
浄眼寺に無事戻る 阿坂城の散策は約2時間30分程かかった 登るとき気付かなかったが、浄眼寺の駐車場にハイキングマップと城址の説明看板があった


img_0174_thumb.jpg
応永年間に北畠満雅によって築かれた 応永22年(1415)に北畠満雅が北朝方の足利軍を迎え撃った戦いで、籠城する満雅軍は水を断たれたが、馬の背に白米を流して水があるように見せかけたことから「白米城」と呼ばれる 


img_0179_thumb.jpg
八田城


img_0181_thumb.jpg
鎌倉時代に相模から三浦盛時が来て築城 後に大和多と姓を改めた 正平年間(1346〜70)国司北畠顕能に従い、以後北畠氏の家臣となる


img_0182_thumb.jpg
登城口に、立派な城址碑と説明看板がある 


img_0183_thumb.jpg
登城道は歩き易い 案内無いが、どうも城址公園になっているようだ


img_0187_thumb.jpg
高い土塁の登城道は、堀底の道と思える


img_0190_thumb.jpg
堀底の道はやはり正しく、道に堀切の看板がある


img_0192_thumb.jpg
そして土塁の看板も


img_0198_thumb.jpg
登城道の下に井戸跡の看板があり、井戸跡の奥に竪堀がある


img_0199_thumb.jpg
井戸跡に水が溜まっているが、これは雨水が溜まったものだろう


img_0204_thumb.jpg
主郭の手前の堀切は中々凄い


img_0206_thumb.jpg
堀切が虎口で主郭へ入る


img_0207_thumb.jpg
最近造った城址看板なのかやけに新しい いや修繕したところなのかも


img_0209_thumb.jpg
一段と高い土塁に見張台(狼煙台)の案内ある


img_0210_thumb.jpg
主郭の周りの土塁は高くて見栄えが良い


img_0212_thumb.jpg
土塁を切り通した先に橋がある


img_0213_thumb.jpg
あぶな橋と書かれており、渡るのは止める


img_0214_thumb.jpg
あぶな橋は深い堀切に架かっている 見事な堀切だが、堀に降りるのは躊躇う


img_0216_thumb.jpg
あぶな橋から、竪堀となって谷へ落ちている


img_0217_thumb.jpg
あぶな橋の奥にも堀切が見えるが、あぶな橋手前から写真を撮るのみにする


img_0220_thumb.jpg
主郭の下段は帯曲輪が取巻いている


img_0223_thumb.jpg
主郭の西側の土塁も中々のもの


img_0225_thumb.jpg
主郭北西に見張台があるが、朽ちていてとても上がれそうもない


img_0227_thumb.jpg
八田城はそんなに期待していなかったが、結構素晴らしい遺構が残っていた


img_0232_thumb.jpg
大河内城


img_0235_thumb.jpg
大河内公民館に城址の説明看板あり 公民館に車を止めて歩く 後で気付くが搦手の入口の所に駐車場がある


img_0237_thumb.jpg
川の橋の所に大手口の看板があり、川沿いを歩くが大手口までちょっと距離がある 丘陵の突き出た先が大手口


img_0241_thumb.jpg
四季桜が咲く登城口 公民館から疲れた足で10分程歩いた


img_0243_thumb.jpg
登城口を入ると直ぐ石垣がある 城跡看板に櫓が書かれていたので、櫓台の石垣かも知れない


img_0246_thumb.jpg
何段もの石垣の上は広い曲輪


img_0248_thumb.jpg
馬場の案内あり、広い曲輪は馬場跡と思われる


img_0250_thumb.jpg
この広さなら馬もストレスなしに過ごせたか


img_0261_thumb.jpg
鳥居を潜って主郭へ


img_0263_thumb.jpg
応永22年(1415年)北畠顕雅によって築かれた  伊勢国司北畠満雅は弟顕雅をこの地に配して北朝方の攻撃に備えた


img_0267_thumb.jpg
大河内合戦400年記念とある 織田信長の南伊勢侵攻で、伊勢国司北畠具教がここを本拠として戦っている 結果は、信長の次男信雄を養子に向かえ家督を譲ることで和議している


img_0270_thumb.jpg
小さな本丸跡の碑がある


img_0279_thumb.jpg
本丸と西の丸の間のまむし谷


img_0280_thumb.jpg
まむし谷とあるが深い堀切で、堀切に橋が架かっている


img_0281_thumb.jpg
堀切からは深い竪堀となって谷へ落ちている


img_0282_thumb.jpg
西の丸の入口


img_0285_thumb.jpg
西の丸には名も無い神社が建つ 名前はあるかも知れないが、名が書かれた表札が無い


img_0287_thumb.jpg
本丸の南にある納戸跡


img_0289_thumb.jpg
本丸南東の広い削平地は馬場跡


img_0292_thumb.jpg
大きな表忠碑の所に小さな二の丸跡の碑


img_0293_thumb.jpg
二の丸跡地


img_0295_thumb.jpg
崎谷・矢津の案内あるが、足が限界に達しておりパス


img_0297_thumb.jpg
帰りは搦手道へ


img_0302_thumb.jpg
搦手道を降りると直ぐ住宅地 ポールが立つ広場は大河内城の駐車場で、後で分かり愕然とする


img_0304_thumb.jpg
大河内城跡の標識もある 願わくば公民館の所から標識を立てて貰いたい


img_0308_thumb.jpg
今日の夕食はちょっと贅沢に 今日は昼食も食べずに歩きまわっており、これじゃ贅沢とは言えないか


img_0310_thumb.jpg
疲れた時は、大相撲を見ながら、ビールに刺身、これしかないね