20.12.26 南伊勢、大台、多気




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五ケ所城


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愛洲の館の奥の山が五ケ所城跡


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愛洲の館を見学 無料で入館できる


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五ケ所城の縄張図 五ケ所城は、南北朝時代に愛洲氏が築いた城で、愛洲城とも呼ばれる


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愛洲氏は、柳生一族と同様の剣術一族だったようだ


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大きな剣道場まである 跡で知るが、中央の修行者の恰好の人が、剣術の達人・愛洲移香斎久忠(あいすいこうさいひさただ)


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愛洲の館の奥に城址への登城階段がある


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距離は短いが急斜面の階段で結構キツイ


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階段を上がると削平地で、ここが主郭と思ったが、主郭はもう少し先だった


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削平地の左手の藪を覗くと、立派な土塁と堀が見える


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削平地から5分も歩くと主郭の入口


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主郭の下は、大きな空堀が主郭を取巻いている


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左手の空堀を入ると、削平地で覗いた空堀に繋がっている


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こちらは右手の空堀


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主郭の下は二重の空堀となっている


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最初見た空堀の上の空堀 いずれの空堀も深くて大きくて凄い


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主郭の虎口


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主郭に立つ城址碑と説明看板


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愛洲氏は南朝方として北畠氏に属すが、1576年北畠信雄によって攻められ滅亡


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愛洲移香斎久忠の事が書かれている 彼は剣の奥義を悟り、愛洲陰流をひらき天下に広めた


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主郭下の空堀 この空堀の奥にも空堀が取巻いていて、二重の防御になっている


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主郭部は広い削平地


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愛洲移香斎久忠の誕生の碑も建てられている


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主郭北側の土塁


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主郭の虎口がキレイで感じ良い


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主郭下の空堀の高さが凄いのが良く分かる


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主郭下の東側に曲輪が延びている


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崩れた石垣があるが往時のものか?


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城址の南に愛洲氏の居館跡あり、碑が立っている


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碑はあるが、居館跡の面影は何も無い


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尖った山に鳥居が見える 城址とは関係なさそうだが、中々カッコ良い山


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次の一之瀬城へ向かう途中、五カ所湾の景色を見るが、ここはそんな良いポイントじゃなかった


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南伊勢から一之瀬城へ、ナビは県721号を案内するが、とても狭い道で不安一杯になり途中で引き返す


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三瀬館


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館跡と見張所があるので、見張所を三瀬砦と思い後で行こうとするが、三瀬砦は別な所だった


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館跡にある北畠具教の胴塚碑


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1569年の大河内城での北畠具教と織田信長の戦いは、信長の次男の信雄を養子とし家督を譲る事で和睦し、具教は三瀬館を築き隠居するが、1576年信雄の刺客に殺害される


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戦争中の昭和16年に県史跡指定されているのが凄い


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館跡の石垣 往時のものなんでしょうか?


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館跡は4段になっており、立派な屋敷が建てられていたのを想像する


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館跡と反対の住宅の裏手にも、北畠具教の胴塚がある


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織田信雄は北畠具教をバラバラにしたのか


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館跡の看板に載っていた見張所への道に、茶臼山の案内あり


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見張所が三瀬砦で無いのに気付く


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見張所への急坂の階段 距離が分からず、茶臼山へ上っていきそうなので、引き返す


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三瀬砦への標識を見つけるが、歩くのは距離がありそうで車で行く


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三瀬砦の城主・三瀬左京が建立した慶運寺 三瀬館とは2km以上離れており、歩かずに車で来て良かった


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三瀬砦


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カッコ良い土塁の奥が三瀬砦の入口


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入口に説明看板・鳥居・城址碑がある


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永禄年間(1558-1570)三瀬左京が築城 三瀬左京は北畠具教の家臣 ネットに三瀬左京は、北畠具教を殺害した長野左京進と同一人物、と載っているが、その事は書かれていない


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砦跡の石碑があるのが良い


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高さのある整った土塁


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主郭部の削平地


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案内に井戸跡が載っていたが、主郭にちゃんとある


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三瀬砦の見所は高い土塁と思う 主郭部の四方が高い土塁で囲まれていて、見栄えがとても良い


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主郭の奥に建つ八幡神社 神社は土塁の上に建っている


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八幡神社から主郭を見る


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土塁の上は歩け、上に立つと高さをより感じる


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神社の奥にも曲輪


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神社奥の曲輪の土塁


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登城道にデカい罠と小さな罠がある デカいのは猪にしては大きいので、熊用かとも思うが、この辺りには熊はいないだろう


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三瀬左京が建立の慶運寺の本堂


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五箇篠山城


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鎌倉時代中期、上野国から移り住んだ野呂氏隆が築城とある


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ゆとりの丘の北に隣接する山が城跡で、頂上まで250mの標識がある


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キツイ階段だが山頂まで250mと距離はない しかしネットには主郭まで15分とあり、どうも合わない


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ゆとりの丘の展望


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山頂が主郭なら虎口と言うことだが、山頂はまだ主郭では無い


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山頂から北方向の展望


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山頂から東下へ降りる階段に、城址への案内があり、山頂が主郭でないのがハッキリする


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しかし階段は草むらで、その奥は更に背丈のある草木で覆われている


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階段を降りては見たが、草木を掻き分け進む勇気なし


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山頂は尾根の北端で、周りは低いが土塁があり、山頂も一つの城郭だと分かる


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山頂へ上がる手前に、山頂を回り込む道があり城址へ続いていた ここに標識がないと絶対まずいと思う


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入って直ぐに凄い堀切が現れる


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東に尾根道が続き、堀切が次々と現れる


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尾根が凄い深さで切られていて、見上げると尾根が凄く高く見える


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主郭部が何処かハッキリしないが、尾根がちょっと広くなったこの辺が主郭か? 案内が全然ないのが残念


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まだ先に堀があり尾根が続くが、ここで引き返す


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山頂の郭の北下にも、帯曲輪が取巻いている


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ゆとりの丘から城跡の山頂を見る


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ゆとりの丘の芝生の広場 芝の緑は無いが、広々とした芝に立つのは気持ちいい