20.12.7 津




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長野城


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桂畑文化センターからの遠望 中央の鉄塔のある山が長野城址 凄い山の中です


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桂畑川沿いの林道を2km程走ると、長野城址への林道の分岐点


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城址への林道は、四駆でないと無理とネットにあり、城址まで2.4kmを歩くつもりだったが、気が変わり舗装部だけは車で行くことに


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舗装部は1kmある 砂利道になった所でUターン出来るか心配だったが、ちょっとした駐車スペースがあり一安心


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城址まで1.4km地点から歩く


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崖っぷちの林道だが、道幅は思った以上あり、軽四輪なら十分走れる


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しかし落石が少しあり、パンクや車体底をコスってオイルパン破裂のリスクは十分ありそう


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ゾーッ、なにーい、これ 完全に白骨化した犬と思われる


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林道の終点に約25分で着く 四駆で無くても来れそうだが、パンク等のリスクは高いと思う


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林道終点地の直ぐ上が城郭 西の郭へ上がる手前の堀切


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西の郭への上がり道 中々景観も良い


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西の郭の南側の斜面 結構な段差があり、郭の下は腰曲輪が沿っている


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西の郭の東の高台が主郭部と思われる 長野城は国指定史跡なのに、城郭の案内が全然無い


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郭の淵は断崖絶壁で自然の堅城 簡単には攻められなかっただろうし、こんな山の中の城は攻める必要も無かったかも


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西の郭から主郭への上り口


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主郭の削平地 主郭の周りは低い土塁 高い土塁で主郭を防御する必要は無かったのでしょう


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主郭の東の下の郭


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城址の説明看板や碑が無いのでおかしいと思っていたら、東の郭の隅にあった


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国指定史跡の城址なのに、この看板と碑があるのみは寂しい


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東の郭からの展望


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国指定史跡であり、凄い堀切や空堀や土塁等の遺構を期待していたが、ちょっと期待外れで虚しい気分


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帰り、林道に見事な紅葉を見つける


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分岐点の直ぐ上にある紅葉 行くときは緊張していて気付かなかったようだ


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久居陣屋


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寛文11年(1671)、藤堂高虎の孫・藤堂高通が築いた 高通はずっとここに居たいと言うことで、久居の地名になったとあり面白い


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グラウンドと高通児童公園の間の森の中に土塁らしき土盛があるが?


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高通公生誕350年記念の句碑 今でも高通さんは、久居町で慕われているようだ


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高通児童公園の広大な敷地が陣屋跡 高通は城主格大名なのに築城が許されなかったとあるので、腹癒せに大きな陣屋を築いたかも


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川方城


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民家の奥の藪が城跡のようで、大きな土塁が連なっている


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民家の横に藪へ入る道がある


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藪の中に高い土塁が見えるが、この藪の中には入れない


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1496年木造城主の政宗によって築かれ弟の康親に与えられた 康親は以後川方氏を称している