21.1.31 蒲郡、豊川




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GOTOを利用して、泊りで遠方の城址を巡りたいが、GOTOは中止で再開の目途もない 再開されるまでは、県内の城址を再訪することに


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丹野城(再訪)


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さがらの森から御堂山への遊歩道がある 御堂山が丹野城址で、山頂まで15分の案内ある


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何か良く分からない城址説明 築城した萩原芳信は、全福寺の資産を取り掠めたとあるので、盗賊だったのか?


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遊歩道はコンクリートの道で、所々急階段もあり 歩き易いが急坂でかなりキツイ


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ジグザグの登り道が、何となく城郭ポイ


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20分で御堂山山頂に到着 富士山眺望の看板あるが、全然見えない


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御堂山山頂が主郭で、立派な城址碑が建つ


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丹野城址は蒲郡市の指定史跡 城址碑は良いが、案内の碑は汚すぎる


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1469年、萩原野芳信が全福寺の僧徒を動員して築城、しかし翌年牧野氏の攻撃を受け落城、と書かれている


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主郭の西側に大きな堀切あり


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深くて中々見事な堀切


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堀切の西の曲輪から主郭を見る


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主郭の北側の帯曲輪が、住居跡の案内


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主郭の北側を取り巻く腰曲輪


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御堂山から望む蒲郡市街と三河湾 素晴らしい景色です


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伊奈城(再訪)


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伊奈城址は公園として整備されている


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堀と逆茂木 逆茂木は堀の中に立てた防御柵とある


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逆茂木の説明有るのに、堀には逆茂木が無い


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徳川家・本田家の家紋の基になった植物・二葉葵の案内だが、二葉葵らしき植物は何処にもない


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家康の家臣で、鬼作左と呼ばれた本田作左衛門の名を知るが、伊那城の本田氏とは関係ないのか?


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本多家の立葵の紋から、徳川家の三つ葉葵の紋になっている


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主郭周りの土塁が見事


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土塁の上に城址の碑が建つ


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土塁の上から主郭部の眺めが中々良い 模擬櫓は施錠されていて入れない


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主郭部中央に、何故かトンビ?がまっている


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伊那城の直ぐ北に新幹線があり、のぞみが走っていく


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野口城(再訪)


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野口住宅南信号の所に割池があり、右手の山は見張台の山で、左手の山が城址の山 


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ネットに、割池を時計回りに進むとあるが、逆回りの方が池を一回りしなくて済み早い


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登城道は無いし案内も無い 山の南側の斜面を適当に直登すると、東の郭?の入口に出た


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入口を上ると広い削平地で、東の郭と思われる


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東の郭を奥へ進むと、西の郭へ入る土橋かな?


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西の郭の土塁? 縄張の案内が無いので、城郭がどうなっているのか全然つかめず


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土橋の先はまた広い削平地で、ここを西の郭とする


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西の郭の周りの土塁 そんなに高くない


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西の郭の下段を取り巻く帯曲輪?


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浅いが西の郭の横堀と思う


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ネットに西の郭に遺構が多く残っているとあるが、今一どうなっているか把握出来ない


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今日も風が強いが、ここは強風地帯か? 大木が根こそぎ倒れている


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岩略寺城址の山の入口は、イノシシ除けのフェンスがあるが、手でフェンスを開けて通れる


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フェンスの所より城址まで800mと案内あり 中世の山城で本県最大の遺構と書かれている


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岩略寺城(再訪)


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山頂に駐車場があり 縄張図の看板があるのが嬉しいが、城址の説明看板が無いのが残念


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駐車場から山へ入って直ぐ、南曲輪に上がる先に見事な大堀切がある


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大堀切の観察は後にして、南曲輪へ上がる


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南曲輪は細長い曲輪で、一見本曲輪下段の腰曲輪に見える


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南曲輪から見上げる本曲輪の壁は切岸と思われる


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南曲輪の東端から本曲輪への登り道


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南曲輪から本曲輪への虎口


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本曲輪の土塁と下段は横堀


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本曲輪の削平地 各城郭に石碑があるので助かる


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本曲輪の北にある二の曲輪 二の曲輪は普通広いと思っているが、この二の曲輪は非常に狭い


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二の曲輪の東に広がる東曲輪


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二の曲輪の西端に、小さな祠と城址碑がある


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二の曲輪の西に井戸曲輪と長沢の山城址の標柱が立っている 岩略寺城は別名は長沢山城城


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大きな井戸跡だが埋まっている 結構高い山城であり、井戸を掘るのは大変な作業だろうと想像する


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本曲輪から西下の腰曲輪へ下りる堀切


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かなり急傾斜の堀切の道でちょっと危険


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堀切を降りるとまた井戸跡があり


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井戸跡は腰曲輪の北端にあり、本曲輪への虎口になっている


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本曲輪の西下を取り巻く腰曲輪


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腰曲輪の土塁 石碑が立っているが、そんな大した土塁でない


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腰曲輪から見上げる本曲輪の壁 この壁も急傾斜で切岸と思う


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最初に見た大堀切 北側から見た眺めで、左側が南曲輪の壁


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腰曲輪の北に三日月堀がある


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確かに三日月の形をした堀になっている


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城郭の碑はあるが城址の説明看板が無い ネットによると、1458年に松平信光によって攻略され、信光は子の親則にこの城を与え、以後、親則は長沢松平氏の祖となった


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三日月堀の北に曲輪が段々にあるが、岩略寺城の散策はこれまで


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登屋ヶ根城(再訪)


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城址の入口に標柱が立つ


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入って直ぐ右手の郭の下の横堀


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郭を二分する堀切? 登屋ヶ根城の縄張案内は無く、どうなっているかさっぱり分からず


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石垣があるが往時のものかどうか不明


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堀切の左の郭へ上がる入口


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左の郭へ上がると、城郭とは思えない広い平地 


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堀切で二つの郭があると思ったが一体となった平地 ホテル南の平地、ここが主郭部か?


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ホテル南の平地の手前に、ちょっとした土橋の様な所あり


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土橋の下は、深い空堀の様に見える


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南側の竹藪の中に土塁らしきを見つける


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更に堀切も 南の竹藪にちょっと遺構が残っていた


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登屋ヶ根城は今川の城 1561年家康に攻め落されるが、徳川四天王の本多平八郎がわずか14歳で初陣を飾っている


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萩城(再訪)


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城址の標柱が立つ所から山へ上がるが、登城道も案内も無い


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適当に直登すると堀切が現れる


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主郭の切岸


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この広い削平地が主郭と思われる


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主郭の土塁


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主郭下段の腰曲輪


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萩城は、作手奥平氏の分流の萩奥平氏の本城


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城の腰城(再訪)


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城郭は県道で分断されている


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城址標柱の所から上がると直ぐ竹藪の削平地


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削平地の北側の横堀


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削平地の曲輪の奥が主郭と思われる


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主郭の土塁は結構高い


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土塁の下は凄い堀切 ロープがあり降りれるようになっているが、ここを降りるのはパス


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城の腰城は、萩奥平家3代勝次の居城


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主郭下の堀切は、県道へ出て回り込んで行ける


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堀切から主郭部へ上がるローブがある所 ここを上り下りは危険が一杯


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善住寺に萩城主奥平周防守家之墓があり立寄る


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善住寺の本堂


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恐ろしい顔の不動明王 顔は恐ろしいが優しい仏様、と案内ある


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奥平周防守家之墓 案内が無く、歩き回って見つける