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松坂城
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天正16年(1588年)蒲生氏郷によって築かれた 小牧・長久手合戦の後、蒲生氏郷は十二万石を領して松ヶ島城に入ったが、新たに松坂城を築いて移っている
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松坂城の表門 圧巻の石垣に身震いしてしまう
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表門の石垣下にある、松坂城址碑と蒲生氏郷の紹介碑 坂の字が阪になっているが、どちらが正しいのか?
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表門を入った右手の曲輪にある井戸跡 覗いてみたが中は暗くて良く見えず
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歴史資料館の前にある、遠見櫓跡の石垣 戦国末期の城であり、野面積みと石垣と思う
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歴史博物館の方角が北 先ずは北から西の方へ石垣の外を歩く
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助左衛門御門跡の石碑 助左衛門は人の名前と思うが、意味がちょっと分からない
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本丸への入口
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北面の石垣
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北面の石垣の続きだが、石垣が飛び出している所は敵見櫓跡だったか?
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西面に回ると、小さな曲輪があり土塁が残っている
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本居宣長記念館との間の石垣
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本居宣長は江戸時代の国学者 ここに記念館があるので、当然松坂の出身なんだろう マスクを車に置いて来ているので入場はパス
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記念館の玄関前に埋門跡の石碑ある 記念館がある所も曲輪跡で、埋門を通って本丸へ入れたようだ
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本居宣長の旧宅で鈴屋と呼ばれる 本居宣長が12歳から亡くなる72歳まで住んでいた、魚町にあったのを明治42年に移築、と案内がある
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埋門を入ると隠居丸跡の石碑がある
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隠居丸にある米蔵跡 隠居丸は記念館とセットの有料になっているが、勝手に入ってしまう
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隠居丸を出ると、南に位置する裏門 松坂城は何処までも石垣が凄過ぎる
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裏門から二の丸へ入る 藤棚の所に二の丸跡の石碑がある
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二の丸南面の石垣を覗き見るが、中々スリルあり恐ろしい
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二の丸から御城番屋敷を見る
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曲がった裏門は桝形虎口と思う
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裏門の入口にも松坂城跡の石碑がある 裏門を出て御城番屋敷へ
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御城番屋敷に住む先祖は、徳川家康の先発隊として功名手柄を競った横須賀党の面々と書かれている
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御城番屋敷の入口に建つ土蔵 城内の隠居丸にあった米蔵を移築したものと説明あり
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ひっそりとしていて感じ良い御城番屋敷
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長屋の屋敷は展示建物と思ったが住人がいるが、先祖はやはり家康に貢献した横須賀党の人なんだろうか?
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車からマスクを取り出し歴史資料館へ入る 資料館の建屋はとても立派でカッコ良いが、入館料はたったの80円
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これはきっとタバコ屋でしょう
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蒲生氏郷の肖像画 大した武将じゃないと思っていたが、凄い石垣の松坂城を築城した人と思うと、凄い人だったんだと思いが変わる
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昭和30年代の機材が懐かしい
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横砂・三重ノ海も松坂出身だったようだ 80円だから文句は言えないが、全然大したことない資料館だった
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先に見た助左衛門御門跡から本丸へ入る
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外周の石垣とは別に、本丸も石垣で囲まれており、直ぐに本丸へ上がらず、本丸石垣周りを歩く
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外周の石垣の上へ上がれ、藤見櫓跡の石垣下を覗き込む 怖いのにどうしても覗き込みたくなってしまう
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どんな櫓が建っていたか想像できないが、ここが藤見櫓跡
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覗き込みの写真まで撮る
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角櫓跡の所に展望の看板がある
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看板によると、市街地の奥の山が、昨日訪れた阿坂城跡の山
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角櫓跡からきたい丸へはいる 周りはまだ紅葉していないが、この木はキレイな紅葉している
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きたい丸から天守台の石垣を見上げる 野面積みだが、石垣の合わせの所は違うが、これは何て言うのだろう
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きたい丸から本丸への入口
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きたい丸跡の石碑もある
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きたい丸の一角は梅林で、松坂城梅林の石碑まである
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きたい丸から本丸へ入る 左手の石垣は天守台の石垣
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本丸を囲む石垣の、天守台下にある敵見櫓跡
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結構広い天守台 さぞ立派な天守閣が建っていたのを想像する
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天守閣の絵でもあったら嬉しいのに 想像するがイメージは描けない
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天守台から、本丸(上段)の眺め
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本丸(上段)から本丸(下段)へ下りる中御門
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本丸(上段)の東に位置する金の間櫓跡
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金の間櫓跡にある松坂開府之碑 どう言う意味の碑がよく分からない
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金の間櫓跡から本丸(下段)の眺め
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本丸(上段)にある本丸跡の石碑
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金網に囲まれているのは井戸のようだが、草木に覆われていて良く見えず
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本丸(下段)から本丸(上段)へ入る中御門を見る
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本丸(下段)の北面にある藤見櫓跡 これで散策マップに載っている全てを見る 松坂城散策に2時間半も要し、かなり歩き疲れた
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松ヶ島城
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北畠の家督を継いだ織田信雄が天正8年(1580)南伊勢統治の居城を田丸城からこの地に移し松ヶ島城と称した 1584年に蒲生氏郷が12万石の大名として入城している
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織田信雄は五層の天守を建てたとネットにある 親・信長の威光で好き勝手をやっていたんだろうと想像する
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この塚は土塁の一部なのか? 畑の中にポツンと塚があるのみで、遺構は何もない
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今日は2訪城のみで終わり 昼食は安濃SAで松坂牛の焼肉定食 またちょっと贅沢をしてしまう
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