20.12.25 津、松坂




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コロナ感染拡大でGOTOも一時停止される GOTOは非常に有益であり、停止される前に今年最後の城址巡りに出る


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八太城


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城跡の小山の南東側に登城口がある


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山神の石碑がある所から山へ入る


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紅葉はすっかり終わったが、散ったモミジも中々感じ良い


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5分程で龍天宮と案内ある境内に着く


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ここが主郭と思ったが、ネットに載っている祠と違う


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境内の右側に奥へ続く道があり、ここを進むと主郭へ出る


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とても感じ良い尾根道・土橋が現れる


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土橋の両側は竪堀が谷へ落ちる


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主郭への登り口・虎口


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主郭の削平地にある八太城址の標柱


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主郭に建つ祠 仏様が祀られている


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主郭下の曲輪 上から見ると結構な高低差がある


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主郭周りは高くないが土塁が確認できる


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主郭背後の堀切 八太城は、田上讃岐守とその子・右近の居城 田上氏は北畠氏に属していたが、1576年北畠氏が滅びると秀吉に仕えた


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八太城は、登城した時通ったこの土橋が、一番見応がありカッコ良い


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龍天宮の西側の郭 見張台があったと思われるが?


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郭には八王子尊と案内ある祠が建っている


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小山城


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清厳寺の奥の山が城跡 ネットには厳しい道で30分程かかるとあるので、登城はパスで登城口を見に来る


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小山城は北畠の臣・大多和兵部少輔の城で、永禄12年信長勢に攻められ落城し廃城となる


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清厳寺は、至る所に徳川家の葵の紋がある


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小山城の案内は全然無いが、ここ清厳寺本堂左手奥の墓地から登ると思われる


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本堂裏の藪に堀切らしきが見えるが、清厳寺境内も曲輪跡なのかも知れない?


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尾張二代藩主・徳川光友の長男・義昌の産湯井戸 光友は清厳寺本堂を建立し、そのお礼で葵の紋の使用が許されたとある


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義昌さんは長男だが、側室の子で三男として扱われ、尾張徳川家は継げなかったようだ


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天花寺城


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天華寺から県道を渡る橋があれ、橋の奥の森が天花寺城跡


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しかし橋の奥は藪で行止まり


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藪の奥は高い土塁 人が上った形跡あるので、転げ落ちそうになるが何とか上る


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土塁の奥は凄く深い堀切 掴まる草木も無くずり落ちてしまうが、無事下りれた


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凄い深い空堀に感動 難儀して上り下りした分、感動も大きい


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北側へ落ちる竪堀も高くて見事


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堀底から向うの郭へ上るのも、急傾斜でかなり手こずる


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奥は主郭で、天花寺南城跡の案内あり


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主郭側から下の大空堀を見る


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主郭は削平地でなく、尾根上にある


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縄張が分からないが、主郭の奥にも堀切が見える 最初に下りた大空堀が、主郭を取巻いているようだ


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案内が南城跡なので、北城跡があると思い北側へ行くが、それらしきものは見つけれず


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天華寺に、発掘調査で出土した墨でお経を書いた石の看板が立つが、お経が書かれた石など無かった


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釜生田城


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ネットにこの様な橋の写真があるので、橋の奥の森が城址と思われるが、案内は全然無し


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登城道の様な所を入ってみたが、太陽光発電設備の入口で入れず 詳細不明の城址であり、登城口を探さずにパス


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森本城


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神宮寺境内が森本城跡


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木造俊康の次男・俊重が多気城の支城として築城 永禄12年信長の伊勢侵攻の際、最後まで北畠氏を守ったが、天正12年松ヶ島城の戦いで戦死


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本堂の奥は広い墓地? 墓石は少しだけで奇妙な空間


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墓地の淵は土塁が取巻いている


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墓地の奥の竹藪を覗くと、大きくないが空堀が見える


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これは堀切? そんなに大したことないが、城郭の面影が感じられる


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神宮寺境内に建つ観音様


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滝之川城


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フェニックスゴルフ場前公園の駐車場手前に城址看板を見つけるが、ここに登城口は無い


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公園に、古墳時代後期の古墳がある


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城址看板に登り口が山の東麓とあるので、東へ走ると、滝之川城入口の標識を見つける


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標識の道を進むと行止まりで、ここが登城口 ネットに赤い橋とあるが、錆びで赤い橋だった


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階段の上まで上がらず、途中右手に山へ入る道があり、そちらへ進む


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直ぐに凄い堀切 キレイで見応えあり


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登城道は整備されていて歩き易い 木に赤いビニールテープが巻いてあり、迷う心配も無い


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登城道は至る所に堀切があり、急坂の道だが楽しめる


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三重になった竪堀が見事 何重もの竪堀を畝状竪堀と言い、防御能力を更に高めている


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堀や土塁の遺構は素晴らしいが、全然案内が無いので城郭を把握出来ないのが残念


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高い土塁を乗り越える


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土塁の先は、主郭の東下に広がる曲輪


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主郭と東下曲輪の間の堀切


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主郭の北下へ回り込む土橋


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主郭の北下には何重もの畝状堀切が掘られている 何とも素晴らしく大感動な景色


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主郭の北下の曲輪から主郭を見上げる


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主郭の切岸も高さがあり圧巻


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畝状の堀切が良く分かる


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東下の曲輪から主郭へ上がる


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主郭の広い削平地に城址碑も案内も無い


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主郭から東下の曲輪を見る 


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主郭から北下の曲輪を見る


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北下の曲輪にあった畝状堀切も良く見える


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滝之川城は、北畠氏の支城で城主として妙光院殿の名があり、近くの森本城主・森本飛騨守俊重がこの城を詰め城としていた、とネットに載っていた


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東下の曲輪からの虎口 高低差がかなりあり、帰りここを降りるのはちょっと怖かった


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主郭の北端の土塁


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土塁の上に、木に括られた小さな城址看板を見つける 見落とす所だった


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下山時道に迷う 気付くと赤いビニールテープが巻かれた木が無い


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かなり不安な思いをするが、途中で赤いビニールが巻かれた木を見つれ、何とか無事に下山出来た


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クリスマスの御馳走 そんなに豪華では無いが、筑前煮が美味かった


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城址巡りで歩き疲れるが、風呂に入った後の一杯は最高です