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美杉町多気の北畠氏の城館へ向かう途中、素晴らしい紅葉を見つける ここは家城城の近くで津市白山町
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今回も1泊2日の城址巡りで、国指定史跡の北畠氏城館と長野城を巡る予定
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比津峠から霧山城跡への登山道 この登山道は短距離だが急坂と書かれている
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急坂の登山道が山へ延びている 北畠神社からも登山道があり、今日はそちらから登る
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北畠氏館
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多気は北畠氏の本拠地で、北畠氏館−詰城−霧山城と3つの城館からなっている
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詰城跡を通って霧山城への登山道の入口
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雪姫伝説がある 後で知るが雪姫は、信長の次男の信雄の嫁になった北畠家のお姫様
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北畠神社が北畠氏館跡で、境内に立派な庭園がある
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庭園は有料だが、ちょっと写真を撮ろうとドアを開け入ると、神に仕える社務所の人がどえらい権幕でやって来た
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神に仕える人は、もう少し穏やかな人が良いと思うが、有料施設に勝手に入った方が悪いのはその通り
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国の指定名勝の庭園 戦国時代の庭園が埋もれずに残っているのは、とても貴重で珍しいようだ
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北畠神社の本殿はそんなに大きくない
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後醍醐天皇が吉野山へ落ちる時北畠親房もこの地へ、親房の長子の顕家は21歳で戦死、三男の顕能が霧山城を築く、等が書かれている
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北畠顕家公の銅像 21歳で阿倍野の露に消える、と書かれている
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北畠顕能公の歌碑
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”いかにして伊勢の浜荻ふく風の治まりにきと四方に知らせむ”と詠んでいる
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霧山城址まで1350m 頂上まで歩けるか大いに不安があるが、9:50いざ出発
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登山道は整備されていて歩き易いが、急なジグ坂が続く
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北畠氏館詰城
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登山口から約20分で着く 詰城とあるので、普段はここに住んでいたのだろうか?
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説明看板がある所は曲輪Aで、上の高台が主郭と思われる曲輪B
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曲輪Aの奥にある堀切
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曲輪Bへの登り口 帰り元気が残っていたら登ることにする
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詰城跡から霧山城はまだまだ先 尾根道を進む
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30分程歩いた所で小休止 今日は天気も良く、登山する人は何人かいて、凄い山中でも安心できる
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城跡へ610mの案内 半分以上来たことになるが、時間は40分かかっている
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両側が山の間の谷を歩く 中々景色は良いが体力は尽きそう
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あと370m地点 誰かのHPに、この看板に熊出没注意が書かれていたが、もう熊は居なくなったのか、今は書かれていない
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霧山城
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鐘撞堂跡入口に到着 ここまで約1時間かかる
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鐘撞堂から本丸へ点線あるので、行けると思い込む
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鐘撞堂跡から下の登り道を見る 短いがかなりの急坂
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鐘撞堂跡の削平地 ここは本丸の出丸で、見張台の役割があったのでは?
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南の展望 昼飯を食べてた爺さんが、尖った山の名前を教えてくれたが、忘れた
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鐘撞堂跡の石碑 刻まれた字は殆ど読めなくなっているが、下に看板が置かれている
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西の展望 富士山の様なカッコ良い山が見える
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鐘撞堂跡の奥の堀切
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堀切を渡りこの奥が本丸と思い込んで、西の尾根をどんどん行く
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かなり歩き、やっと上が本丸と思って、この坂を上る
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しかし本丸らしからぬ所で、道を間違えているのに気付き引返す 鐘撞堂跡から15分程も歩いており大ショック
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鐘撞堂跡から北に見えるあの山が、霧山城本丸のある山だった
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鐘撞堂跡に霧山・562mの標識を見つけ、また悩む
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この案内に、左が鐘撞堂跡、右が本丸跡を書いて欲しい 点線が描かれているので、鐘撞堂跡から本丸へ行けると思ってしまう
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鐘撞堂跡から急な下り道があった 上にいた時はこの下り道を見落としていた
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本丸への登り道 鐘撞堂跡の分岐から5分程で着く
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本丸への虎口はカッコ良い堀切
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堀切の左側が本丸で右側が矢倉跡 こちらは本丸側
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本丸と矢倉跡の堀切
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本丸の周りは土塁で囲まれている 景観も中々良い
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本丸跡の石碑
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霧山城址の説明石碑があるが、殆んど読めない
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土塁の外側は断崖絶壁 幕府軍もこの山城は攻め切れなかったことでしょう
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本丸の南側は米蔵跡で、本丸との間の浅い堀切
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米蔵跡の広い削平地 ここまで米を運ぶのは大変な作業・苦労だったのが想像される ここまで馬で運べたんだろか?
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米蔵跡から本丸を見る
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本丸の北側にある霧山城址の石碑がカッコ良い
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矢倉跡の方から本丸を見る
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矢倉跡の削平地
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矢倉跡と更に北側の曲輪の間の堀切
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北側も断崖絶壁 この先は来る時見た比津峠との間の登山道がある筈 登山道を確認出来なかったが、相当急で危険な登山道と察する
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霧山城跡で一番見栄えの良い本丸と矢倉跡の堀切で写真を撮って下山
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元気がある訳ではないが、詰城跡の曲輪Bに上がる 急坂だが2分程で上がれる
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曲輪Bの削平地 案内や碑は無く、ただ木が乱立しているのみ
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14:10無事北畠神社に降りる 神社に入ったのが9:20だったので、3時間50分の北畠氏城館巡りでした
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六田館
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東御所跡の標識がある 北畠氏城館の直ぐ近くにあり、北畠氏一族の居館があった所と思われる
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館の高台を取巻いているのは、堀跡なんだろうか?
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北畠神社入口に雪姫の料亭があったが、ここが雪姫伝説の地のようだ
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雪姫は八代国司・北畠具教の娘で、信長の次男の信雄と結婚している その後具教は暗殺され、北畠氏城館は落城する 雪姫は自害しようとしたが果たせず、東御所の桜の木に縛られていたところ、白いキツネに救い出された
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帰る途中、ガードレールに猿を見つける 暫くにらめっこを続けるが、猿はじっと動かなかった
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朝もキレイな紅葉見たが、帰りも素晴らしい紅葉を見ることが出来た ここは美杉町竹原でダム湖沿いの県道29号線
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しっかり山城を歩き疲れた代償は、寿司に刺身に天ぷらに焼き豚 しかし昼飯にお金使っていないので、そんなに贅沢ではない
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